形を覚えるだけで、武道を学んだことになるでしょうか
武道では、さまざまな技を学びます。
立ち方。
構え。
突き。
蹴り。
受け。
移動。
型。
組手。
まず形を覚えることは大切です。
しかし、形を覚えるだけで終わってしまえば、
その技を本当に理解したとは言えません。
なぜ、この姿勢なのか。
なぜ、この角度なのか。
なぜ、この距離なのか。
なぜ、このタイミングなのか。
IBMA極真会館では、
「なぜそうするのか」を考えながら学ぶこと
を大切にしています。
私たちが考える「理法」
「理法」という言葉は、少し難しく聞こえるかもしれません。
私たちがここでいう理法とは、
技や動きの背後にある
成り立ちや原理
を考えることです。
なぜ、その技が有効なのか。
なぜ、その身体の使い方で力が生まれるのか。
なぜ、その間合いが必要なのか。
なぜ、その状況では別の動きが必要になるのか。
こうした問いを持ちながら、
実際の稽古を通して確かめていく。
それが、私たちの考える
「理法の探究」です。
理法を学ぶことは、答えを暗記することではない
理法を学ぶというと、
正しい答えを一つ覚えることのように思われるかもしれません。
しかし、武道では状況が変わります。
相手が変わる。
距離が変わる。
タイミングが変わる。
自分の身体の状態も変わる。
そのため、一つの答えをどんな状況にも当てはめればよいわけではありません。
理法を学ぶとは、
「なぜそうなるのか」を問い続けること。
教わったことをそのまま信じるだけではなく、
自分の身体で確かめる。
うまくいかなければ、もう一度考える。
それも武道の学びです。
自分の身体を理解する
同じ技をしても、
すべての人が同じように動くわけではありません。
身長も違います。
体重も違います。
柔軟性も違います。
筋力も違います。
年齢や経験も違います。
だからこそ、
自分の身体がどう動いているのかを知ることが必要です。
どこに力が入っているのか。
どこで力が逃げているのか。
どこに無理があるのか。
理法を考えることは、
自分自身の身体を知ること
にもつながります。
力を出すことと、力むことは違う
武道では、力が必要です。
しかし、いつも全身に力を入れていれば、
速くも、しなやかにも動けません。
いつ力を入れるのか。
いつ力を抜くのか。
その切り替えを学ぶことが重要です。
力を出すために、
必要のない力を抜く。
こうした一見矛盾するようなことも、
身体を通して理解していきます。
そこにも理法があります。
技は、自分だけでは成立しない
武道の技は、
自分だけを見ていても十分には理解できません。
相手との距離。
相手の姿勢。
相手の動き。
相手の力の方向。
それらとの関係の中で、
技は成立します。
だからこそ、
自分の動きだけではなく、
相手との関係を見ること
が必要です。
理法を学ぶことは、
自分と相手を切り離して考えるのではなく、
両者の関係を考えることでもあります。
一つの方法を押し通すのではなく、状況に応じる
武道では、
相手も状況も常に変化します。
そこで一つの方法だけに固執すると、
かえって自分の可能性を狭めてしまうことがあります。
相手を見る。
自分を見る。
状況を見る。
そのうえで、
そのときにふさわしい動きを選ぶ。
押し通すのではなく、
見て、考え、応じる。
私たちは、
こうした姿勢も理法を学ぶことの一つだと考えています。
型を学び、型に縛られない
武道には型があります。
型は、先人が残した大切な学びの形です。
だからこそ、
まず正しく学ぶ必要があります。
しかし、型の外形だけを守ることが目的ではありません。
型の中に何があるのか。
どのような身体の使い方があるのか。
どのような攻防の原理があるのか。
それを理解してこそ、
実際の状況へ応用することができます。
型を守りながら、その意味を考える。
そこにも理法の学びがあります。
勝った技が、いつでも正しいとは限らない
試合で勝つことは大切です。
しかし、一度うまくいった方法が、
いつでも、誰にでも、どの状況でも有効とは限りません。
なぜ今回はうまくいったのか。
相手が変わったらどうなるのか。
条件が変わったらどうなるのか。
結果だけを見るのではなく、
その結果が生まれた理由を考える。
勝敗からも理法を学ぶことができます。
理法を考える姿勢を、人生へ
「なぜそうなるのか」と考える姿勢は、
武道の技術だけに必要なものではありません。
仕事でも、人間関係でも、
表面に見えていることだけで判断すると、
本質を見失うことがあります。
なぜ、この問題が起きたのか。
相手はなぜそう考えたのか。
自分はなぜ感情的になったのか。
一度立ち止まり、
背後にある理由や関係を考える。
そして、状況に応じて行動を選ぶ。
技の理法を学ぶことから、
物事を深く見る力へ。
それも、
「武道を、人生に活かす。」
ということの一つだと私たちは考えています。
極真空手を土台として、さらに深く学ぶ
IBMA極真会館は、
極真空手の精神と技術を大切な土台としています。
基本。
移動。
型。
組手。
これらの修練を繰り返しながら、
技術を身につけていきます。
同時に私たちは、
その技術がなぜ成り立つのかを問い直します。
極真空手を否定するのではなく、
極真空手を土台として、その中にある可能性をさらに深く探究する。
それがIBMA極真会館の研究姿勢です。
理法の探究と拓心武道
増田章は、長年の武道実践と研究を通じて、
武道の技術を形だけではなく、
その背後にある理法から理解することを重視してきました。
また、技術だけでなく、
強さ、礼、自己制御、他者との関係、
武道教育についても研究を重ねています。
それらを体系的に考えるための研究体系が
「拓心武道」です。
拓心武道では、
理法の探究を武道技術だけに限定せず、
修練方法や教育、人生との関係まで含めて考えていきます。
この理法の考え方の背景にある、増田章の武道観
増田章は、武道を単に技を反復して身につけるものではなく、
実践を通じて「なぜその技が成り立つのか」を問い続ける学びとして考えています。
また、一つの型や方法を絶対視するのではなく、
自分、相手、状況の関係をよく見て、
その変化に応じて適切な行動を選ぶことを重視しています。
こうした考え方は、
増田章の武道研究や拓心武道の中でさらに深く考察されています。
理法を学ぶということ
形を覚えるだけで終わらない。
なぜ、その技が成り立つのかを考える。
自分の身体を知る。
相手との関係を見る。
一つの方法に固執せず、状況に応じる。
学んだことを、人生の中でも活かす。
私たちは、
こうした学びの積み重ねを
「理法の探究」
と考えています。
技には、理由がある。
その理由を、身体で学ぶ。

