「崩しと隙」と「防御と応じ」

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「崩しと隙」と「防御と応じ」(From Akira Masuda) 

 2018年11月02日:空手武道通信・編集後記より

 

 近況報告

 デジタル空手武道通信第23号で掲載したコラムは私のスマホに保存してあった、手書きメモを修正したものである。再考を要するが掲載したい。

 ここ2ヶ月間は、鈴木邦夫から始まり清水幾太郎の著作が気になり読んでいた。テーマは愛国心である。昔に「無思想時代の思想」など、清水先生の著作は何冊か目を通したように思うが、今回はじっくり読んだ。そのことについて書きたいが時間の余裕がない(インプットを優先させたい)。一つだけ書いておけば、愛国心と私が極真会館を思う気持ちとは共通項があるということ。また、真の愛国者は変革を唱える者であるということ。私は、伝統、伝統とお題目のように唱えるものは、自己の保身を第一とする、偽者ではないか、という直感の後押しをしてもっらたように感じた。それゆえ、清水先生の著作は、とても面白かった。誤解を生ずるかもしれないが、清水先生は知識人の中では終わった人のように言われているようだ。しかしながら、私はその全集を図書館で借り、読んだ。もちろん、清水先生の膨大な著作の全ては読んではいない。だか、とても共感を覚える先生だ。今後、もう少し読んでみたい。

 また私は、鈴木先生と清水幾太郎先生の著書の他に将棋ソフト、ポナンザの開発者である山本一成氏の著書が気になり、繰り返し繰り返し読んでいた。その本は1年前に上梓された本で、1年前に読んだのだが、ずっと頭に残っていた。再読すると、さらに面白く感じ、完全に理解するまで読み続けたいと思っている。人口知能、機械学習、ディープラーニング、ニューラルネットワーク、知識、知能、知性、エミュレート、シュミレート、評価関数などなど、まだまだ理解しきれていないが、興味が湧く、キーワードが多くある。今後も将棋ソフトの世界に興味はなくならないと思う。なぜなら、私の空手道体系の構築に山本一成氏の知見が参考になると思っているからだ。また、徒労に終わるかもしれないが、ワクワクしている。以下にデジタル空手武道通信第23号のコラムと編集後記を載せておきたい。

 編集後記 第23号

 23号の発刊が2週間以上も遅れてしまった。申し訳ない。岡山での昇段審査、極真会館の全日本選手権大会への参列、山田雅俊先生が率いる極真会館城西支部40周年記念パーティーへの参列など、対外行事や私の会社の業務等で忙しかった。また、体調が良くなかった。2週間前には、膝の痛みが酷く、動くことが大変だった。毎日、夜に鎮痛のテープを貼っている。また、筋力トレーニングはできるが、歩行はきつい。また長時間の座位は良くないようだ。膝が痛くなる。

 そんな中、岡山の昇段審査はよかった。IBMA極真会館岡山を率いる、中川師範の日頃の努力、黒帯の修練の跡に敬意を持った。また、松井館長率いる極真会館の全日本選手権大会は、若い選手の成長と試合ルールの進展が見られた。観戦して、とても感銘を受けた。

 松井館長と私は数年前に和解し、長年の対立を解消した。本号でも雑誌対談の模様を伝えているが、極真会館の分裂によってできた溝が、二人の極真空手に対する情熱を溜め込み、それを融和させる湖のように思える。

 もう一つ、長年の構想であった、新しい組手ルールの構築に希望を抱いている。今後、TSスタイルのブラッシュアップとフリースタイルの刷新を行いたい。また、私の研究してきた、各種武術のエッセンスを取り込み、大山倍達先生の空手技術の再現を可能とする枠組み、手段としての組手型(組形)の形づくりを急いでいる。組手型の体系化は、私の武道理論と哲学、そして技術を後世に残すものだ。誤解を恐れずに言えば、私が2人いればと思う。

 今私は、新たな自己との戦いと時間との戦いに明け暮れている。人は私をバカと見るかもしれない。また、人は私を理解しないかもしれない。それでも私は、この仕事をやり遂げたい。気がかりはある。それは家族への恩返しである。しかし、人生を賭けてでもやりたいことがある自分を幸運だと思っている。それが愚か者の証のような気もするが…。

【「崩しと隙」と「防御と応じ」】

 〜2016−6−11の手書きメモより

 相手にダメージを与える。消耗させる。バランスを奪う。それらは全て崩しの目的と効果である。つまり「崩し」は攻撃により、相手を弱体化することである。相手を負かすには、相手の「隙」を衝かなければならない。また。相手を弱体化し、「隙」を作りだし、そこを衝く。

 「隙」を見極めるには、相手の状態や情況を見極めることを意識することだ。「隙を衝く」とは、戦いの法則である。しかし、本来の戦いの原則とは、天地自然の理法を基に導き出した、行為選択の判断基準である。私は、攻撃の決定の際には原則を優先されなければならないと考えている。その原則を踏まえれば、攻撃の前段階において、防御を優先させることだ。

 ただし、戦いにおいては機先を制することが重要だ。だが、そのことを「先手必勝」のことだと思い込んではいけない。常に「防御」の意識があり、初めて機先を制することができる。また、どのような防御意識を普段に有するかによって攻撃の最善手が異なってくる。もし、「防御」に重きをおかないならば、エネルギーの暴走に振り回されることだろう。つまり、エネルギーの暴走の可能性を知り、大切に使う者は、決して攻撃を常としない。そして、その結果、自己のエネルギーをより多く用いることができる。なぜなら、攻撃は攻撃を生じるのが常だからだ。

 真の武人とは、そのような無駄をしない者だ。ゆえに、防御を常にし、隙を作らないことを志す。さらに、相手の攻撃には「瞬息」の「応じ(対応技)」を行うこと。そのことは、相手の二の攻撃を封じる。この「応じの理法」を体得することである。

 最後に、競技(試合)では、うわべの「勝ち」を競う。また、見るものはその高いレベルを判断できない。ゆえに「崩し」を優先する。だが、それは道を修めるあり方では無い。武人は、常に彼我の間に生じる隙に気付くこと。その上で自己の隙を衝かれないようにする必要がある(メモゆえ再考を要す)。

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