[第74号:2024-10-27]

 
 
 

第74号の内容

  • 巻頭特集:HITTING SPORTS交流会の報告
  • 特集22024年特別修練合宿の模様
  • 編集後記 第74

   

巻頭特集:HITTING SPORTS交流会の報告

 

今回の交流試合は「第1回ヒッティングスポーツ交流大会」の実施に向けての、競技のやり方、審判の仕方、大会運営の仕方を実験、訓練と言っても良い。その実験は成功した。何を以って成功かと言えば、いくつかのカテゴリーの競技を一緒に実施、運営できたと言う点においてだ。もちろん、競技者や審判のレベルには問題もある。しかし、競技者を増やすことができれば、この問題は必ずクリヤーできる課題であり、問題ではない。

嬉しかったことは、この試みに、元キックボクシング全日本フェザー級チャンピオン「飛鳥信也」氏が参加してくれた。飛鳥氏は私より5歳年上の67歳。飛鳥氏は互いに現役選手だった頃からの友人である。飛鳥氏は「爺さん」と言っても良い年齢だが、気力は衰えず前向きである。今回の交流会、シニアのクラスに嬉々として参加してくれた。もちろん、往年の技術や体力はなかったが、それでも67歳でキックボクシングの試合ができるのは、飛鳥氏が培ってきた、高い防御スキル、戦術スキルなどがあってのことだと思う。一方の飛鳥氏の対戦者も、グローブをつけてのキックボクシングスタイルの試合は初めてにも関わらず、違和感がなく試合が行えた。このことは、私が考案した、「極真道」の修練を行ってきたからだろう。さらに嬉しかったのは、中学生でムエタイの世界選手権、カデットクラスでチャンピオンとなった「梅田 剣」君が「極真道スタイル」のカテゴリーに参加してくれたことだ。試合は、対戦者に圧倒的なスキルの差を見せて、「勝負あり一本」で勝利した。なお、この「勝負あり一本」とはボクシングのTKOと似ているが、ポイント差が一定以上ついた場合、試合を終了させるものだ。この判定があることで、打撃技による競技の安全性をより高めることができる。今回梅田君と対戦した相手も悔しいだろうが、良い経験になったと思う。今後、修練を積めば、世界レベルの梅田君にも近づくことができるだろう。

以上、このヒッティイングスポーツの内容にかんして別の表現をすれば、「間合い感覚」と「好機を捉える心眼」、そして「状況を瞬時にして転化する戦術」を体得させ、かつ「見える化」する格闘技スポーツを誕生させたい。また、そのような打撃技系スポーツのフレームワーク(枠組み)とプラットフォームによって、さまざまな格闘技愛好者と格闘技団体の連帯を実現したい。その連帯の実現を目指すことが、オリンピック競技にふさわしい競技の形成の核となるに違いないと考えている。

最後に、私はこのムーブメントへ、より多くの人達の参加を望んでいる。そのために、壁を低くしている。理想は壁を作らないことだ。だが、この新しい格闘技スポーツの成功の鍵は、「する人」「みる人」「支える人」に方向性が共有されていなければならないだろう。その方向性とは、「礼の精神の体得」と「高い技術とスキルの追求」である。換言すれば、ゴールに向かう方向を示すコンパス、北極星のような理念だ。補足を加えれば、ヒッティングスポーツは、競技を通じ戦いにおける「間合い」のみならず、自他の関係性における「間合い」を制すること、すなわち他者の尊重と自己の尊厳を守る意義を競技を通じて伝える手段だ。

 

特集2:2024年特別修練合宿の模様

 

昨年に続き、長野県辰野町で特別修練合宿を開催しました。 今年の合宿のテーマは、 IBM A国際武道筋育英会が普及を行っているヒッティングスポーツの修練でした。

この合宿の内容は、極真道スタイル、そしてキックボクシングスタイルの練習にポイントを絞り、約束限定組手、また自由組手を多く行いました。結果、130ラウンドもの組手稽古をこなすことができました。しかし、実際は150ラウンドを超えていたと思います。また、最終日には組手型の稽古を行いました。

そんなハードな稽古ができたのは、町の観光振興課の人に手配していただいた、素晴らしい稽古場と良い気候に恵まれたお陰だと思います。今回の合宿の稽古場は、宿泊所から歩いて4分ほどの中学校の柔道場でした。広さも十分あり、畳も高品質の素晴らしい道場です。

また,今回インドネシアの極真会から指導者が参加してくれました。本来はイランからも参加する予定でしたが、国の状況もあり、急遽、参加が取りやめになりました。

なお、インドネシアから参加したシオノ先生は、防具を使った、顔面突きあり組手稽古は、初めてにも関わらず、大変組手が上手でした。また、増田道場生と一緒に真剣、かつ楽しく組手稽古に取り組んでいました。

シオノ先生は,稽古の合間に審判講習も受け、HITTING SPORTSの4級審判員の資格を取得しました。レフリーの仕方も上手でした。

また、合宿2日目の夜は、地域で人気のある「焼肉レストラン」で懇親会を行いました。懇親会では、おいしい肉をたくさん食べました。また、お酒も飲み放題で、飲める人には大変満足できるものだったと思います。

ただ、一つだけ問題があるとすれば、多くの人の基本組手技が不十分なこと組手理論が理解されていないことだと思っています。このことの原因は、増田の指導力不足かもしれませんが、普段の道場稽古では増田が考案した「極真道」の稽古ができないからだと思っています。つまり、普段の稽古では、極真空手の伝統基本の稽古に半分ぐらい時間が取られるので、極真道の理論が伝えられないのです。ゆえに、本合宿は、時間をかけて極真道の理論を伝えようという試みでした。それでも、皆さんには今一度、基本を見直ししてほしいと思います。特に組手に必要な技術が足りなさすぎます。「運足」「攻撃技」「防御技」「応じ技」「組手型」「修練方法の理論」、そして特に「間合い」をはじめとする「組手理論」が不十分すぎました。
もし、その辺がもう少し浸透していれば、もっと技術や技能が向上したでしょう。そして組手稽古は150ラウンドとなっていたかもしれません。

最後に朝6時から夜9時ごろまでの6時間を超える稽古、さらに審判講習もこなした、インドネシアのシオノ先生は尊敬にあたいします。一緒に同行した奥様も含め、本当に感謝申し上げます。
これからも、ますますの信頼関係を築き、インドネシアと日本のみならず、KWU -SENSHIを通じた世界中の空手の仲間との友情を広げたいと思っています。

↓インドネシアのシオノ先生と奥様と

 

増田面授(組手)パート1〜特別修練合宿
 

極真会館増田道場-会員の皆様へのお知らせ

  • 指導員の皆さんへ〜組手型と組手練習法をIBMA空手チャンネル(これからデジタル教本にも掲載します)に掲載しますので、見て稽古法に取り入れてください。
  • 交流会の写真販売を開始しました。希望の方は以下のサイトをご覧ください(会員専用PDFが必要です)
  • 写真販売→フォトレコ

 

イベントへのお知らせ

◎参加者募集!! 誰でも参加できます(ただし、IBMAとの交流実績がない方には、活動実績等による、簡単な審査を実施します。安全性と理念に照らして、審査に合格しなければ、出場できない場合もあります。)

こんな夢をみた〜編集後記 第74号 

 

11月に行う交流大会の準備を一旦おいて、特別修練合宿をこなした。合宿の前日は膝が痛く、熟睡できなかった。膝の痛みを我慢し、合宿指導をやり切った。いつものことだが、「なぜ、もっと楽しくやれなかったのだろう」「笑顔がなかった」「ダメ出しが多すぎた」などなど、反省点を悔やむ。実に愚かなことだ。こんな自分の性格を直したいが、全くもって余裕がない。
そんな私を道場生の荻野氏は、いつも支えてくれる。本当にありがたい。おかげでなんとか合宿を終えることができた。しかし,休む間もなく、アメリカから来日した、家内のおじさんとおばさんと一緒に長野旅行に出かけた。家内のおじさんとおばさんには、私の家族全員、大変お世話になっていて、家内も私も実の父母のように大事にしねければならないと思っている。だが、膝の痛みと睡眠障害だけは苦痛だった。だが、良かったことも多かった。その一つが「安曇野」を訪れたことだ。安曇野は風景は素晴らしかった。辰野の里山も素晴らしいが、安曇野の風景も良かった。そこで、偶然にも「黒澤 明」の「夢」という映画の舞台になった「わさび農園」へ行った。そこには水の美しい川が流れていて、黒沢が映画のために作った水車と水車小屋が残っていた。その川の水は映画で描かれていたように、本当に綺麗だった。その川には魚も住んでいないようだった。アメリカ人のおじさんは、「なぜこの川には魚がいないんだ」と私に聞いてきた。私は「それはあまりに水が綺麗なので魚が棲めないんだ、と思う」と当てずっぽうに答えた。本当に魚がいないのか、また,その理由が「水が綺麗で魚が棲めない」のかはわからない。だが、私は安曇野で「水清ければ、魚棲まず」という言葉を思い出した。社会も同じで、水が綺麗すぎると人は棲めない。この言葉は中国古典からの出典らしい。また、人物が至高すぎれば、人は孤独になる、という意味も含んでいるらしい。

この場所も安曇野も少しだけ観光地化しているが、周りはさほどではない。だから、美しさが残っているのだろうか?一方,世俗化した都会の中にも美しさがないわけではない、という人もいるだろう。だが、その美しさは、その場所にあるのではなく、人の心の中にある、と私は考えている。また,原風景は人の育った場所で異なるだろう。私の育ったところは、繁華街に近いところだった。しかし,父に連れられて言った祖母の実家の周りは、山と水田と蛍が棲む水路の広がる場所だった。

私は毎夏、そこで数週間を過ごした。同様に、繁華街から少し離れれば、山と清流、水田と畑が至る所に見られた。さらに進めば、海につながる。そんな風景が、幼少の頃の風景だ。ゆえに、安曇野の風景が何か懐かしく、また、何かを思い出させてくれたのかもしれない。だが、そんな風景は世界中の至る所に見られるはずだ。私は、そのような風景を人間は忘れてはならないと思う。

さて、私は「夢」という映画を見て、良い映画だという記憶があった。そのシーンを思い出した。そして、家に帰ってから映画を見直した。正直いえば、黒澤映画でなければ、誰も見に行かないかもしれない。そんなふうに言って、矛盾するではないかというかもしれないが、私は良い映画だ、と思っている。ただ,採算を考えると、採算は取れないと思うだけだ。

【黒澤 明監督の「夢」という映画】

この黒澤 明監督の「夢」と言う映画は「こんな夢を見た」と言うタイトルで始まる。そして8話の短編でできている、オムニバス映画だ。安曇野のシーンは最後の編で、絵が美しく、音楽も素敵だ。また,私の好きな黒澤監督の哲学が盛り込まれていた(説教臭いと感じる人もいるかもしれないが)。
この映画で私の印象に残ったのは、ゴッホと男のやりとりの編だ。

其の編の内容は、男がゴッホの展覧会を見ているシーンから始まる。そして男がゴッホの絵の中に入っていく。そこで男は絵を描いているゴッホに出会う。
男はゴッホとおぼしき、男に、「ヴァン・ゴッホさんですね」と声をかける。
ゴッホはその男に以下のように語る。

「なぜ描かん」「絵になる風景を探すな」
「よく見ると、どんな自然でも美しい」「僕はその中で自分を意識しなくなる」
「すると、自然は夢のように絵になっていく」「いや僕は自然を貪り食べ、待っている」
「すると絵は出来上がって現れる」
「それを捉えておくのが難しい」

男はゴッホに尋ねる。「そのために何を」
ゴッホは答える。

「働く」
「しゃにむに機関車のように…」
「急がなければ、時間がない」
「絵を描く時間はもう少ししかない」

さらに、男はゴッホに尋ねる。
「怪我をなさっているようですが」
ゴッホは答える。

「これか、昨日自画像を描いていて耳がうまく描けないので、切り捨てた」
「太陽が絵を描けと僕を脅迫する」
「こうしてはいられない」

そう語った後、ゴッホは急ぐように何処へ立ち去った。


私がこの映画を見たのは15年ほど前だと思う。私は、このゴッホの編と最後の水車小屋の編が好きだ。
私の心の内側から「絵になる風景を探すな」「急げ」「描け」「時間がもうない」との声が聞こえる。
私もゴッホと同じ心境だ(黒澤の描く)。だが、ゴッホのように徹し切っていない。
もっと徹し切るのだ。人生と一体となるのだ。自我ではない。自己の潜在意識の中で醸成された感覚、そして「絵」を信じて描くのだ。生きている間、一枚も絵が売れなくても描く。この潜在意識の存在を誰も理解しないだろうが。