心と身体を強くする空手〜IBMA極真会館増田道場

MENU

IBMA極真会館が提唱する「武道人」とは

IBMA極真会館が提唱する「武道人」とは

自分の道を歩みながら、違いを越えて、ともに武道の未来を拓く

IBMA極真会館では、武道・格闘技に携わる人のあり方を考える一つの概念として、
「武道人」を提唱しています。

武道人とは、単に空手が強い人や、長く武道を修練している人を意味するものではありません。

また、「武道家」や「格闘家」に代わる名称でもありません。

自分の武道や格闘技を深く追求しながら、
自分とは異なる流派、競技、文化、思想を持つ人々を認め、
より大きな視点から武道・格闘技の価値を考える。

そして、自分自身の歩みを問いながら、
武道・格闘技によって得たものを人と社会に活かしていく。

それが、私たちの考える「武道人」です。

なぜ「武道人」という概念が必要なのか

武道には、多くの流派や団体があります。

それぞれに歴史があり、技術があり、思想があります。

また現代には、空手、柔道、剣道などの武道だけでなく、
キックボクシング、総合格闘技をはじめ、多様な格闘技があります。

それぞれが自らの技術や思想を深く追求することには、大きな価値があります。

一方で、自分たちの武道観や流派、競技への強い帰属意識は、
ともすれば「何が本当の武道なのか」
「どの考え方が正しいのか」という対立を生むことがあります。

技術の違いが、思想の対立になる。

流派の違いが、優劣の争いになる。

武道と格闘技という違いさえ、
互いの価値を否定する理由になることがあります。

IBMA極真会館が提唱する「武道人」は、
そうした違いをなくすための考え方ではありません。


違いを残したまま、それを一段大きな枠組みから捉え直すための概念です。

武道家は、武道家であってよい。

格闘家は、格闘家であってよい。

それぞれが自分の流派、競技、思想を大切にしてよい。

しかし同時に、それらの違いを越えて、


「武道・格闘技を通じて、人間と社会に何をもたらすことができるのか」

という、より大きな問いを共有することはできるのではないか。

私たちは、そう考えています。

「武道家」を否定するのではなく、より大きな視点から見る

「武道人」は、「武道家」という言葉を否定するために生まれた概念ではありません。

武道家として自らの道を究めることには、大きな意味があります。

格闘家として競技能力を高め、勝敗に挑むことにも価値があります。

しかし、「私は武道家である」「私は格闘家である」という自己認識だけにとどまると、
ときとして自分の立場からのみ他者を見ることになります。

武道人という観点は、そこからもう一段、視点を広げます。


武道家である前に、あるいは格闘家である前に、
私たちは武や闘いという人間文化に向き合い、
そこから何かを学び、それを人間の成長へつなげようとする者ではないか。

その共通する地点から、互いを見直してみる。

そうすれば、「どちらが正しいか」だけではなく、
「互いから何を学べるか」という関係が生まれます。

違いをなくすのではなく、違いから学ぶ

武道人という考え方は、思想や技術を一つに統一しようとするものではありません。

全員が同じ武道観を持つ必要もありません。

むしろ、違いがあるからこそ、互いに学ぶことができます。

伝統を守る人。
新しい技術を研究する人。
競技を追求する人。
教育を重視する人。
護身を研究する人。
生涯修練として武道を続ける人。

それぞれの立場があるからこそ、
武道・格闘技の世界は豊かになります。

重要なのは、自分の立場を絶対化しないことです。

自分の道を深めながら、異なる道からも学ぶ。

自分の考えを持ちながら、異なる考えにも耳を傾ける。

そして、他者との出会いや対話を通じて、
自分自身の武道や生き方をさらに問い直していく。

IBMA極真会館は、その姿勢を「武道人」の重要な要素と考えます。

北極星――自分の現在位置を知るために

武道人という考え方は、
すべての人が同じ道を歩き、同じ答えに到達することを求めるものではありません。

人には、それぞれの道があります。

武道についての考え方も違います。

生き方も、目指すものも違ってよい。

だからこそ、自分自身が今どこにいるのかを、
ときどき確かめる必要があります。

私たちは、そのための基準を「北極星」にたとえます。

かつて旅人が北極星を見て自分の方角を確かめたように、
武道人もまた、自分自身を見失わないための基準を必要とします。


北極星は、全員を同じ場所へ導くためにあるのではありません。


自分が今どこにいるのかを知り、
自分がどちらへ向かっているのかを確かめるためにあります。

自分の強さは、何のための強さなのか。

自分の信念は、他者を否定するものになっていないか。

自分の武道は、人を生かすものになっているか。

自分の歩みは、人間として大切なものから離れていないか。

そうした問いによって、
自らの現在位置と進む方向を確かめる。

そして、もし道を外れていると気づけば、自ら修正する。

その繰り返しが、武道人としての歩みです。

北極星そのものが、一つの答えを与えてくれるわけではありません。

また、誰かが決めた道を歩くことを求めるものでもありません。


自分で考え、自分で歩き、自分で自らの位置を確かめる。

そのために、自分を照らす基準を持つ。

IBMA極真会館は、その基準の中心に、


武道を、自分だけのためではなく、
人を生かし、社会に活かすものとして考えること

を置いています。

道は一人ひとり違ってよい。

しかし、自分を見失わない。

人間としての歩みを見失わない。

そして、武道が人間と社会に何をもたらすことができるのかという問いを見失わない。


道は違っても、見失ってはならないものがある。

そのことを確かめるために、私たちは北極星を見るのです。

武道・格闘技の社会的価値を高める

「武道人」という概念を増田章が提唱する大きな理由の一つは、
武道・格闘技の社会的価値をさらに高めたいと考えるからです。

武道や格闘技が、それぞれの流派や団体、競技の内部だけで価値を競い合っている限り、
その可能性には限界があります。

しかし、立場の違いを越えて、

人を育てること。
心身を鍛えること。
困難に向き合う力を養うこと。
自分の力を制御すること。
他者を尊重すること。
異なる文化を持つ人々をつなぐこと。
そして、人間がより良く生きるために武道・格闘技を活かすこと。

こうした価値を見いだし、社会へ示していくことができれば、
武道・格闘技の持つ可能性はさらに大きくなると考えます。

流派や競技の価値を高めるだけではなく、
武道・格闘技という文化全体の社会的価値を高める。

そこに「武道人」という考え方の重要な目的があります。

IBMA極真会館が考える「武道人」


武道人とは、自らの武道・格闘技を深く追求しながら、
自らの流派、競技、思想だけを絶対化することなく、
異なる道を歩む人々を尊重し、互いに学び合う人です。


そして、自らの現在位置と生き方を絶えず問い直しながら、
武道・格闘技を人と社会にとってより価値あるものへと高めようとする人です。

武道家であることを否定するのではありません。

格闘家であることを捨てるのでもありません。

それぞれの道を大切にしたまま、もう一つ大きな視点を持つ。


自分の道を深める。
他者の道を尊重する。
違いから学ぶ。
自分の現在位置を確かめる。
そして、武道・格闘技を人と社会に活かしていく。


道は違っても、見失ってはならないものがある。

それが、IBMA極真会館が提唱する「武道人」という考え方です。

PAGETOP
Copyright © IBMA極真会館増田道場(MASUDA DOJO) All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.