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編集後記 第76号 私にとっての「剣」とは「心」と同義だ

編集後記 第76号 私にとっての「剣」とは「心」と同義だ

11月3日の KWU SENSHI JAPAN 空手関東オープンを、おかげさまで無事に終了することができた。
このイベントは1年前から構想していたが、なかなか方針が定まらず、今年の中頃まで準備が思うように進まなかった。加えて、8月の少年合宿の最終日、私は左脚の大腿直筋を肉離れした。大腿直筋の肉離れは初めての経験であった。医者には、まずは松葉杖を使うようにと言われ、そうしなければ回復が遅れると警告された。しかし、私はのんびりしてはいられなかった。3か月後には、このイベントを控えていたからである。さらに、1年前から予約していた会場が手違いでキャンセルされていた。通常であれば、これで「万事休す」となるところだ。一応、代替会場を探したが見つからなかった。青木先生に相談すると、「相模原なら何とかなる」と代替場所を確保してくれた。正直、辺鄙な場所で、箱も小さかったが仕方なかった。

私は、このような事態を招いた責任はすべて自分にあると考えていた。そして「あきらめるべきか、それともやるべきか」の狭間で迷った。しかし、ここで中止すれば、来年の大きなイベントはさらに困難になると予想していた。不適切な例えかもしれないが、来年は“戦闘開始”である。だが、その戦いに臨む戦士がいない。指揮系統も整っていない。

ここで言う“来年の戦闘”とは、敵を想定して戦い、勝つための戦闘ではない。
私の考える戦闘とは、「理想の旗を掲げ、大義のために戦う物語の始まり」でなければならない、という構想であった。

私は迷った。しかし、歩くこともままならない身体、そして年々不調が増していく身体に協力してもらわねばならなかった。「本当にできるのか」「体力と気力は持つのか」と。他方、私の不安や焦燥とは関係なく、周囲の協力者は「やりましょう」と言ってくれた。
「何、やるのか?」「本当に?」と思った。そして「わかっていないな」とも感じた。しかし、「周囲を信頼し、全力を尽くしてみよう。これもまた修行だ」と思い直した。そして、やり切った。結果として、本当に周りの人たちが頑張ってくれた。

思い出せば、30年前、私は古くからの空手仲間と小さな空手団体を立ち上げ、全日本大会を12回ほど主催した。初めての大会の最終日には血尿が出た。また、何度も徹夜をした。眠れなかったからだ。正直、その時の大会運営は、空手の稽古よりも過酷であった。その結果、数名の大切な仲間が私のもとを去った。今思えば、彼らには感謝の気持ちしかない。

それらの大会と比べれば、今回は規模が小さい。しかし、私は完璧主義であり、どうしても「キリ」がなくなる。すなわち、「これでもか」と理想を追い求めてしまう。その結果、周囲を苦しめ、自身の心身も限界に達してしまうようである。

繰り返すが、今回は小さな大会ではあったが、秋吉、青木という両腕のような仲間と力を合わせた。その経験は、かけがえのないものとして心に刻みたい。そして、この経験を次の物語につなげたい。

大会当日、司会進行の準備が間に合わず、失態に胃が痛んだ。その時、私の道場に最も古くから在籍している平尾氏のことを思い出していた。30年前、平尾氏はボランティアで司会原稿を作成し、進行を務めてくれた。当時、平尾氏は某大手百貨店の人事部で働いていた。

その時の記憶が蘇り、改めて平尾氏に深い感謝の念が湧いた。

平尾氏は現在、ALS を発症し、病床に伏している。数か月前、平尾氏は古くからの黒帯たちに声をかけ、「会いに来てくれ」と要望した。私もすぐに駆けつけた。すでに声は出なかったが、奥様を通じて「主人はまだ死ねない、そして頑張ると言っております」と伝えられた。

また、40年以上の付き合いとなる荻野先生も数年前からパーキンソン病を発症している。そんな中、私が審判が足りないと告げ、「少しだけ助けてほしい」とお願いすると、先生は一日中、主審を務めてくださった。

荻野先生の思いを受け止め、私は今、最期まで理想と志を捨てるわけにはいかないと考えている。

実は、私と荻野氏は家族のような関係である。荻野氏は7年前に癌も発症したが、幸いにも非常に稀なケースで回復を遂げた。

私は時折、荻野氏と旅をする。といっても、私の仕事のついでや剣の修行の道中に同行してもらう程度である。今、私は剣の修行が楽しい。とはいえ、正座もできないほど身体が壊れているため、大した稽古はできない。身体が壊れていない頃に修練していれば、もっと上達したかもしれないとも思う。しかし、今はそのような次元で剣を修行しているわけではない。つまり、「楽しい」とは、何かを斬る技術が向上したり、技が上手くなったりすることに対して感じることではない。身体が老い、壊れかけていても、若い頃とは異なる次元で武術を見つめることができることに対して感じることだ。今、肉体の全盛期の頃、百人組手で垣間見た“肉体的限界”とは異なる、もう一つの限界、新たな地平に挑戦できることが楽しい。

また、極言すれば、私の考える「剣」とは「心」と同義である。

剣を通じて心を極める。
拳足の武技を通じて心を極める。
生老病死を通じて心を極める。
すべて同義である。

そして、それこそが私にとっての「修行」であり、これからもそれを楽しんでいきたい。

【五行歌】

私にとっての「剣」とは「心」と同義だ

剣を通じて心が

拳足の武技を通じて心が

生老病死を通じて心が

やがて全てが一つになっていく

(心一)

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