組手(試合)は対話だ?

組手(試合)は対話だ? 〜道場生への報告〜IBMA極真会館スピリッツ

2018年04月07日

 4月4日(水)、極真会館館長の松井氏と「ファイト&ライフ」という雑誌の対談を行なった。また、国際空手道連盟 極真会館の国際親善空手道選手権大会とセミコンタクト空手競技実施の表明の記者会見に出席した。

 その内容は、極真会館のホームページや今月の末に発売されるファイト&ライフを見て欲しい。当日は顔が疲れが出ていた。前日に深夜まで、TSスタイルのプレゼンのための執筆作業をしていたので睡眠時間が少なかったからだろう。また夕方から空手の指導があるので体がきつかった。昼食もまともに取れなかった。しかしながら、腰痛の発症から一週間が経ち、歩ける様になってきたので、気分は良かった。また、対談がツッコミあり、笑いありの非常に和やかなものだったので、改めて、松井館長の計らいに感謝している。

 今回、極真会館の国際親善大会の記者会見に増田が出席していることに驚いている道場生のために説明したい。極真会館と増田のIBMA極真会館は友好団体である。その経緯は、極真会館がオリンピック開催を決めた全空連(JKF)と友好団体になるのを契機に、我々は松井館長率いる極真会館と友好団体になった。

 そして今回、極真会館がセミコンタクトルールという新しい競技方法を採用し、全世界の会員に普及していこうという段に際し、IBMA極真会館増田道場の増田がそのアドバイザー的な役割を担うということだ(正式には辞令は降りていないが)。この件につて、より詳しく知りたい方は、雑誌や極真会館のホームページを見ることをおすすめしたい。

 さて、私の立場は、新しいセミコンタクトルールの実施を支持し応援するという立場である。また、私は10台の頃から、全空連系の試合の経験や、ボクシングジムの経営の経験があることから、私の応援の意思を松井館長が了解し、私を会見に呼んだのだろう。とはいえ、私は組織的には部外者である。私は「まずは応援者として支持したい」とその立場を明言しておいた。おそらく、松井館長は「様子を見ながら、徐々に増田を協力者として受け入れていく気持ちなのだろう」。私は当然の配慮だと思っている。なぜなら、私がセミコンタクトルールを自分の道場生にやらせるということも決めていない。

 大事なことは、その様な大きなプロジェクトの実施には大変な労力がかかる。それは組織の規模が大きければ大きいなりに、また小さければ小さいなりに大変さがある。それを私は身を以て理解している。私が着目するのは、その判断基準と決断の勇気に共感と敬意を持っているということである。

 松井館長は、「新しいルールは、それを行いながら、改良を加えていく」という主旨の発言をしている。抑えておいて欲しいのは、従来の極真空手の競技方法を止めるということではないと言うことである。新しい競技には、従来の極真空手の競技方法を補完する役割をもたせたいという。松井館長と増田を繋ぐ生命線は、極真空手を通じた「友情」と「極真カラテの質のさらなる向上という意識」である。

 松井館長の考えを増田なりに咀嚼すれば、「極真空手家にある種、異質の刺激を与えることにより、自己の再認識を促したい」ということだろう。実は、その様なことをたえず増田は行ってきた。例えば、10代の頃、すでに柔道のみならずレスリングの試合経験をした。また20代の頃は、キックボクシングやボクシングの経験をした。さらに陸上競技や古流武術の経験など、実に様々な体験を繰り返しながら、極真空手を再認識し更新する作業を行ってきた。

 その様な異質とも思える経験をしながら、自己内部に定着しつつある感覚のさらに内部にある、と思われる“もの”を喚起、そして理解するのである。少々、難しい言い方になったが、この様なことを松井館長に言えば、すぐに理解してくれると思う。ただ、他の空手家はどうかわからない。

 あえて断っておくが、増田は松井館長の試みを全面的に支持しつつ、増田のアプローチは少々異なるという事だけをお伝えしておきたい。それは松井館長の行うことを、サポートするはずである。増田のアプローチは、既存の手段において、ちょっと方法を変えるだけで、その行為が深化するという、修練方法の提案である。まだ思考実験のレベルを超えないが、私はそのアプローチの効果はあると考えている。それがTS形式の試合法、“ヒッティング”という修練方法の導入である。

 松井館長と増田の違いを少し述べれば、増田は組織がないに等しい、ゆえに増田個人の技術と理論を旗印に交流し合わなければならない。その立場が明確ならば、増田は松井館長の内部に取り入れていただく立場の方が、言い換えれば、下請けの様な立場の方がやりやすい。

 松井館長は「いや、下というより“共に”だよ」と言ってくれた。私には、嬉しい言葉だったが、増田は友情と仕事を分けたいと考えている。セミコンタクトルール、そして増田のTSスタイルの創出は、私にとっては仕事なのだ。

 補足すれば、「極真空手の質を高める」ということは、私の命を賭けた仕事だと考えている。それを、体がポンコツになって、強く自覚している。ゆえに、孤独になっても、今再び原点に返って、新たな決断をしたいと考えている。そこに実は上も下もない。だからこそ、私は松井館長の下で仕事をすることもやぶさかではないのだ。また、真に自他が貢献し合う関係には、上下など、便宜上のことでしかない。本質的には対等なのだ。

【極真空手の質を高めることは、私の仕事である】

 さらにいえば、松井館長は増田の考えを一番よく理解してくれる可能性が高い。ただ、松井館長が増田をどれだけ信じているかわからない。これまでの言動を振り返れば、当然である。おそらく皆に伝わらないだろうが、私にとって「極真空手の質を高めることは、私の仕事である」と繰り返したい。全人生を賭けた…。ゆえに、死にたいぐらいに自分の非力と未熟を嘆き、あがいている。今後は、それを明確にしていきたい。同時に松井館長との友情は別次元である。その友情が死ぬまで続く様に、最大限の配慮をしたい。ゆえに私の行おうとしている仕事と、あらゆる人情的な関係を分け、私の役割分担を明確にしたい。

 振り返れば、松井館長に極真会館との友好団体化を打診された時も、「極真会館の試合に道場生を参加させるとかいうことは別にしてくれ」むしろ「極真会館の試合に道場生を参加させることはしないよ」という前提で話をした。それを松井館長がどの様に飲み込んだかはわからない。つまり、試合があるから付き合うという関係を松井館長と増田との友情には介在させたくないのだ。ただ、それは絶対ではなく、しかるべき体勢が、お互いに整ったら実現するかもしれない。これを聞いて、がっかりする道場生はほとんどいないと思う。なぜなら、増田の道場生は、大会参加や試合のみのために空手を行っているわけではないからだ。ただ、理想は松井館長の率いる、全世界の極真空手人と増田の道場生が対等に交流することだと思っている。
 その様な理想に向かうために、増田のTSスタイルという試合法がある。そして、やはり「武道の稽古の基本は組手、試合にある」と認識させる方法なのだ。

 詳しいことは、いずれ明確にしたい。あえて言えば、「試合の目的は相手に勝つことでもなければ、チャンピオンを目指すことでもない。ましてや強さを目指すことでもない」。同時に「試合の目的は自分に勝つこと、最高を目指すこと。そして真の強さを目指すこと」である。換言すれば、「自他の関係性を理解し、その中で自分を喪失しないこと、自己の存在レベルの最高を目指すこと。そして「あらゆる状況において、自他の認識のバランス調整を行う能力を持つこと」である。

 以上は全て、増田の経験上の直感である。それを古今東西の賢人の思想を紐解き実証するのが、死ぬ前にどうしても行いたいことである。

【すべての格闘技は最強、かつ最弱になりうる】

 対談で松井館長が「すべての格闘技は最強、かつ最弱になりうる」「ゆえに最弱になる部分をなるべく小さくするのだ」という様なことを言っていた。

 これは、松井館長のいつもいうことなんだろうな、と思って聞いていた。「立て板に水」の様に話していたから(笑)。しかし、みんな意味がわかっているのだろうか。増田が意訳するとこうだ。

「すべての格闘技には限定がある」

「また得意な戦い方がある」

「限定があるということは、心技体が高まるといいうことである」

「高められた心技体が”強さ”という概念の根拠(基盤)である」

「しかし、心技体を高めようとすればするほど、そのために削ぎ落とした部分と高めた部分とのコントラストがはっきりする」

「さて、その削ぎ落とされた部分を突かれたらどうなる」

「アキレスの例えを出さずとも、そこが突出して、わかりやすい弱点になる」

「ゆえに、弱点を自覚し、その弱点が露呈しない様にせよ」

「また、その弱点を補強しておけ」

ということである。

  さらに言えば、「弱点と思われていた部分に、次の時代に必要な要素があるかもしれない」

「ゆえにその要素を最高に高めて行くことも視野に入れろ」

「それが変化に対応するということだ」

という様に私は考えている(その言葉を聞いた増田の直感なので、松井館長の考えとは異なるかもしれないが…とにかくみんな分かっていないと思ったから書いた)。

【どんな状況でも対応できる力を身につける】

 さらに松井館長が「どんな状況でも対応できる力を身につけるのだ」という様な主旨のことを言った。つまり、セミコンタクトという、新しい修練方法は、それを自覚する手段なのだ。先述した様に、私は10代の頃に、すでにそれを知っていた。ゆえに、私にとっての極真空手の組手法は、ただ単に試合に勝つためではなく、理想を目指した手段であったのだ。ただ、私の極真空手の試合にも勝つために排除した部分はある。ゆえに誤解を恐れずに言えば、その姿を見たくない。あまりにも稚拙だからである。同時に、今、当時の身体能力があればと、切なくなってくる。

 その様な思いから、フリースタイル空手・拓真道の構想をしたのだ。話を戻せば、松井館長の考えを、突き詰めていけば、IBMA極真会館で実施した、限定的ながら、打撃技のみならず、投げ技、掛け、掴みも使える、フリースタイルという試合法もありだと思う。ただし、上手な限定を行わなければ、ただ煩雑となるだけだ。そして、あらゆる状況に活かせる普遍的な感覚を養成することができないだろう。フリースタイルでは、その普遍的な感覚を織り込み済みなのだが…。

【組手は対話である】

 また、対談で松井館長と増田が意気投合したことに「組手は対話である」ということがある。私は「組手はコミュニケーション」と言った。松井館長は「組手は会話だ」と指導するという。それは「組手は対話の様に」という考えに収斂されると思う。おそらく、この部分は雑誌に載ると思うので、今はこれ以上書かない。この話は、「極真空手の質を高める」という互いの仕事としてではなく、友情論としても面白いと思う。私は楽しく、かつ嬉しかった。この関係性がずっと続く様に願っている。その部分がファイト&ライフに割愛されていたら、私が書きたい。

【「心眼」の養成】

 最後に「どんな状況にも対応する」「強さ」「対話」などなど、のキーワードの解の共通項にあたりをつけている。それについて、少し書きたい。

 それは、武道の到達点は、増田空手の理念で云うところの「自他一体の道を修める」ということと言っても良いが、それを具現化するに何が必要か。

 私は「眼」だと思っている。あらゆることを、より本質的に観ること。かつ包括的に観ること。そのことは、畢竟、見えないものを観る、「心眼」の養成につながっていく。また、「観るとは、自分の身体に感じることを最高レベルで探求すること」かもしれない。

 私の身体も近いうちに動かなくなる可能性が高い。そうならない様、またそうならないうちに、健康な人たちの心身を、さらに健康に、かつ維持できる様な稽古体系を構築したい。そのために体が動くうちに、その具体的な身体の使い方と修練方法を残し伝えたい。同時に武道家としての「心眼」の養成を急ぎたい。

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