増田 章(ますだ・あきら)―極真空手の歴史に名を刻む武道家

選手時代の活躍
増田章は、18歳で全日本空手道選手権大会に初出場を果たし、いきなり全日本3連覇王者・三瓶啓二との対戦に臨んだ。延長3回に及ぶ激闘を戦い抜き、その名を全国に知らしめることとなった。その後、第14回・第17回・第18回大会では、松井章圭(現・極真会館館長)と名勝負を繰り広げ、故・黒澤浩樹とともに“極真会館三強時代”を築いた。
世界選手権では、第3回大会でベスト16に進出。ヨーロッパチャンピオンのミッシェル・ウェーデル、全日本王者・大西靖人と対戦。続く第4回大会では、アンディ・フグ(故人)、マイケル・トンプソンら強豪選手を相手に第3位入賞を果たす。さらに第5回大会では、石井豊、ジャン・リビエール、緑健児といった名選手と激戦を繰り広げた。
「無冠の帝王」からの悲願達成
全日本選手権に通算8回、世界選手権に4回出場し、常に上位入賞を重ねながらも、長らく優勝には届かず「無冠の帝王」と呼ばれた増田。しかし、衝撃のデビューから約10年を経た第22回全日本選手権にて、ついに悲願の初優勝を果たす。
伝説の「100人組手」
全日本王者となった翌年、増田は極真会館伝統の荒行「100人組手」に挑戦。3時間22分にわたり100人と連続で戦い抜き、見事に完遂。だが直後、急性腎不全を発症し、1ヶ月以上の入院と闘病を余儀なくされた。回復しきらぬ中で臨んだ第5回世界選手権では、決勝戦で3度の引き分け判定の末、体重判定により惜しくも準優勝となった。
武道人育成への道 ― IBMAの設立
2000年、武道の発展と人材育成を目的として、NPO法人・IBMA(国際武道人育英会)を設立。「交流・理解・尊敬」を理念に掲げ、全日本ウェイト制空手道選手権大会を10回にわたり主催した。
2012年からはIBMA極真会館の主席師範として、空手道の普及に尽力。さらに現代のニーズに応じた「フリースタイル空手プロジェクト」を推進し、空手の進化と国際化に貢献し続けている。
競技実績
- 1980年:第2回 北信越空手道選手権大会 出場 第2位
- 1980年:全日本硬式空手道選手権大会 中量級出場 第3位
- 1981年:国際空手道連盟 極真会館 第13回 全日本空手道選手権大会 出場
- 1982年:国際空手道連盟 極真会館 第14回 全日本空手道選手権大会 出場 第8位
- 1983年:国際空手道連盟 極真会館 第15回 全日本空手道選手権大会 出場 第5位
- 1984年:国際空手道連盟 極真会館 第 3回 全世界空手道選手権大会 出場 ベスト16
- 1985年:国際空手道連盟 極真会館 第17回 全日本空手道選手権大会 出場 第3位
- 1986年:国際空手道連盟 極真会館 第18回 全日本空手道選手権大会 出場 準優勝
- 1987年:国際空手道連盟 極真会館 第 4回 全世界空手道選手権大会 出場 第3位
- 1988年:国際空手道連盟 極真会館 第20回 全日本空手道選手権大会 出場
- 1989年:国際空手道連盟 極真会館 第21回 全日本空手道選手権大会 出場 第4位
- 1990年:国際空手道連盟 極真会館 第22回 全日本空手道選手権大会 出場 優勝
- 1991年:国際空手道連盟 極真会館 第 5回 全世界空手道選手権大会 出場 準優勝
増田章の著書、記事、他
- 2007年:フリースタイル空手(ノベル出版)
- 2009年:吾、武人として生きる(東邦出版)
- 2010年:勝てる歩法(東邦出版)
- 増田 章に関する雑誌記事、その他
- アメーバブログ:増田章 身体で考える
- 拓心武道論(電子書籍・Kindle版)最新(2022-3-12)
- 心撃不敗の修練理論(電子書籍)
増田章プロフィール
- 1962年5月生まれ
- 身長:177cm /体重:92kg
- 石川県金沢市生まれ
- 空手道九段(極真世界連合 SENSHI 認定)
- IBMA(国際武道人育英会)理事長
- IBMA極真会館増田道場 代表師範
- IBMA極真会館(八段)
- 極真世界連合(KWU-SENSHI )会長 2023年より
- 極真空手九段(KWU SENSHI公認)



















