増田 章の言う「武道人」とは

最近、親しい友人から、「僕は〇〇家と安易に呼ぶのは好きではない」というようなことを聞いた。彼は、〇〇家というなら、その〇〇という業界(家族)全体のことを考えるべきだと続けた。私は「その通りだ」と応えた。  確かに、格闘家、武道家、空手家、〇〇家と、最近は自ら呼称する人が多いようだ。もちろん、人がそのように呼ぶ場合もある。

【一人の武道人として】

実は、私が独立して、自分の組織を創設した時、経済人や政治家の集まる会合で挨拶をさせられた時、「私は己の組織のみを考える武道家というより、一人の武道人として、皆とともに斯界を変革していきたい」というような主旨の発言をした。実は、その会合に向かう新幹線のなかで「武道人」と言う言葉の意味を考えていた。その時が武道人と言う言葉の誕生の瞬間と言っても良い。おそらく、私以外で「武道人」と言う言葉を使った人はいなかったはずである。その会合の参集者は、皆「キョトン」としていたに違いない。数人が私に名刺交換をしてきた。その中に産経新聞の記者がいた。もう一度会ってみたいと思っている。

その時、私の伝えたかったことは、国であっても企業であっても、空手界、スポーツ界であっても、自己の組織のことだけを考えるのは、レベルが低すぎるということである。また、もし多くの人がそうであるならば、私は偉そうに武道家、空手家などとは名乗らない。それよりも、一人の武道愛好者として、その対象をとことん掘り下げていくのだ、ということを心身に銘記するためだった。それは、国家、愛国ということに関しても同じである。それが武道人という言葉の誕生の瞬間であった。更に言えば、その一人の武道人と武道を掘り下げてきた帰結が「空手武道を通じて人と社会を良くしたい」と言うことである。それを言い換えれば、「自分の組織、家族のことだけを考えているのではいけない」ということだ。もちろん自分の家族のことを第一に考えるのは当然である。しかし、空手家というのであれば、自分の出身母体や空手界全体のことを考えることは、私にとっては至極当然のことである。それを、大仰とか分不相応と言われても困ってしまう。それは、自然に湧き上がる思いだからだ。

もし、「私は空手家ではない」「ゆえに自分の道を行く」というのならば、「それは空手屋」である。私は、それは何もビジネスや商売が悪いと言っているのではない。また、空手や武道をビジネスと全く別のものと考えている訳でもない。しかし、ビジネス、経済界においても自分のビジネス、利益を考えるだけでは、やがて行き詰まると考えているのである。 つまり、ビジネスにおいても、業界全体のことを考え行動する。そのような視点が指導者(リーダー)には必要だということである。断っておくが、私が言う、業界全体の利益とは、「なあなあ」で仲良くすることではない。時に破壊的にも見えることを行うこともイメージしている。

【野球人という言葉】

補足すれば、私は野球人という言葉が好きである。先日、イチロー選手の引退会見があった。実は私はイチロー選手のファンである。彼の会見は、幼い頃から私が持っていた、ロールモデルと合致する。彼の生き方からは、実に多くのことを学んだ。彼に対する私の思いは、別の機会のまとめてみたいが、野球選手は、野球家とは言わない。なぜだろうか。それは、野球は選手、監督、コーチ、スポンサー、ファン、メデイアなどなど、全てを巻き込んだ社会的スポーツ、難しく言えば、文化的公共財だからだ。言い換えれば、社会全体に対する役割と責任を関係者が認識しているのだ。

【〇〇家という語源】

おそらく、そこには〇〇家などという、大仰なラベルが必要ないのであろう。〇〇家という語源を遡れば、おそらく中国の春秋時代に遡る。その時代に「諸子百家」という言葉が生まれたようだ。私の理解では、その時代、様々な職種が発する理念および思想的なものを、社会において分類するために、〇〇家という言葉が生まれたのであろう。また、〇〇家の中では、互いに異論を唱えあい、自己の主張を繰り広げていたに違いない。しかし、その異論の中核には、社会全体を良くするという理念と思想があったに違いない。

【現代における、〇〇家】

翻って、現代における、〇〇家を眺めたときに、社会全体を良くするという思想があるだろうか。おそらく、その指導者たちは「ある」と答えるに違いない。しかしながら、その中心は自分の保身ではないだろうか。

先に述べた私の友人は、「〇〇家というのは家族のことであり、斯界のすべての人を家族と考えて行動することではないのか」と言葉を続けた。

私は、「その通り」と応えた。更に「たとえ異論があったとしても、全体を家族と考え、斯界の発展を考えることだ」「それができて、初めて〇〇家という評価をいただけるのが本当だと思う」と続けた。

今私は、友人と意見をかわしつつ原点に戻りたいと思っている。具体的なことは、次回に述べたいと思うが、再び方向性を明確にしたいと考えている。

【アイデンティテーの確立】

私は、あと2ヶ月で57歳になる。振り返れば、私は極真空手に鍛えられ、極真会館に育てられた。その極真会館を自分のアイデンティテーとして、大事にすること。また、自分の心身を鍛錬してくれた、極真空手の伝統を保存しながらも、より良いものに変革していくということだ。私の極真空手に対する考えと半生を綴った著書に、私は生き方の目標を書いている。それは「どんな状況でも自分は自分だと胸を張れること」だ。それは、「どんな苦しい状況でも、どんな惨めな状況でも、自分に対する感謝を忘れないことと言い換えても良い。それは、自分を産み育ててくれた、親や家族、社会や自然に対する感謝である。また、逆に言えば、その感謝を忘れなければ、苦しく、惨めな状況にはならないということでもある。それが増田が考える、アイデンティテーの確立(真の自己実現)である。

だが、周知のように、私の母体である極真会館は分裂を繰り返している。増田章の情緒的な表現だと、あえて断って言えば、「ふるさとがなくなりつつある」というような感じだ。ただ、数年前から松井館長と友人としても組織人としても和解した。それは、大変うれしいことであった。私の57年もの人生におけるドラマティックな展開の一つである。今私は、松井館長の努力、そして関係者の努力を尊敬し、私のみならず、多くの人のふるさとである極真会館を護ってもらいたいと思っている。また、思っているのみならず、私のやれることは喜んでやりたいと思っている。ただ、思ってはいるが、現実は生活に追われ、また自己の夢を追い求めた研究と修行に明け暮れる毎日である。

私は今、残された時間が少ないことを意識し、可能な限り、欲望を抑え、これまでの付き合いを無にするかのように生きている。時々、古くからの知人や友人のことを時々思い出すが、私は自身の生き方でお返しをしたいと思っている。 それを一言で言えば、「私はどんなに疲れていても、どんなに痛くても、どんなに苦しくても、死ぬまで元気である」と。変な言い方である。言葉が矛盾している。

あえて翻訳すれば、「疲れることもあるだろう、痛いこともあるだろう、苦しいこともあるだろう、でも死ぬまで、私は一つの夢を追い続ける、もしそうであるならば、私はいつも元気だ」と言うことだ。

【私の夢〜フリースタイル空手プロジェクトの転じ(転化】

私の夢とは、増田式だが、私は他のジャンルの人達と共感しあえ、かつ一目置かれるように、極真空手をより良い、高いレベルのものにすることである。そのために私は、極真空手の伝統は保存しつつ、新しい武道理念と形式を付け加えたい。それは増田の考案した独自のものだ。ゆえに他の空手人には強要はしないが、我が道場の仲間、家族には共有してもらいたいと考えている。草案だが、その理念と形式に「拓心武道(TSB)」と、私は名称をつけた。

その内容を簡単に述べれば、一人型ではなく、相対型を組手型とし、組手を「試し合い」とする。その試し合いのコンセプトは、「打撃を制する(制打)」「位置を制する(制位)」「心を制する(制心)」の3つである。それは、武術としての極真空手と大山倍達の空手の原点に戻ることでもある。

私は、その修練の理念を修道とし、その稽古と鍛錬の体系の根幹を修練体系として、改めて明確にしたい。当然、そこには組技や逆技が加わる(大山倍達の空手の半分はそのような技である。そのようなことを踏まえ、拙著フリースタイル空手では、組技や逆技を紹介し、その方向性を示したつもりである。だが、多くの人のニーズに合わなかったようだ。

昔、私の組織に所属したいという韓国の極真空手の組織から要請があった。その時は、フリースタイル空手を広めることを試み始めた矢先だったので、我々は極真空手のみならず、投げ技や逆技を修練すると伝えたら、我々の道場生には、そこまでの修練をする余裕がないというような趣旨のことを言われた。その人間は、柔道の五段位を有していて、自分には可能だが、道場生の希望とは異なるということであった。同様のことを自分の道場内などでも聞いた。

平たく言えば、私の理想とする空手武道を行うには、自分のスペックでは難しいということである。それでも、何人かは、一緒に活動をしてくれた。その仲間に感謝したい。しかしながら、私がなぜ組技や逆技を入れるかの真の意味を理解されていなかった。しかし、それは私のプレゼン能力が低いからだ。また、私の展開スキームに難があったからである。私はそれを軌道修正するために数年を費やした。それがもう少しで完成する。

新しいスキームの核心は打撃中心とした。それは、空手の原点回帰と言っても良い。新しい価値観の「試し合い法」の創設だが、伝統的な空手とも相性が良いだろう。さらに、組手型によって、極真空手のルーツである、大山道場の空手ではなく、大山倍達自身の空手技術を復元するという試みを考えている。その中に投げ技、逆技、武器術、護身術を含んでいる。

そのことは、極真空手の真の意味での伝統の継承になるであろう。しかし、伝統の継承を唱える者の常として、悪い意味での権威主義に陥るに決まっている(絶対に)。ゆえに、私は「技・体・心の合致」を目指し、「道(天地自然の理法)」を体得するための試し合いを創設する。そこには、神秘的な事柄や他の権威を利用することはしない。

だが、今までの経験上、自信が揺らいでいる。伝統的な極真空手の再現と新しい武道修練法としての「拓心武道」を現在の道場生が受け入れるかどうかである。慎重に行いたい。気をつけなければならないのは、私のせっかちな性分である。その性分を抑えなければ、私は道場を譲り、死ぬ前に一人の道を行くだろう。私が小学生の時、本を読み感銘を受けた「親鸞」のように。

もう一つの夢は、松井館長の極真会館を中心に、家族が和解することだ。そうなれば、私は肩書きを胸を張り「極真空手家」とするだろう。

最後に繰り返すが、野球人は野球家と自らを名乗らないし、周りもそうは言わない。しかし、中国の春秋時代の諸子百家の時代のつもりで現すならば、スポーツ全体を「スポーツ家」と呼称し、その中で特に優れた物(競技)と人を歴史に残すであろう。ここで抑えておきたいのは、〇〇家とは、その業界が現す思想的な事柄なのだ。もう一度いう、我々空手界に、明確な理念と思想があるだろうか。

 

以下は、フリースタイル空手を上梓した頃の写真。10年ほど前か。私も歳をとった。