[第64号:2022-9-29]

 
 
 

第65号の内容

  • 巻頭言:奇をもって勝つ(戦術原則二)
  • 特集1:スティックを使った練習法
  • 特集2:「連撃」に対する組手型の紹介
  • 特集3:多摩道場のジュニアクラスの組手稽古
  • 昇段審査の結果のお知らせ
  • 第65号 編集後記

 

 

巻頭言「負けを知る」 ための試合修練

以下の文は私の空手修練理論をまとめた書籍からの抜粋である。もう少しで完成する。増田の修練理論を理解するために必須の理論書だと言っても良い。

 「負けを知る」 ための試合修練


  私はさまざまなスポーツを観て、その競技方法の構造、そして競技者の心理について考えてきた。それは理想の武道を創出することに役立つと考えたからだ。そこから得た勝負論と競技論、そして上達論を野球というスポーツを譬えに述べたみたい。だが、私の幼少の頃とは違い、昨今は野球というスポーツを知らない人が多いようだ。ゆえに、私の喩えが、野球というスポーツの解説ではなく、局面的な勝負の構造から見た喩えだと思って読んでほしい。そしてもう一つ、拓心武道空手の修練理論においては、技を仕掛ける方(攻撃者)が投手、技に応じる方(防御×反撃)が打者だとイメージできる。さらに他からの攻撃に応じ、その技を制する技能の体得を目標とする拓心道空手は、野球における優れ打者を目指すという面が大きいかも知れない。ただ、少し脱線するようだが断っておきたい。拓心武道空手の修練目標は、野球における投手のどんな球にも的確に対応し、その球を打ち返す技能を有する優れた打者を目指すことだけではない。どんなに優れた打者に対しても三振を取ることができる投手、また「一球で打者をアウト(負け)」とする、優れた投手を目指すことだ。その意味では、最近、野球ファンの心を魅了している、二刀流の大谷翔平選手が拓心武道空手の理想かも知れない。だが、考えてみて欲しい。武術においては、攻撃側に立っても防御側に立っても相手(他)の技に対し的確に対応し、それを制することが重要だ。そんな単純、かつ本質的なことを理解できていない者が多い。
 ゆえに、先ず以って野球における投手と打者の勝負のルールを平易に説明したい。投手が打者にボールを投げることによって始まる。そして投手の投げる球が決められたストライクゾーンに三回投げ入れ、打者が打てなければ、打者はアウト。投手の勝ち、打者の負けとなる。また、投手の投げる球を打者が打ったとしても、投手をサポートする野手に上手く処理されればアウトとなり、投手の勝ち、打者の負けとなる。この場合、打者の打った球が野手に上手く処理されなければヒットとなり、投手の負け、打者の勝ちとなる。また、打者がボールを打ち、場外スタンドまで飛ばしたらホーームランとして投手の負け、打者の勝ち(空手で言えばノックアウト)となる。もう一つ、投手の投げる球があらかじめ決められたストライクゾーンに投げられないことが四球(回)続けば、打者は無条件で出塁できる。これは投手の負け、打者の勝ちだ。他方、打者が投手の投げる球を上手く打てずに空振りを三回すれば、三振・アウトとなり、打者の負け、投手の勝ちとなる。また、球を打ったがグラウンド内に球を運べず、かつ野手が上手く処理できなければ、ファールとなる。これも投手の勝ち、打者の負けだが、空手で言えば引き分けの様なものだろうか。そして、その引き分けは、投手と打者の勝負に結論が出るまで続けられる(永久かどうかはわからない)。以上は非常に大まかな野球におけるルールと勝負の見方である。

 さて、野球を局面的な勝負を前提に述べる。野球における投手と打者の勝負においては、打者側から見れば、一流と言われる打者でも百回に三十三回ほどしか勝てない。換言すれば、打者は投手と百回勝負をして、三十三回も負けているのである。では、空手的などちらが強いのかというような短絡的な価値基準で考えれば、話の本題から外れる。ただ、あえて言えば、野球という競技ルールにおいては投手が有利のように思う。だが、そんな観点ではなく、別の観点から野球と武道の共通点と重要点が私には観てとれるのだ。
 その共通点と重要点とは、野球における打者にも投手にも「自己の技を活かす技能」に対する明確な意識があるということである。
  具体的に述べれば、野球というスポーツにおける一流の打者は、如何に自己の打率を上げるかを意識している。その上で、ホームランや打点(空手で言えば相手へのダメージ)を上げることを意識するのだと思う。さらに三振による負けを少なくする意識があると思う。私の想像は、私の武道的価値観から見た想像であり、エンターティンメントスポーツという面では、私のいう一流の打者という観点が妥当かどうかはわからない。
 あくまで私見だが、投手の投げる球は組手における他(相手)からの攻撃技に置き換えられる。他方、打者が投手の球を打つ技は、他者の武技(攻撃技)に対する応じ技に置き換えられる。そのように見れば、野球における技と技能も武術における技と技能も、それらが形成される裏面には大量の勝負経験と技と技能を活かす意識と思考があると考えている。
 具体的には、優秀な投手が実際の勝負に臨む際、「球のスピード」を意識することのみならず「投げる球の精度」を意識していると思う。すなわちコントロールを意識しているということだ。同時に「変化球の活かし方」や「投げる球の配球」や「投球のリズム」を意識していると思う。
 他方、優秀な打者の場合は、投手の「投げる球の種別」と「配球に関する予測」を意識していると思う。さらに何らかの方法で「投手の投球リズム(拍子)」を自己のリズムに合うようにしていると想像している。その上で、投手が投げる速い球、変化する球に的確に対応するための「技と技能の発揮」を意識していると思う。また、その裏面には「自己の技と技能を活かして発揮するためのメンタルタフネス」すなわち、武道でいうところの「心法」を意識しているはずだ。
 以上で述べた意識を活かし目標を達成するために、打者も投手も実際の勝負と練習において、多くの情報収集と分析を行なっていると思う。その情報収集と分析があるからこそ、投手の投げる球を予測し、かつ、それに対応する技と技能を養成できるのだ。また、そのようなバックヤードにおける作業と努力がなければ、優れた技と技能は養成されない。つまり、野球における情報収集と分析のためのデータ、要素が武道修練における試合経験なのである。
 繰り返すようだが、その試合経験(勝負経験)において、打者の側からすると、打者は投手に百回に六十七回は負けている。だが、野球には、大量の試合経験を得られること、そして打者や投手にとっての明確なデータと意識を得られる構造がある。その構造により、野球選手は優れた技と技能を体得するのである。
 私は野球における勝負を見て「野球の本質とは、負けを知り、その負けの経験を活かすこと」だと直感する。そして、「負けを活かす」ことができれば、負けとは「究極的な敗け」ではないと考えている。私の抽象概念だが、「究極的な敗け」とは、負けを活かせないことだ。
 この節の最後に、拓心武道空手の修練においては攻撃を仕掛ける際は「野球の優れた投手のように」また、攻撃に応じる際は「野球の優れた打者のように」と伝える。また、試合経験のみならず組手修練では、相手に目先の勝負に拘ることではなく、自他の関係性による勝負の情報を収集し、かつ、それらの情報を分析するのだと伝える。その上で、より善く他に対応し、自己を活かす理法を探し出すことを目指すのだ、と伝える。さらに、以上の意識、心構えにより、自己の心身に優れた技と技能が生み出されると伝えたい。
 また、私の観た野球の本質と拓心武道空手の本質が同じだ伝えたい。端的には「拓心武道空手の本質は、負けを知り、その負けの経験を活かすこと」と言っても良い。さらに述べれば、抽象的だが、その先にあるのは相対的な勝利ではない。拓心武道空手が目指す地平は自己が他との関係性の中で「負け」を知り、その「負け」を活かすことである。つまり、自他を活かす地平に至れば試合修練と組手修練において敗けはない。蛇足ながら、既存の武道における試合法は、武術を掲げるがゆえに勝負の判定方法が検証不可能で稚拙なものがほとんどである。結果、適正な「負けを教え」かつ「負けを知る」ことはできない。

昇段審査の結果発表

特集1:スティックを使った練習法

特集2:「連撃」に対する組手型の紹介

特集3:多摩道場のジュニアクラスの組手稽古

  • みんな少しづつ上達してきました!

お知らせ

  • 現在、月例試合の募集をしています。みなさん奮って参加ください。
  • 12月に昇級審査が実施されます。みなさん奮って昇級に挑戦してください。

第65号 編集後記

 先日の昇段審査の動画編集並びに採点をした。審査前に講習会を行った際「これでは合格しない」と思った人が数名いた。だが、そのことは私の指導力が足りないからだと反省していた。それゆえではないが、 ここ1〜2ヶ月間、修練理論をまとめていた。そんな中、私の身体は疲労困憊と言っても良い。
 その間、昇段審査の動画編集並びに採点をした。審査前に講習会を行った際「これでは合格しない」と思った人が数名いた。だが、そのことは私の指導力が足りないからだと反省していた。だが、その予想は良い意味で外れた。
 審査当日は全員が真摯にかつ丁寧に審査に臨んでいた。当然と言えば当然だがそうではない。たった1週間ほどの期間に頑張って、私が指摘したことを修正しようと努力が伺えたのだ。一言で言えば、私は感動した。そして皆さんから勇気をいただいた。そして私の考えている修練理論をさらに具体的に形にし、かつみんなに伝えていきたいと思った。それから数週間後、ようやく理論書が書きあがった。結果、原稿用紙に200枚以上の量となった。それを少し削り校正している。その理論書の後書きにも書いたが、私の遺言のようなものとなった。この先、元気があるかどうかはわからない。だが、今回の昇段審査の受審者のようにひたむきな修錬者がいることを気力に変えたい。
いつものことだが、秋吉師範代、黒帯指導員、全ての道場生に感謝したい。ありがとう。