2017年12月27日

今回の主な更新内容

 

  • 空手武道通信は、定期更新のお知らせは月2回ですが、創刊から1〜2年、内容が一定量に達するまで、常時コンテンツを補充(アップロード)していきます。
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From Akira Masuda
 機について〜大機大用
デジタル教本(実技/理論/ワンポイントレッスン)の紹介
 前拳中段下突き
増田 章が取り上げられた書籍&雑誌のコーナー
 新 格闘教書より〜 増田章のトレーニング 第2回 
デジタルBOOKの更新情報
 組手に強くなる9原則 連載2回 得意技を持つ
特集:空手武道通信フォトギャラリー 第2回
増田 章フォトコレクション第2回
■言葉で自分を鼓舞する

『我々は自然の恵みによって人間たる以上誰でも芸術家たることを許されている。
芸術家といっても画家とか彫刻家、音楽家、詩人という特殊な芸術家を言うのではない。
“生きるということの芸術家”なのである』

「禅と精神分析」小堀宗柏・訳/「鈴木大拙全集(増補新版第28巻232ページより引用)

 当然のことながら、私は肩書きのみで人を観ない。私は時に、人と人の人生を芸術作品として観る。その際、まず、その人の魂を観る。同時に生き方(技術)を照らし合わせる。不遜ながら、超一流の経営者である、稲盛和夫氏の人生を聞き、その人柄に接したとき、その人生、人格を優れた芸術作品だと感じた。他方、名もない市井の人の何気ない佇まいに、芸術作品を感じることもある。おそらくその人の人生も芸術作品のようであるに違いない。できれば、もう俗を捨てて、人とその人生を芸術作品として観て生きていきたい。それが、写真家を志した時の目標でもあった。同時に、そのような生き方こそが、増田流の「俗とともに生きること」でもある。(増田 章)

「増田 章のからだで考える」 に続く

 

 

■お知らせ

  • 8月より、極真会館増田道場・研究科スタートが決定! 増田道場ニュースで発表します
  • フェイスブックで増田章と友達になろう!増田章のフェイスブックは、今後、空手武道通信の発信と定期購読者との交流に使います。もちろん、IBMA極真会館道場生や増田の友人との交流にも使います.

 

大機大用(だいきだいゆう)

2013年01月21日
増田章のアメーバブログより/テーマ:武道、空手について/大機大用(だいきだいゆう)

 拙著「フリースタイル空手」を上梓してから、早くも6年が経った。
その後の修行で、理論や定義、すべての面で、修整したい点が見つかった。

 私には、ことを急ぐという、悪しき性癖があるようだ。弁解を許していただければ、それほど、私には時間的余裕がなかった。物事の研究には、情熱と志、時間と資金、そして能力が必要だろう。現在もそうだが、私に最も欠けているのは、資金と能力である。拙著に関しても、できれば、修整を加えたい(DVDも含め)。

 現在、新しい組手法、競技方法の構想がほぼ纏まった。後は、修練の理論と体系化を急ぎたい(力尽きる前に)。

 いくつかある修正点の内、「機」の概念を見直したい。
拙著では、「機」を戦いのリズムを掴むためのもの、すなわち、最善のタイミングを掴むための概念として示した。その背後には、「機会」という概念があり、それらを時間的概念に属するものとして捉えたからである。その直観が、すべて間違っているとは思わないが、時間の概念も含め、もう少し掘り下げたいと考えていた。それを掘り下げる糸口として、先ずは、柳生宗矩の「兵法家伝書」を再読している。その中で、柳生の示した「機」と言う概念に触発され、新しいひらめきがあった。それを記しておきたい。

 『~刀は体である、切る、突く、は用である。それゆえ、機は体である。機から外に現れて様々な働きがあるを、用(ゆう)と言うのである~以下省略』(兵法家伝書/五輪書・原本現代語訳・ニュートンプレスよりより)。

 『機というのは、心の内で油断なく、物事に気をはたらかせている状態をいう。だから、その思い詰めた機が、心の内に鋳型のように凝り固まっていては、かえって機に束縛されて不自由である。これは、まだ機が熟さないからである。

 十分な修行をつめば機が熟し、全身にゆきわたっても自由なはたらきをする。これを大用という』
(兵法家伝書・下巻・無刀の巻/五輪書・原本現代語訳・ニュートンプレスより)

 また、柳生はこうもいう。
『内にかまえて思いつめたる心の状態を志しという。内に志しがあって外面に発して現れるのを気という』
(兵法家伝書・上巻・殺人刀/五輪書・原本現代語訳・ニュートンプレスより)

 不遜にも、私が現代的に解釈すれば、柳生の示した「機」とは、意識のことである。そして、その意識には、「大機」という「潜在意識」の領域と「気」という「顕在意識」の領域に属するものがあるという風に捉えて良いのではないかと考えている。

 さらに、志というのは、「潜在意識」までに浸透した意識のことである。
また、心というのは、それらの意識を生み出す機能、そのものを指す。断っておくが、ここで言う潜在意識とは、自分という小宇宙のみならず、自他すべてを包括する、大宇宙に繫がっていると考えられる意識のことだ。

 私は、兵法家伝書の目指すところは、武芸を通じた、「円転自在(自由自在)」の境地であると考えている。それを自己の確立、人間完成と換言しても差し支えないと思う。

 また、兵法者が、自己を円転自在にして、世に貢献することができるよう説いていると感じるのだが・・・(もう少し精読しよう)。

 私流の拡大解釈では、柳生が観た、「大機」とは、行動を生じさせている根源的な領域のことをさす。さらに、大機が熟すれば、最善(真)と例えられる程の用、すなわち、最善の考え方や行動が生まれるものだという示唆を与えたいのではないだろうか。

 ゆえに、兵法者は、人間の心に精通しつつ、大機を耕し、大用を創出するよう心がけるのだと、後人に伝えているように思う。さすがに、徳川300年の礎に貢献する兵法者の宇宙観である(私のようなアウトサイダーとは違う)。以上で時間切れだ(私の)。思索を中断する。私は、柳生宗矩の「兵法家伝書」を日本兵法の最高峰と考えるものである。

 本ブログの内容に関しては、再度、時間を得たなら、思索を行ないたい。