サッカー日本代表の次を期待している

  サッカー日本代表の次を期待している
 

 2018年06月27日

 明日は、サッカー日本代表のワールドカップ決勝トーナメント出場がかかった試合である。試合放送は深夜だが、高視聴率になるだろう。私は、次の日、大事な用事があるのでリアルタイムでは見ることができないと思う。しかし、多くの国民と同じで、日本代表の勝利を祈っている。しかしながら、こんな風に期待すると負けるのが、いつもの”落ち”である。ゆえに、祈りを込めて、先日書いたブログに修正を加えた。以下が修正部分である。

【最後に】

 最後に、ゴールエリア内での針の穴を通すような集中力と精度を、今後も維持して欲しい。もう一つ、サッカーは格闘技ではなく、ボールゲームだが、命懸けでプレーしてほしい。なぜなら、サッカーのゴールは極真空手で言えば、一本、技ありのようなものだからだ。ゆえにプレーには、どんな相手にも、またどんな状況でも気後れしない、闘争心が重要なのだ。

 ただし、感情的になりすぎてはいけない。感情的な高ぶりは闘争心ではない。それを闘争心だと考えてはいけない。そのような状態でのプレー(行動)は、試合巧者や実力者には、手の内を見透かされ、すぐに逆を取られるに違いない。つまり相手が見えなくなる。本物の闘争心は冷静かつ熱い。言い換えれば、最期まで希望と情熱に満ちているものなのだ。これは自分にも言い聞かせたい。
 また、感情的になり過ぎれば、想像力が発揮できなくなるだろう。サッカー日本代表の命懸けの仕事を、多くの人が見守っている。それを喜びとしてほしい。そして楽しんでほしい。極真空手に人生をかけた、増田 章がいうことだ。偉そうだが勘弁してほしい。
 私は、サッカー日本代表の戦いを、単なるスポーツではなく、武道の考究の一環として、私は見ている。そして、サッカー日本代表の次を期待したい。

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