You are part of my Life.

「You are part of my Life. /あなたは私の人生の一部だ」

 しばらく抱き合っていたかった。しかし、このままヘニーと抱き合っていれば、涙が溢れ出て、止まらなくなるのが解った。

 私は、必死に涙をこらえた。仕事前でなければ、落涙したに違いない。

 実は、フランス・リールのセミナーに私の大好きな女性、ヘニーが、わざわざオランダから尋ねてきてくれたのだ。

 彼女は、極真空手のオールドファンの間では、極真空手最強ともいわれている、ミッシェル・ウェーデル氏の元夫人である。まさしく、サプライズというような瞬間だった。

 大袈裟に聞こえるかもしれないが、彼女は私の人生の一部だ。また彼女は、ルック・ホーランダー氏が率いる、オランダ極真会の歴史の一部である。

 彼女は、かつてミッシェル・ウェーデルのみならず、ピーター・スミット、アンディー・フグ、マイケル・トンプソン等、極真空手を代表する戦士達の良き理解者であった。

 私が見る彼女は、いつも明るく、そして知的だ。また、他者に寛容で控えめだが、自分の意見はしっかり持っている。彼女もまた、極真空手家であった。

 私が初めて渡欧したのは、ミッシェル・ウェーデル氏とヘニーの尽力によるものだった。以後、3回程、私はオランダを訪れている。その内の一回は、若き日の手塚社長(ゴールドジム)と一緒だった。

 ヘニーとミッシェルは、我々を自宅に招いて、親切にしてくれた。また、ヘニーとミッシェルが、日本の私の家に泊まったこともある。その時のことは、今でも忘れてはいない。

 最後に、彼女に会ったのは、極真会館が分裂した直後の第6回世界大会の時だ。

 分裂直後の私は、ヨーロッパ、オーストラリアを回ったり、様々な政治活動をしていた関係で、練習不足だった。私には、全盛期のスピードもスタミナも無かった。正直、私が最も悔しかった大会のひとつだ。

 彼女はその時、「あなたは私達の誇りだと」言ってくれた。感激した私は、ヘニーと抱き合い、涙した。
それが英語による慣用的な表現だと、当時知らなかった(笑い)。

 振り返れば、21才の時、初出場した第3回世界大会で、当時ヨーロッパ最強だったミッシェル・ウェ-デルと3回の延長戦を戦った。自分でいうのもなんだが、極真空手史上、あれほどの死闘を、私はみたことが無い。

 その時ことは、拙著、「増田 章 吾、武人として生きる」にも書いたが、ミッシェル・ウェーデルも悔しかったに違いない。なぜなら、本戦では、彼が勝っていたのだから・・・。後半、私が持久戦で盛り返した(しかし、本当は極真空手の判定方法に問題があるのだ。ヘニーは私の考えを理解した)。 

 また、アンディやマイケル、ミッシェルの出場した、第5回世界大会の組み合わせの不公平さは、眼を覆うぐらいだった。誰もそれに異議申し立てをしないと言うことが、外国人同様、それまで、アウトサイダー的に生きてきた私には、とても哀しく、そして息苦しく感じた。みんな、長いものに巻かれるんだなと…。

 そんな思い出のすべてが、ヘニーと再会し、抱き合った瞬間、喚起された。

 その夜、同じく、そんな時代からの友人である、フランスのティエリーと食事をした。その時、あらためて私は、これからもその関係を大切にしようと思った。 また、ヘニーとティエリーは、私のプロジェクト(新しい夢)に協力を約束してくれた。

 願わくは、私の人生最後の夢の実現へ向けて、共に歩めたらと考えている。
なぜなら、彼女は英語、フランス語と堪能で、ヨーロッパの古い極真空手と知己がある。また、日本とヨーロッパ諸国の人達の考えの、ファシリテイター役もできるだろう。プロジェクトを手伝っていただけると、本当に有り難い。

 同じく、私の人生の一部である、岡田氏や手塚氏も、その感覚を理解してくれるはずだ。

 残り時間が少なくなってきている。早く、その夢を実現したい。

このコラムはアメーバブログで2013-5-26にアップしたものです。

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