終戦記念日に向けて

IBMA極真会館サイト

 2010年08月11日

「殺すことと活かすこと」

 我々人間は、小さな生物を何気に殺生することがある。「殺す」とは、他の生命を奪うこと、排除することである。生きるには、自己を害するものを排除しなければならないと考えるかもしれない。

 「活かす」とは、他を自己に取り入れ、生かすことである。「殺す」と「活かす」とは、同じに見える時もあるが、前者は、本能を核にした「知能」による判断であろう。後者は、「智慧」による判断だと考える。

 「活かす」を知らない者は、「殺される」ことを恐れるあまり、より一層の知能を求める。しかし、そのような者は、人間を超えた「何者か」にやがて排除される時が来る。

 人類にとって、知能の進化は善だとは思うが、同時に智慧の泉を枯渇させてはならないと思っている。それは、人間らしい行為とその体験からしか獲得できないと断言しておく。

 古の優れた武人は、万人のため、一人を殺すことを正義とした。私は、それを肯定はしないが、否定もしない。しかし、私は人間が人間を「殺す」ということは、人間の行為の中で最も愚かな行為のひとつだと私は考える。なぜなら、人間は多様なものと調和し秩序を形成している存在であり、どんな理由であれ、そのような行為は連鎖反応を起こし、自らに返ってくると考えるからである。もし、その連鎖反応をも抑えられると考えられるならば、核などの軍事力を背景にした抑止力を考えざるを得ないだろう。それは、あまりのも強大な破壊力を手にした知能が支配する世界であり、もはや生死を身近に感じていたであろう古の世界とは次元が違いすぎる。

 私には戦争体験はない。しかし、一人ひとりにとって、大した理由がなくても、戦争に加わる人間の姿を、少しは想像できるからこそ、絶対に戦争を回避しなければならないと思う。否、そのような一人ひとりの価値感や考えとは関係なく起こるものが戦争かもしれない。そのための第一歩は、他者を「活かす」ための智慧の泉をもう一度、掘り起こすことではないかと考えている。

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