2022年8月 デジタル空手武道通信 第61号・巻頭コラム~有効打という認識・視点より
有効打という視点と認識
【戦術的修練】
多くの流派の組手は攻撃力の増強に偏りがちだ。スピード、パワー、スタミナは重要だが、それだけだと「体力が全て」という誤解を招く。武道の核は、技術と戦術、すなわち攻防の運用法を学ぶ「戦術的修練」にある。
戦術的修練とは、攻撃技と防御技の使い方を体系的に学ぶことだ。その前提があるからこそ、攻撃技の精度が上がり、技を活かす技能が養われる。技の強化だけでは、状況適応の力は育たない。
【他打撃系との比較】
ボクシング、ムエタイ、キックなどと比べると、空手競技者の戦術感覚と打撃技能は劣る場合が多い。独自の蹴り技は発達したが、「最強」と自賛するのは早計だ。ルールの違いで課題を覆い隠すべきではない。
他競技は打撃ルールに共通項があり、技能の構成要素も近い。対して空手は「当てない」「顔面突き禁じ手」等の規定が技能発達を阻害してきた面がある。安全性の確保は意義深いが、武術的感覚や技能の劣化も招いた。
私は流派の優劣を論じたいのではない。肝要なのは「格闘技術を磨き、様々な局面で活用する技能を養う」という認識だ。競技ルールへの過度な順応は、武道の独自性を失わせ、スポーツ以下へ堕す危険がある。
未熟なルール内の勝利を盲信し、攻撃偏重に囚われる姿勢には、精神の抑圧すら感じる。社会的影響を望むなら、普遍的で妥当な価値基準が要る。要は、防御意識と防御技能の未発達を正面から是正すべきだ。
【「有効打の視点」を競技判定に加える】
対策として「有効打」の視点を競技判定に加えるべきだ。これにより、当てるだけでなく防御を考えるようになり、選手・審判・観客が技能の優劣を理解できる。空手競技に新たな価値と魅力が生まれる。
判定改革の提案②
ダメージやKO偏重、短時間・限定的ルールの継続では技能は育たない。ラウンド制の拡充や有効打判定の導入は、防御技能の向上を促し、攻撃を有効化する「作り」の意識と技能を芽生えさせる。
【駆け出し期の体験】
若き日の私は、攻撃力で勝る相手に対し「受け技」を徹底稽古して臨んだ。第18回全日本では右手負傷で左手と足技のみで戦う。恐怖と不眠の中、「生き残る」を合言葉に、退き身・入り身・回り込みで位置と間合いを制した。
左右の位置取りと足使いは、柔道に加えレスリング経験が土台となった。タックルに即応し、防御し崩し、位置を奪う原理は、打撃にも応用できる。私はそこに「格闘の原理」と技能の源泉を直感した。
【後の先への転換】
長い修練で、私の闘い方は、攻め一辺倒から「受けて崩し、攻める」後の先を取る闘い方へと移行した。被弾を最小にし、自分の攻撃だけを正確に当てる技法を追求。しかし極真界でこれを目指す者は稀だ。根因は顔面禁止ではなく、有効打不在の判定観にある。
攻撃判断が曖昧だと精度は伸びず、防御は等閑になる。判定の不明確さに依存し「打たれ強さ」と「手数」で優位を狙う戦術が生まれ、一撃必殺の理想は霞む。多くのKOは、相手防御の未熟に刺さった結果である。
【師の教え】
幸運にも、浜井識安先生と山田雅俊先生は攻撃と防御を対で教えた。浜井先生は上段回し蹴りの連係と、その防御・応じ技を同時に指導。山田先生はまず「スネ受け」を教え、確実に効くローの攻防をセットで伝えた。
共通点は、攻撃の有効性と同時に防御を教え、理論として言語化してくれたこと。私は豊富な情報と経験を授かり、学びの軸を得た。他流の漫然な摘み食いではなく、体系的理解が技能を育てると痛感した。
【ムエタイに学ぶ】
大阪時代、強烈な下段で知られた故・大西靖人氏との稽古で、防御法を試行錯誤の末に体得。後にそれがムエタイの基本と知る。ムエタイは有効打判定と年間多数試合の現実が、防御と攻撃の双方を高水準に育てている。
【「作りと掛け」】
攻撃だけを知っていては、強者には勝てない。攻撃が有効となる「情況」を創る発想が要る。情況を瞬時に捉える感覚と、自技を活かす技能、そのための精度高い攻撃と「作り」のための防御が不可欠だ。
嘉納治五郎の「作りと掛け」の概念を、打撃にも応用する。私の定義では、「作り」は相手を防御困難に陥らせること、「掛け」はその機を捉え心身を最善に活用して技を放つこと。崩し—作り—掛けが中核となる。
【既存競技に足りないところ】
技能修練は「崩し—作り—掛け」の理法習得である。だが競技偏重は柔道をも変質させた。腰を引き、組手争いに終始する姿勢は、勝負上必要でも、武道の真髄からは遠い。原理の自由な交流こそ学びの核だ。
自他の崩れを知り、作りで機を開き、決定技で表現する。そこに新たな技と技能が生まれる。空手は柔術的理法や発明者不在ゆえ構造が弱いが、ルーツには共通性がある。課題は組手法の未熟さにある
【攻撃を有効化するには】
一般道場では「先を取る仕掛け」を基本とするが、相手の攻撃を無視した先制は強者に自滅を招く。安全性を担保しつつも、位相を上げるには危険を想定した修練が必要だ。私は安全と武術性と技能養成の両立を探究している。
【TS方式(ヒッティング方式)】
新たにTS方式の組手を導入し、相手動作の中から有効間隙を見出す意識を育てる。無駄打ちを減らし、崩れ・隙・消耗を最小化。防御技で瞬時に崩し、攻撃を決める状態を作る技能を鍛える。若手の上達は著しい。
【流れを捉える】
実際の戦いは流れの中にある。過去—現在—未来がつながる時間の流れで、相手を防御困難にし、機を捉えて最善の技を出す。相手の崩れを知り自己を活かす――これが拓心武術の「作りと掛け」であり、流れを見る眼だ。
【武術の精神】
武道は、まともに被弾すれば絶命もありうる精神を核に持つ。ゆえに、相手の技を見下さず正確に読み取り、自分の技を最善に活かす理法を求める。門下生には「技能」の重要性、すなわち攻防表裏一体の修練を求めたい。
【表裏一体の原理】
「より善い攻撃の原理」は、そのまま自己を護る原理でもある。攻撃と防御は相生であり、一方の理解が他方を深める。これを理解せねば、自己を最善に活かし進化させることはできない。
【不敗の境地】
攻防表裏一体の修練には「有効打」の視点が不可欠だ。手数やダメージ偏重、急所を打たない組手では認識が育ちにくい。厚い壁はあるが、まず壁の本質を自覚し、乗り越える意志が必要だ。
「攻撃は最大の防御なり」を全面否定はしないが、絶対視は危うい。私なら「防御の心は攻撃の心と一致する」と教える。武道は不敗を目指すが、敗北を恐れず、敗北から智を生む人間を育てる営みでもある。
武術の目標は「勝つ」かもしれない。だが私の武道は「不敗の境地」を志す。生死を賭す闘いを乗り越え、新たな境地を切り拓くこと――そこに武道の価値がある。












