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拓心武道論〜拓心武術の目指す能力開発

拓心武道論〜拓心武術の目指す能力開発より

●2022年8月 アメブロ

 

                       

増田 章の著作(拓心武道)

       

 

 

拓心武道論 拓心武術が目指す能力開発

TS方式の組手は野球選手ならすぐ上達するのか

私は仮説を持っている。それはTS方式の組手は、野球選手なら短期間で上達するというものだ。
なぜなら野球選手は、「相手(投手)の投球を予測し、そのボールに正確に反応する能力」を鍛えているからだ。バットで打つ、グローブで捕るという行為には、動体視力や反射神経が深く関わる。
野球では「素振り」「トス・ティー・フリー・シートバッティング」、そして「キャッチボール」などの練習を通じて、道具(ボール・バット・グローブ)と身体動作の協調を高める。この力があれば、拓心武術の上達は速いはずだ。もし上達しないなら、技術原理や身体運用の原理理解が欠けている。真の上達は、原理の理解と体得にある。

サッカー/バスケットボールと「共有空間」の読み

サッカーやバスケットボールの選手も同様の能力を開拓している。両競技はオフェンスとディフェンスが同じ空間を共有するため、相手とボールの位置変化を理解・予測し、それに即応する力が不可欠だ。この力はTS方式の組手で生きる。
先日の月例試合では高校生の阿部大和君が、蹴りの使い方と間合いで優位に立ち上達を示した。彼はバスケット部で、対人対応の要素が多い練習の蓄積が影響したのだろう。――「相手の位置と、そこから出るであろうボール(動き)を予測し対応する」能力は、格闘技にも直結する。

相手対応を軽視する弊害と空手競技の課題

この能力の重要性を理解できない者は、自分の動きに意識が閉じ、相手対応ができない。本来、剣道・レスリング・ボクシングは相手動作の予測が要となる。
空手では、競技ルールや判定法の偏りから、その能力が等閑視されがちだ。とりわけ打撃攻防のイメージに偏見がある(極真空手の影響も一因)。ここは丁寧に論じるべきで、近く続編で整理したい。

私的背景 不器用さと原理探究

私は野球や球技が得意ではないし、元来不器用だ。ただ、悔しさを糧に幼少期から独自に身体操作を鍛え、空手では一定の身体運用ができるようになった。時間をかけ、身体の原理を理解すれば多くは可能になる――その実感がある。問題は、練習時間の確保と、原理を教えられる指導者との出会いだ。
私は球技の良い指導者には出会えなかったが、格闘技では可能性を見出してくれる師に恵まれた。幼少期、社会から排除されかけた感覚があり、格闘技で自己の可能性を証明せねば生きた心地がしなかった。その恐怖と屈辱が今も原動力だ。既存の価値観や構造を見直し改良すれば、より多くの人の能力開発に資するはずだ。

構造と技術の「還元」による上達

スポーツも空手も、構造と必要技術を「還元」して理解すれば誰でも上達できる。拓心武術の目的は、他者との優劣ではなく、各人の能力を最大限に開拓・活用することにある。
サッカーやバスケットで上手くなる要は、対人局面での予測と対応力(もちろんシュートやパスの精度も)。この力がある者は、拓心武術にも早く適応する。好きで考え続けられる情熱は必要だが、肝要は「能力の内容」を理解することだ。

野球の予測能力と情報読解

野球は投手の球種や配球を読むため、打者は多くの情報を抽出・分析し、予測の網を張って対応する。長年高打率を保つには、その感覚と能力が要る。サッカーやバスケットでも本質は同じだ。

究極のプレー 無意識のデータベース

また多くの球技選手には、相手やボールの位置変化に対する予測・反射能力が形成されている。優れた選手は、状況情報を察知して次を読む力を持つ。部分と全体の「形」から相手の次動作を予測する力だ。

その力を得るために野球選手は、相手の技(プレー)の形から意図や強弱を無意識下で理解し、データベース化する必要がある。蓄積から必要情報を瞬時に取り出し、身体の反射系と結びつける――この能力は誰にでも形成可能だ。ただし、多くはその存在を信じず活用もしない。AIの発達で可視化は進むだろうが、最終的に人の尊さは、経験から得たものを自ら活かす営みにある。失敗や敗北をどう活かすかに人生の価値がある。

格闘技と球技には共通面もあるが、格闘技は痛みやKOへの恐怖が伴う。この部分を特別視、かつ価値を過大視すると、精神論至上主義に陥る。精神は重要だが、偏重は禁物だ。
究極のプレーを求めるなら、格闘技はコンタクト以前の時空間を読み取り、若者としなければならない。同様に非コンタクトの球技もボールを介して相手と時空間を我が物とする必要がある。

既存機能の再利用(活性化)

「投球を予測し正確に反応する能力」を司る領域(敏捷性・平衡性・巧緻性などの神経回路)は、一般に幼少期(~6歳)に発達するとされる。しかし私は、幼少期以降や老年期でも発達(活性化)は可能だと考える。

私の立場は、医学的意味での“新規発達”に限らない。既に形成された機能を再利用(活性化・活用)し、その核を基に心身機能を高め、新たな機能獲得へつなげるという見取り図である。既存機能を組手技能へ「変換」していくなら、生涯上達は可能だ。歩行や把持など基本機能があればよい。前提は、再利用のための技術原理を理解することだ。

原理を追求する人〜”武道人”の定義

原理には深浅があり、頭での理解と身体での体得の二層がある。目指すべきは、より深い原理を、思考と身体の双方で掴むこと。入口はどちらでもよいが、最終的には両層で統合し、さらに深める。そうして武術は「人を活かす次元」へ昇華する。ゆえに武道人とは「原理を追求する人」である。単なる愛好者ではない。

私自身、先達の技術原理を理解できる部分もあれば、未だ届かぬ部分もある。浅い原理であっても共有し、高め、深めていく――それが拓心武道の姿勢であり、生涯かけて道を求め続ける私の在り方である。

嬉しい成果〜壮年の上達

月例試合で、壮年部の鈴木智氏がTS方式の組手で上達を示した。幼少期は運動が得意ではなくインドア派だったが、今は山歩きを楽しむ空手有段者。2試合のうち1勝、もう1試合は優勢ながら負傷中止だったが、上達は明らかだ。持久力と意欲があれば、幼少期の運動経験が乏しくても上達できる。
拓心武術の修練法は、老年期でも既存機能の再利用により、敏捷性・平衡性・巧緻性など(大まかに運動神経と呼ばれる)を活性化できる。幼少期ほど伸びなくても、刺激すれば活きる。楽しい身体活動のためにも重要だ。

「人を活かす技術・技能」へ

年齢を問わず、敏捷性・平衡性・巧緻性を司る神経回路を活性化し続けることは、身体活動の大黒柱である。技術習得への意識は脳も心も刺激し、活力を与える。だからこそスポーツは社会体育として有用であり、武術・武道も同様である。

武術・武道を社会に有用なものとするには、修練の原点と構造を明確に理解し、改良して活かすことが要る。そうすれば、武術は「殺傷の技」ではなく「人を活かす技術・技能」の習得手段となる。

実現の条件〜理念の共有と行動

この転換を実現するには、磨き合い・高め合いの仲間が修練理念と目的を理解・共有していることが不可欠だ。理解がなければ稽古は楽しめず、仲間を能力向上のパートナーとして見られない。指導者は目的・理念を明確に理解し、伝え、実践し続ける責務がある。

現実は打算的価値観が根強いが、優れた指導者の育成、あるいは社会全体の価値転換が鍵となる。とはいえ、変化を待つのではなく、少数でも理念を具現化するため行動する。盲信ではなく、試し、考え続ける。その生き方こそ、新しい社会の在り方・価値観の一つだと私は信じている。

 

 

 

 

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