【運と宿命の帳尻を問われる時】
これまでの人生を振り返ると、まず胸に去来するのは、
「自分は運に恵まれてきた」「まことに有り難いことだ」という深い感慨である。
しかし同時に、人生の最終局面に向かう身として、これまで授かってきた「運の良さ」の帳尻を静かに問われているようにも感じている。
率直に言えば、それはすなわち、
「運に恵まれることは決して安逸を保証しない」
「人生とは、最後の瞬間まで己と対峙し続ける営みである」
という“宇宙の法”と向き合うことにほかならない。
私自身の歩みを顧みても、幸運に恵まれた裏側で、しばしば不運とも思える困難に直面してきた。
ただ、そのたびに何とか乗り越えることができた。その事実こそ、私にとっての「幸運」であったと言える。
さらに言えば、私の人生は常に綱渡りのようであった。一度でも気を緩めれば奈落へ落ちてしまう――その恐れを抱えながら歩んできた。そして実のところ、今もなお綱渡りは続いている。
しかし、ひとつだけ認識に変化が生まれている。
試練に向き合うことで人格は鍛えられる、と感じられるようになったことである。
決して私自身が人格者であると言うつもりはない。ただ、「人格を高めよう」と思うその意志が、心を静めてくれるのだ。
結局のところ、私は絶えずこう諭されているように感じている。
「人間としての修行は終わらない。覚悟を保ちなさい」と。
【五行歌に託した思索】
そんな折、ふと一編の五行歌が脳裏に浮かんだ。
五行歌
宿命に対峙し
偶然を活かして
行くこと
それを運命
という
本来
必然はない
偶然を
必然とする
法(道)があるだけ
【宿命と病と向き合う日々】
率直に言えば、私は長いあいだ体調が優れない。
それでも宿命に正面から向き合い、そこに生じる偶然を活かして歩むことにしている。
その途上には、常に新たな発見と気づきがもたらされる。
私の探究のテーマは次の通りである。
いかにして自己の「心技体」を統合するか
いかにして自己を閉ざさず、常に他者へ開き続けるか
いかにして外部情報に対処し、的確に応答するか
いかにして自らの哲学と美意識を継承する者を育てるか
私の心身がどこまで耐えられるかは分からない。
だが、宿命と向き合い、偶然を活かしながら生きたいという願いに揺らぎはない。
【複雑性への眼差しと自我の処し方】
世界の事象は決して単純ではない。すべてが複雑に絡み合い、多層的に作用している。
それを安易に単純化する人もいるが、その複雑性の全体像を理解し尽くすことなど、凡庸な私には到底かなわない。
しかし、複雑な事象を束ね、より良い方向へ導くためには、まず自我を脇に置き、自然環境と社会環境の双方を「空間的にも時間的にも最適化する」姿勢が求められる。
換言すれば、自他の利益の最適な均衡を追求し、調和を保ち続ける営みである。
【欲望の転化と人間としての到達点】
その最適化の先に、ひとつの到達点が見えてくる。
それは、「たった一人であっても、自らの欲望を他者の人生に役立つ形へと転化する」ことである。
私は、まさにその転化こそが、人間としての成熟の証なのではないかと考えている。














