極真空手を「新化」させる

私は道場生を空手に上達させ、さらに空手が一人ひとりの人生に不可欠のものになるようにと、高い理想を抱きつつ指導している。ただ、その高い理想が仇となり、逆の結果をもたらすこともあるかもしれないと危惧もしている。ゆえに最近の稽古指導は、プライベートレッスン(個別指導)の意識で指導をしている。その方が自身の研究にもなるようだ。まだまだ、指導方法は不十分ではあるが、稽古指導のフイードバックから稽古メソッド及び指導方法を研究することが、私のルーティンワークの一つとなっている。

【60歳の新しい黒帯が誕生】

そんな日々の中、私が教えているクラスで、60歳の新しい黒帯が誕生した。おそらく、黒帯取得までの道のりは、かなり困難だったと思う。よく頑張っていただいた。道場の主宰者として、大変ありがたく思う。さらに私は、その努力に低頭するとともに、本当に嬉しい。そして、これからも楽しく空手の稽古を共にしたいと考えている。

ここでその60歳の新しい黒帯について少しだけ書きたい。その道場生は、若い頃から野球をやられていたそうだが、とても股関節周辺の筋肉が硬い。おそらく、蹴りの練習を多く行う極真空手は辛いものがあると思われる。しかし、上段の蹴りが上がらない以外は、すべて器用にこなし、結構楽しそうに稽古をしているように見受けられた。

 

【稽古のやり方や意義を正しく道場生に伝える必要がある】

極真空手は、上段廻し蹴りを多く練習するところが良いところでもあるし、悪いところでもあるように思われる。もちろん、私は上段廻し蹴りの稽古を良いところだと考えている。しかし今、その稽古のやり方や意義を正しく道場生に伝える必要があると考えている。

それは上段廻し蹴りに限ったことではない。これまで私の道場で行ってきた、伝統技、組手技と多様な稽古内容を行う意義を、より正確に伝えなければならない。なぜなら、多様な稽古をただ行うだけでは、その効果を最大化できないというのが、私の考えにあるからだ。端的に言えば、多様な稽古を行うのには、増田が長年考えている稽古理論を踏まえなければならない。

その理論を道場生に伝え、空手の修練をより意義のあるものとしていくことが、私の切なる願いである。そのために、理論を深め、かつ高め、それを纏め上げたい。これから始める研究科と空手武道通信は、私の願いを実現するための手段だ。

さて、先述した60歳の黒帯のような人たちが長く極真空手を続けられるよう、稽古メソッドを創り変えたい。そして、個々人の可能性を広げ、人生を楽しんで行けるよう、空手をより進化させたい。そのためには、より汎用的でありながら、より個別的な対応をしていくことが重要だと考えている。しかし、一人ひとりに個別的に対応しようとすると、かなりの時間を要するだろう。

また真の事柄は面授でなければ伝わらない。しかし、面授を受けたからと言っても、「群盲、像を評する」と言っては、お叱りを免れないが、真が伝わっているとは思えない。だからこそ、提言したいのは、私が作る教本を先ず読み、空手に関する感度をチューニングしながら指導を受けていただきたいと言うことだ。なぜなら、私には若い頃の遅れと老化に抗う、困難な毎日がある。つまり時間がないのだ。ゆえに、出鱈目に進むのではなく、空手武道通信には、険しい山を登るガイドブック(教科書)のような役割をもたせたい。また私の幼少の頃、全盛期だったラジオのような役割を、今後もたせたい。ちなみに私の幼少の頃は、多くの者がラジオの番組で、音楽の素晴らしさを知り、それを我が物としたいと渇望していたように思う。

【私のいう「新化」とは?〜私の武道哲学】

最後に、私のいう進化とは、深化であり、新化と言い換えても良い。さらに「新化」とは、「一つと思える物事が、多様な物事の中に溶け込んでいくこと」である。また「多様に思える物事が、一つの物事の中に溶け込むこと」でもある。そのような考えが、私の空手観かつ武道哲学であると言っても過言ではない。