心と身体を強くする空手〜IBMA極真会館増田道場

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私の空手修行(上原智明1級/62歳)

私の空手修行

令和4年1月

極真会館増田道場・調布/上原智明1級

第1章 空手との出会いと挫折

   私の空手との出会いは、私と同世代の多くの方々と同様に、大山倍達先師の半生を描いた「空手バカ一代」の劇画とアニメ、「地上最強の空手」などの一連の映画、すなわち「極真空手」であった。その圧倒的なパワーと高度な技術に子供心をすっかり躍らされ、「自分も強くなりたい。」と思った。

   大学に入ったら、空手部に入ろうと決めていたが、入学した大学に極真空手の空手部、同好会が無かったので、いわゆる「伝統派空手」である和道流の体育会空手道部に入部した。極真空手では無かったが、空手を学べる喜びで、週6日の稽古と年3回の合宿に耐え、同期生十数人の中で、一番早く初段を取得することが出来た。しかし、順調だったのはここまでで、以降、伸び悩む事になった。それは当時から現在まで続く、「寸止めルール」による組手稽古と試合が大きな理由であった。寸止めルールの攻撃部位は、上段の顔面、中段の腹部(下段、脚部は無し)で、突きと蹴りによって攻撃するが、防具を着装しないため、直接当てることは禁じられ、突き、蹴りを、直前で止めるか、若しくはスキンタッチまでは良い、とするものである。

  折角、基本稽古により力強い突き、蹴りが出来るようになってきたのに、止まっている相手ならまだしも、動いている相手に、稽古してきた力強い突き、蹴りを出すと、寸前で止められず、当ててしまうことになる。その結果、組手稽古においては、初めから「直前で止めるように作られた突き、蹴り」を練習することになり、念頭に「直接打撃の極真空手」があった私には、本末転倒のような気がしてならなかった。すなわち拳は固く握らず、肘から先に延ばすだけで当たる瞬間に拳の力を抜いてしまうものである。蹴りも、豪快な上段回し蹴りは、寸止め不可能なことから、ほぼ使用不可で、接近戦から引きながら軽く蹴って止める程度の上段蹴りを練習したりした。最近の組手試合では、止めやすい裏回し蹴りやサソリ蹴りなどの変則的な蹴りが多用されている。また、寸止めルールを守らず、顔面を突き込む者がいることにも閉口した。組手稽古中、間合いに入ってきた相手に、カウンターで顔面を突きで寸止めしても、相手は当たらないことを良いことに、そのまま出てきて、私の顔面を殴ったりする。「先に上段突きが入っている」と主張してみても、痛い思いをするのは私なので、腹立たしかった。公式戦も同様で、特に私立大の強豪校の選手は、試合中に、上段突き(寸止め)を取られた、と思った直後に、反則の上段突きを意図的に当て、こちらが体勢を崩すと、審判も、決まったはずの上段突きを取らず、反則のポイントだけになることが多々あり、丁寧に試合をしている自分が馬鹿馬鹿しくなることが多々あった。

   最も良くないと思っていたのが、攻撃が当たらないことを前提にしているので、組手稽古において、受けをほとんど稽古しないことであった。組手の受けは、寸止め前提なので、腕や手を入れるだけで十分で、いつも「極真空手なら蹴り技で腕をへし折られるだろうな」と感じていた。そんなことから、組手稽古に身が入らず、団体戦のレギュラーも定着せず、試合結果は勝ったり、負けたりと、目立たない選手のひとりで、モヤモヤと疑問を感じながら、4年間の空手道部生活を、挫折感を持ったまま終えてしまった。

第二章  社会人としての空手・武道修行

   大学卒業後、警視庁に就職し、学生時代のリベンジを図るべく同庁空手道部に入部した。現在の同チームは、全日本実業団の中でもトップクラスの成績を保っているが、当時は、未だ黎明期であり、部員は、勤務終了後に集まり、稽古をする同好会的なもので、稽古内容は、実業団大会での組手試合で勝つための、寸止めルールによる組手稽古であった。
学生時代と同様に、組手稽古の中で、組手に慣れていく稽古方法であり、顔面部の怪我が多く、モヤモヤは払拭されることは無かった。一方で、警察に入ってから必修科目として始めた剣道と逮捕術は、防具を使用した武道、格闘技であり、ルール上の矛盾が少なく、熱中し、警察署の代表選手として対抗試合に出ていた。また和道流空手道の剣術的、柔術的な動作に基づく約束組手や形に興味を持ち、和道流出身の先輩から手ほどきを受けたりしていた。剣道と逮捕術は、半分は仕事のうちであったので辛うじて継続していたが、空手は、業務多忙を言い訳に、30歳代以降は、稽古から完全に離れてしまっていた。

第三章 増田道場との出逢い

     稽古から遠ざかっていたものの、極真空手には継続的に興味があり、「パワー空手」、「ワールド空手」と読み継ぎ、関連するレンタルビデオを見たりしていた。そうした中、平成25年の春に調布警察署勤務になり、調布市内の官舎に住むことになった。調布駅から官舎へ帰宅途中に、たまたま極真空手の看板を見つけ、以降、道すがら、稽古風景を眺めるようになった。パンフレットを持ち帰り、内容を確認すると、増田章氏が主宰している道場だと知った。同氏は、書籍や雑誌、テレビ、ビデオでしか存じ上げなかったが、私と同世代の極真空手を代表する空手家であり、松井、緑両選手らとの激闘は鮮明な記憶があった。私の憧れの選手でもあったことから、「これは何かの啓示か因縁であり、フルコンタクト空手を始められるか不安もあるが、扉を叩いてみないとならない」と思い至り、7月中旬、思い切って稽古の時間を選んで訪問した。

   道場には、高澤指導員がおられ、私が「この歳(当時53歳)からでも、極真空手を始められますか」とおずおずと尋ねたところ、高澤先輩が「もちろん出来ますよ!」とはっきりと答えて頂き、その場で入会を決意した。今、思い返しても、この出逢いは、私の人生にとって、本当に幸運であったと思っている。

    稽古が始まると、その稽古内容に目を見張った。基本稽古に多くの時間を割き、型稽古もしっかりやったのち、組手稽古に入る。先ずは受け技を稽古し、約束組手として受け返しを何度もやり、最後に自由組手になる。全身から汗が吹き出し、当初は大腿部に蹴り技を数多く受けた。足を引き摺って帰宅することも多かったが、いつも充実感で一杯だった。
調布道場には、私と同世代で黒帯の清野、高澤、平尾先輩がいらっしゃり、組手稽古は厳しかったが、時には稽古後、懇親会に誘われ、空手談義で盛り上がり、とても励みになった。また秋吉師範代の明るく、親切で、優しい人柄ながら、稽古は厳しく、しっかりと汗をかかせる指導に完全にハマってしまった。

    伝統派空手と全く異なる近い間合いと、近間からの強烈な打撃に戸惑い、伝統派の組手方法を根本的に変えなければ、極真空手には対応できない、と感じた。それでも徐々に防御技を習得するにつれて、打撃を簡単には貰わなくなり、組手の稽古が楽しくなった。顔面以外の部位であれば、打撃を当てる際に、力を加減するなど融通が利くので、老若男女を問わず、誰とでも稽古できる極真空手の良さを知り、極真空手が世間に広まっている理由がよく分かった。

    また増田師範の「フリースタイル空手」「吾、武人として生きる」「勝てる歩法」などの著書や道場通信、ブログなどを読み漁り、増田道場が、組手稽古の理法(原理原則)を常に考えていることが良く分かり、私の組手に対する長年のモヤモヤが解消されていった。そして、数ある極真空手の中でも、よくぞ増田道場と出逢えたものだ、と幸運を感じた。今では、デジタル空手武道通信、同教本において、より深く、細かく記載されており、動画視聴も出来て、極真空手を学ぶのに、これ以上の環境は無いのではないか、と思っている。

   その後、職場の異動もあり、調布道場のほか、高田馬場道場にも通うようになり、坡場先生はじめ多くの指導員から指導を受け、社会人道場生の仲間も増え、楽しさも倍増した。それでも黒帯の先輩との組手は恐怖心で一杯であり、腹部を叩かれ効かされたり、足を蹴られて歩けなくなったり、と色々と困難はあった。当時は漠然と、「スパーリングは面白く、試合にも興味があるが、この歳で直接打撃制の試合に出ることは困難だろうな」と感じていた。試合に参加することなく、稽古を継続するモチベーションをどうするか、が問題であった。

第四章 TSルールによる試合組手への挑戦

      増田道場に、防具が導入され、TSルールとして、稽古法、試合方法が整備された。私は、これまでの武道経験から、武道稽古に防具は不可欠と考えており、さらに消耗戦でなく、ポイント制で勝敗を決するTSルールは、理にかなっており、大歓迎だった。

    令和元年11月にTSルールによる組手セミナーが行われ、初めて顔面と胴の防具を付けて、「顔面突きなし」ルールで試合を行った。突き、蹴りを全力で出せる気持ち良さを実感し、また怪我無く試合を終えられたことからも、社会人でも参加できる、とても良いルールであると感じた。また師範の講話で、「相手の一撃を喰らわずに、一撃を当てる。一撃で決める。」との言葉に感銘を受けた。最後に、急遽、エキシビジョン的に、清野先輩と「顔面突きあり」ルールで試合を行うことになった。TSルールでの「顔面突きあり」は、私には、稽古も試合も全く初めてであったが、伝統派空手の要領で、遠間から飛び込む上段突きで対応できると考えていた。しかし試合早々、全く役に立たないことを思い知った。清野先輩は、上段を肘で確実にガードしており、私の拳が面に全く当たらない。狙いを中段突きに切り替えたところ、突きを捌かれ、上段かぎ突きをまともに貰い、目の前に火花が散る感覚があった。その後も、近間でのかぎ突きを続けて2本貰い、あっという間に負けてしまった。「顔面突きあり」の恐ろしさを体感する一方で、あれほど激しく叩かれながらも、試合後のダメージが少ないことが分かり、このルールなら、自分でも試合に出れるのではないか、と思った。

   自分の上段の防御の甘さを猛省し、その後の組手稽古のテーマは専ら、防御法であった。コロナ禍のなか、TSルールは、「顔面突きあり」に一気に移行し、組手セミナーの1年後の令和2年11月から、月例試合が始まった。私は、若い時分の伝統派空手の組手稽古・試合での挫折を乗り越えるためにも、積極的に参加しようと心に決めていた。ちょうど、同年秋に、警視庁を退職し、時間的余裕が出来たことから、稽古量が増え、ズーム稽古を含めると、稽古日は月10日以上となり、稽古内容も充実してきた。特に、増田師範により、そのまま実際の組手に使用できる組手型が、基本から応用まで整備され、道場生は、自分の力量に合わせて、実践的な組手技を、易から難へ、段階的に修練して行けば、誰でも確実に組手に強くなれる、言わば「組手上達システム」が出来上がったことは、斬新かつ画期的であると思った。目の前に、組手上達の階段が準備されていて、昇らない選択は無く、「上手くなりたい。」と強く思うようになった。

    しかしながら、私には、試合で使えるレベルに仕上がっている組手型は、未だ2~3技しかないのが現状で、先は目が眩むほど長い。また組手型で練習した技を試合で使って防御したい、打撃を決めたい、と思いながらも、試合では精神的な緊張や興奮があり、上手く決まらず、毎回、反省ばかりだった。それでも、まれに組手型で練習した防御や攻撃が決まった時は、大きな達成感を感じることができた。相変わらず、清野先輩には歯が立たないものの、この1年間で、15戦を戦い、13勝する成績を収めることが出来た事は、「この歳でも組手がやれる!」と、私にとっては大きな自信となり、若き日の挫折を、60代にして乗り越えることが出来たように思う。

第五章 昇段審査を受審して

     令和2年の昇段試合と昇段講習に参加していたが、腰痛の発症により、審査は途中棄権となり、今回は1年越しの受審であった。腰痛を治療し、稽古量を維持し、月例試合もこなし、万全の態勢で審査に臨んだものの、型の部で再審査となった。自己採点通りであり、反省と納得の再審査であった。

    私は、和道流のピンアン1~5の挙動が先に身体に馴染んでおり、極真流ピンアンへの移行にとても苦労した。道場をお借りし、何度も自分の型を映像に収め、師範代に送信し、チェックをお願いした。その度の丁寧な回答はとても有難く、自分自身で出来るまで繰り返すことができ、これらの過程は、直接指導に匹敵する効果があったと思う。これまで型稽古はあまり熱心ではなかったが、きっちりと習ってみると、とても奥深く、各挙動が他の型と共通する部分があり、途中から相乗効果も出て、自分でも短期間に上達できたように感じた。

    今般、昇段審査合格の報を頂き、安堵した以上に、これからは、極真の黒帯として恥ずかしくない基本、組手、型を体現するために、より一層、真摯に稽古に取り組まなければならないと身が引き締まった。特に試合組手は、サウスポーの優位性から勝たせて貰っているようなものなので、決して勝ち数に奢らず、相手に対策を取られても、なお勝ち切れるよう、徹底して組手型を修練していきたい。また基本稽古を疎かにせず、苦手の型稽古や柔軟運動にも真剣に取り組み、苦労する過程において極真の黒帯にふさわしい人格形成を図っていきたい。

     最後に、昇段まで導いてくださった増田師範、秋吉師範代はじめ、指導を頂いた先生・先輩方、一緒に稽古に参加し、基本稽古、型稽古、組手稽古、筋トレで共に汗を流した道場生の皆さんに心から感謝を申し上げたい。

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