理念を、武道の実践へ
IBMA極真会館は、空手武道を単なる技術の習得や競技としてではなく、自己の心身を磨き、その成果を人生や社会に活かしていく「道」として捉えています。
その基本となるものが、理念・綱領・修練と修道・拓心武道哲学です。
これらは、それぞれ別々の考え方ではありません。
理念が「何を大切にするのか」を示し、綱領が「何を目指して実践するのか」を示し、「修練」と「修道」がそのための修行原理となり、拓心武道哲学がそれらを貫く思想的基盤となります。
このページでは、IBMA極真会館の理念と武道哲学について、より詳しく解説します。
理念とは
理念とは、IBMA極真会館の活動全般において常に立ち返るべき根本哲学であり、すべての判断と行動の基盤となる「価値観の中心軸」です。
私たちは、空手武道を通して身体を鍛え、技術を高めるだけではなく、自らの心を磨き、人間として成長し、その成果を他者や社会のために活かすことを目指します。
したがって理念とは、「どのような技を身につけるか」という技術上の目標ではありません。
何のために武道を学ぶのか。
何のために強くなるのか。
その力を何のために使うのか。
こうした根本的な問いに対する、IBMA極真会館の基本的な考え方を示すものです。
IBMA極真会館の理念
修練と修道を通じ
無限の可能性をひらき
高い人間性を発揮できる
心を育む
人間には、身体的能力、知性、精神性、創造性など、さまざまな可能性があります。
武道の修練は、それらの可能性を引き出す一つの方法です。
しかし、自己の可能性を高めることだけが武道の目的ではありません。
高めた能力をどのように使うのか。
その問いが重要になります。
自己の能力を自己の利益だけのために使うのではなく、他者を尊重し、他者の成長や幸福にもつながるように活かしていく。
そのために必要となるのが、私たちのいう**「高い人間性を発揮できる心」**です。
「良心」と「良知良能」
IBMA極真会館の理念を理解する上で重要な概念の一つが、良心です。
私たちは良心を、人として何が善いことなのかを感じ取り、それを判断し、実践するための心の働きとして捉えます。
これを「良知良能」という言葉でも表しています。
知識を持っているだけでは、必ずしも正しい行動ができるとは限りません。
また、優れた技術や強い身体を持っていても、その力をどのように使うかという判断を誤れば、その能力が必ずしも他者や社会のためになるとは限りません。
だからこそ、武道修行では能力の向上と同時に、その能力をどのように使うべきかを判断する心を育てる必要があります。
力を高めることと、その力を善く使う心を育てること。
この二つを一体として考えることが、IBMA極真会館の人間形成の重要な考え方です。
綱領とは
綱領とは、理念に基づき、私たちが何を目指し、どのような姿勢で空手武道を実践していくのかを示すものです。
理念が「価値観の中心軸」であるならば、綱領はそれを具体的な活動へ導く実践的な羅針盤といえます。
IBMA極真会館の綱領
我々は空手武道の修行により
身体を拓き心を磨き高め
自他の和合と共存
幸福と長生を実現する
空手武道の創設を目指す
ここでいう「身体を拓く」とは、単に筋力や体力を高めることだけを意味するものではありません。
自らの身体を理解し、その可能性を引き出し、より合理的かつ自在に活用できるようになることを含みます。
そして身体を拓くことと同時に、心を磨きます。
さらに、その成果を自分だけにとどめず、他者とのより良い関係へとつなげていく。
その先にあるものが、自他の和合と共存です。
私たちは、武道によって他者を支配することではなく、自己を高めながら他者を尊重し、ともにより良く生きるための力を育てることを目指します。
また、武道を生涯にわたって実践できるものとして捉え、心身の健全さと豊かな人生につなげていくという意味で、「幸福と長生」も重要な目標としています。
「修練」と「修道」
IBMA極真会館の武道実践を理解する上で中心となるのが、修練と修道という二つの考え方です。
この二つは対立するものではありません。
修練によって自己を磨き、修道によってその成果を人生や他者との関係に活かす。
その循環によって、武術の稽古は人間形成としての武道へと深まっていきます。
修練とは
「修練」とは、武技・技術の習得を通して自己の心と身体を磨くことです。
基本、型、組手をはじめとするさまざまな稽古を繰り返しながら、技を習得し、それを適切に活用できる技能へと高めていきます。
しかし、その過程で磨かれるものは技術だけではありません。
集中すること。
困難に耐えること。
自分の状態を観察すること。
失敗から学ぶこと。
感情を制御すること。
状況を判断すること。
こうした能力もまた、修練によって培われていきます。
したがって修練とは、技を媒介として心身を磨く営みであると考えます。
修道とは
修道とは、修練によって得た技、能力、精神を、自己のためだけではなく、他者や社会のためにも活かしていく道です。
武道を学ぶことで力を得る。
しかし、武道において本当に問われるのは、その力を何のために、どのように使うかです。
自己を守る。
他者を守る。
他者を尊重する。
人を育てる。
社会に貢献する。
そして、自分自身の人生をより良く生きる。
修練によって身につけたものを、こうした人生の実践へとつなげていくことが「修道」です。
修練によって自己を磨き、修道によってその成果を活かす。
この二つが一体となったとき、武術の修練は「道」としての意味を持つようになります。
拓心武道哲学とは
IBMA極真会館における「修練」と「修道」の体系を貫く思想的基盤が、拓心武道哲学です。
拓心武道哲学は、空手を単なる格闘技として捉えるのではなく、人間の身体、心、他者との関係、そして自然との関係を学ぶ「道」として探究する考え方です。
その理念を次のように表します。
拓心武道の理念
武術の修練による
心身錬磨を通じ
天地自然の理法を学び
自他一体の道を
修める
「理法」を学ぶとは
拓心武道哲学における重要な言葉が、理法です。
武道の技には、身体の構造、力の伝達、距離、間合い、タイミング、相手との関係など、さまざまな原理があります。
しかし、私たちが考える理法は、技術上の原理だけに限定されません。
自分と他者。
身体と心。
人間と自然。
個人と社会。
さまざまな関係の中に存在する道理を理解し、それに即して判断し、行動することまでを含めて「理法を学ぶ」と考えます。
武道の稽古は、その理法を身体を通して学ぶ場でもあります。
技を学び、その背後にある理を考える。
理を理解することで、さらに技を深める。
そして、その理解を人間関係や人生へと広げていく。
技から理へ。
理から心へ。
心から生き方へ。
これが拓心武道哲学における修行の一つの方向性です。
「自他一体の道」とは
武術では、自分と相手は一見すると対立する存在です。
しかし実際の稽古は、相手が存在することによって成立します。
相手がいるからこそ、自分の技を知ることができます。
相手の動きを感じることによって、自分自身の状態にも気づくことができます。
そして互いに安全を守りながら真剣に稽古することで、双方が成長することができます。
この意味において、自己の成長と他者の存在は切り離すことができません。
自分だけが良くなるのではなく、相手もまた良くなる。
自己を活かしながら、他者も活かす。
そのような関係を追究していくことを、私たちは**「自他一体の道」**と考えます。
理念・綱領・拓心武道哲学の関係
IBMA極真会館の思想体系は、次のような関係として理解することができます。
理念
何を大切にし、どのような人間を目指すのか。
↓
綱領
その理念を、空手武道の修行と活動においてどのように実践するのか。
↓
修練
技を学び、自己の心身を磨く。
↓
修道
修練によって得たものを、自己・他者・人生・社会に活かす。
↓
拓心武道哲学
その全体を貫き、技から理を学び、人間としての生き方へとつなげる思想的基盤。
↓
武道人(Budo-Man)としての実践
学んだ理念を、日々の判断と行動の中で実践する。
この最後の段階を具体的な行動原則として示したものが、**「武道人(Budo-Man)の七つの行動指針」**です。
【武道人(Budo-Man)の七つの行動指針を読む】
武道を、人生に活かす
武道は、道場の中だけで完結するものではありません。
技を学ぶことから始まり、身体を知り、心を知り、他者を知り、さらに自分自身の生き方を考える。
そして、そこで得た知恵や能力を家庭、仕事、教育、地域社会など、それぞれの人生の場で活かしていく。
IBMA極真会館が目指しているのは、そのような武道です。
修練によって自己を拓き、
修道によって他者と社会へつなげる。
そして武道を通して学んだ理法を、より良く生きるための智慧へと変えていく。
それが、IBMA極真会館における理念・綱領・拓心武道哲学を貫く基本的な考え方です。
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