[第45号:2021-2-7]

本号の内容について

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2021年2月のイベント予定

  1. 昇級審査会「2月7日(日)
  2. 昇段審査会:2月21日(日)
  3. 第3回月例試合:2月28日(日)

 巻頭言

 

 

 

 

 

【小論を書き終えて】


 これまでの歩みを大まかに振り返り「極真空手の偏向〜武道とは何か」という題で小論を展開した。言葉足らずの部分があるかもしれない。すぐに見直したい。ここでもう一つ、書き添えておきたいことがある。武道の修練とは、とってつけたように人間形成を言うのではなく、事理を照合し、一致させる修行であるはずだ。そして、その修行を通じ、武の理法が人間の理法、すなわち人としてのあり方、生き方と繋がっていると体認させることが武道本来の人間教育の在り方だと思う。

 だが、武道の修行を行うにあたり、礼法、礼節、道徳を形式的でも良いから教えることは、武の道への到達の近道になるかもしれない、とも思っている。なぜなら人間の理法であれ、武の理法(拓心武道)であれ、それを真に理解するには、まず持って心構え(意識)ができていなければできるものではないと思うからだ。私は長い間、説教臭いことはしてこなかった。だが、これまでの修練法と異なる、顔面ありの武術には、必ず理法の習得が必要だと考えている。逆に言えば、顔面ありでなければ、否、武術を前提とする修練でなければ、人間の理法は、ただの雑音になる可能性が高いと言っても良い。

 始まったばかりの拓心武道の修練において、「理法」の体得とその修行により、道場生の心の眼が拓くことを期待したい(ただし、心の眼を拓くには、先ず以って、周りの価値観に左右されない独自の価値観への希求が必要である)。心の眼を拓くとは、自我を見極め、かつ自他との関係性を見極めるような認識を得ることと言っても良い。言い換えれば、たゆまぬ自己の更新、かつより高次な自己を確立していくことだ。そして、その手段となり得るものが、本当の武道だ、と私は考えている。

【我が空手修行を振り返ってみれば】

 ここで我が空手修行を振り返ってみれば、どんなに修行しても、そもそも人間の肉体には、刀剣に対する打たれ強さは無いに等しい。その代わりと言ってはなんだが、刀剣に対峙する修行は心が研ぎ澄まされるように思う。ただし、修練者の認識と手法、そして目的に邪心、偏向がなければの話だが。
 要するに、刀剣に対する肉体的な打たれ強さの獲得が不可能だからこそ、剣術の修行においては、その一撃をもゆるがせにせず、その事に対峙しなければならないのだ、と私は考える。さらに、そのような心構えから「撃ち間(打ちま)の理合」「機先を制するための理合」などが志向されるのだろう。また、刀剣(真剣)との対峙は、人間の心の弱さを実感するがゆえに心法(心の理法)の開拓にも貢献したに違いない。そして長い年月の中、剣の達人達の誕生とその功績により、より善い剣の活かし方、そして「剣の道」が創出されていった。

 だが剣の道も空手の道も単なる競技試合の勝ち負けを喜んでいるようでは、道の体得はできないであろう。そこが非常に重要である。

 現在、我が極真会館増田道場では、コロナ対策も兼ねて、新しい組手法を実施している。そのことによる、理論の修正や更新、さらに指導法の確立が急務だと思っている。それはさておき、更新という作業は重要なことだ。わたしは、たゆまぬ更新作業こそが、物事を継続して行い、かつ高めていくために重要なことだと考えている。更新作業、プロセスを経ていない事は、惰性の産物でしかなく、低いレベルの創造物でしかないだろう。

 あえて誤解を恐れずに言えば、長年にわたり、鬱陶しく思っていた霧を除去されたように、今私は感じている。また、かなり遠回りをしたようにも思うが、「間の理合(間の理法)」と「機先を制する理合(機先の理法)」はあらゆることに通じるように思う。それを知るには、繰り返すが、顔面突きありの組手修練が最低限必要である。  

 断っておくが、理想の境地への到達は、はるか遠く感じる。しかしながら、最低限、それらの理合の体得を志向して、初めて武術の基礎ができると考えている。さらに武術から得た技術と技能の思想を人生に活かすことができると思う。それを実践することで初めて、武の先達の志向した「みーち(御ー地/御地)」、すなわち「道」が見えてくると思う。


【心眼を拓く】


 もう一つ、拓心武道には、抑えておいて欲しい概念がある。それは「制心」「制機」「制技」という三つの鍵概念である。鍵概念を理解する簡単な方法は、「活かす」という言葉と意味を志向すれば良い。つまり、「心を活かす」「機を活かす」「技(体)を活かす」という具合だ。月例試合の合間にもそれについて語った。おそらく子供達は目が点になっていたかもしれない。もちろん子供達には上手くなったと良い点を褒めるにとどめた。だが、60歳を超えても精進を続ける、立派な壮年部の黒帯の方々に、上から目線ではなく、いつも理想を追求する私の武道哲学を知ってもらいたかった。ゆえに熱弁をふるってしまった(ややこしいことを述べてすみません)。  

 また、拓心武道の核は「本当の強さを発揮する」そして「心眼を拓く」ということである。補足すれば、心眼は開くではなく、拓くということ。なぜなら、心とは物事を認識するための基盤であり、それを偏らせることなく開拓し続けることが大事だという意味合いがあるからだ。つまり、わたしのいう心眼とは心と一体ではああるが、心眼の体(基盤)を心とし、その心による認識、判断能力を心眼としている。また、その中心(核)には人間をよりよく活かす良知良能のような力がある、と私は直感している。それが心の本体である。

 最後に、小論でも少し触れたが、空手は剣と違い、絶対の道具を基本としない(ただし拓心武道は、道具を用いることを想定しているが)。だが、腕が二本、脚が二本(通常は)と多数の道具を有し、かつそれらの道具は剣よりも柔軟である。ゆえに、多様な変化の可能性を有するのだ。一方、それゆえ技術や技能の深奥を掴みにくいとも言える。しかし、だからこそ面白い。その面白い武術を深め、かつ高めたい。それが私の理想である。

▼1月31日 第2回 月例試合参加者(写真撮影の時だけマスクを外しました)

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第45号 編集後記

 

 大袈裟に聞こえると思うが、私は極真空手の組手に人生を賭けて来た。にも関わらず、私自身の極真空手の技術と技能、そして何より武の思想に納得がいかなかった。そのことは自分自身に向けられるだけではなく、極真空手自体に向けられることもあった。

 私には、極真空手以外の空手や格闘技の第一人者との他流試合や交流の経験がある。ゆえに他の極真空手人の技能や武道哲学に違和感があって仕方なかった。もちろん、私の経験などは高が知れている。だが、多くの経験や研究による思いを沈殿させた心身からの呼びかけに苦しんできた。

 この苦しみの部分が他の極真空手人のみならず、斯界のリーダー的立場の人達と私との決定的な溝ではないかと思っている。悲しいのは、そんな極真空手でも、私を育んでくれた故郷である。私には、その故郷の仲間に受け入れ、仲良く力を合わせたいとの思いがある。その一方、我が故郷の文化やあり方を他の世界の意識の高い人たちにも、真に理解され、かつ認められるようにしたいと思っている。それが極真空手の出自からすれば、叶わぬ望み、理想だということは承知の上だ。それでも、やれるだけやってみたい。

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