現代武道の将来~極真競技の将来に向けて
増田 章
【技術と技能】
極真空手に限らず、現代の多くの空手流派における組手競技は、攻撃力の増強に偏重する傾向を強めてきた。そしてスピード、パワー、スタミナといった身体能力が勝敗を左右する主要因とみなされてきた。同時に、それらを高めることが競技力向上の中心課題と理解されてきた。これらの要素が重要であることは疑いない。だが、それらをもって競技の本質と見なすことは十分とは言えない。
他の打撃系格闘競技におけるトップレベルの競技者や指導者の見解には、共通する認識がある。「勝負を分けるのは体力ではなく技能である」という点である。この認識は極めて重要である。
ここで言う「技術」とは、打撃技術、防御技術、移動(運足、体重移動)技術、間合い操作技術といった個々の具体的技術を指す。また「技能」とは、それらの技術を状況に応じて有効化し、同時に相手の技術を無効化する運用能力である。そこには判断力、間合い感覚、主導権の掌握、防御から攻撃への連結といった総合的能力が含まれる。体力は必要条件ではあるが、勝利を保証する十分条件ではない。体力を競技の中で善く使い切るためには、技能が不可欠である。勝敗を分ける核心は、この技能に存する。
【心力】
現代社会における武道修練の意義は、単なる体力強化や旧来的精神論に求められるべきではない。これを深化させた概念として「心力(Shinryoku)」を提唱する。
「心力」とは、恐怖心を制御する力、自己と他者の関係を調整する力である。言い換えれば、平常心を保ちながら「覚悟」をもって行為を選択する力である。対人競技は、闘争的関係の中で自己を保ち、相手を客観的に理解し、呑み込まれない意志を維持することを要求する。その過程で生じる葛藤や矛盾を乗り越える経験こそが、人間形成に資する。
しかしながら、格闘競技は価値観を誤れば、「力によって相手を屈服させること」を最上とする方向へ容易に逸脱する。その逸脱を防ぐ原理は、競技を成熟した思想に基づく公正な競争として構築することにある。ここで言う公正とは形式的平等ではない。競技者の努力の方向性を正しく導く判定構造そのものである。
【競技の定義】
競技とは、打撃技の攻防における技術と技能を競う営為である。攻撃の優劣のみを競うのではなく、攻撃と防御が相互に作用する局面において、いかに技能を発揮できるかが本質である。
ところが現行の競技構造は、防御技術と技能を十分に評価しているとは言い難い。「一撃必殺」を標榜しながら、実際の競技ではそれが成立しない構造を抱え、その矛盾を自覚しないまま継続してきた側面がある。
武道や空手競技の意義は、人を殺傷する技術の鍛錬にあるのではない。現代的意義は、攻撃技と防御技のより善い活用法を競技者自身が内的に獲得する点にある。
「ボクシング」「ムエタイ」「キックボクシング」などの格闘競技と比較すると、異なる価値観や構造が見えてくる。極真空手競技には戦術感覚や技能運用の面で改善の余地がある。一方で、独自の蹴り技の発達は評価に値する。しかし、そのことをもって自らを最強と称する価値観には疑義が残る。安全確保は必要であるが、顔面への手技を禁止するルール設計が普遍的技能の発達を阻害している側面も直視すべきである。
【競技のゴール】
多くの競技のゴールは、最高の攻撃(有効打撃)を生み出すことである。その前提として、自己の攻撃を有効打撃とし、相手の攻撃を無効化することが必要である。攻撃数を増やすことではなく、自己の技を有効化し、同時に相手の技を無効化する攻撃こそが目指されるべきである。
この概念を競技の中心に据えることで、努力の方向は「技能を高める」ことへと収斂する。したがって、極真空手競技においては、判定基準の第二順位に「有効打撃」を明確に位置づけるべきである。また、防御技術と主導権の優劣を評価し、罰則は安全確保の補助的基準とすべきである。
技能を競う競技において、体重判定や試割りによって勝敗を決することは理念に反する。競技者が「技能で勝敗が決する」という確信を持てなければ、長期的修練は継続されない。最終延長では技能差を判定で切り分ける方式を採用すべきである。試割りを重視するならば、別競技として独立させるべきである。
【武道とスポーツ】
武道とスポーツは同義ではないが、社会における平和秩序の形成に貢献し、有為な人材を育成するという点で共通し得る。武道は人格形成の手段であり、競技はその方法の一つである。スポーツは人間形成の手段であり、競技はその手段である。
人格形成は、自己の根源と理想に向かう垂直の軸を必要とする。人間形成は、自己と他者を等しいものとして扱う水平の軸を必要とする。この立体的二軸を有する人間こそ、多様な歴史観や現実を超越し、人類の将来に資する存在となり得る。
そのためには、競技を精神論ではなく、努力の方向を規定する構造として設計し、検証し、更新し続けなければならない。極真競技がその方向へ向かうとき、現代武道としての進展が現れる。
武道ならびに極真競技を「技能の競争」として明確に定義し、有効打撃を判定構造の中核に据える競技構造を構築する。そのことにより、競技・審判・稽古体系を連動させ、競技者の技能と心力を育てる。この方向性が共有されるとき、極真競技は現代社会における武道としての価値を回復する。これこそが本稿の核心である。













