IBMA極真会館 主席師範 増田 章の経歴
生まれ
1962年5月、石川県金沢市に生まれた。12歳から和道流空手を始め、16歳の時に大山倍達率いる極真会館石川県支部に入会した。その後、10代から20代にかけて、極真空手の組手競技の選手として、全日本選手権及び世界選手権で活躍した。
選手生活
増田は選手時代、18歳で全日本選手権大会に初出場した。初出場の全日本大会において極真空手の全日本3連覇チャンピオン三瓶啓二と対戦。延長3回を戦い抜き、日本中にその名前を轟かせた。その後、14、17、18回全日本選手権では、松井章圭(極真会館・現館長)と対戦し、黒澤浩樹氏(故人)と極真会館3強時代を築いた。
第3回世界選手権大会ベスト16、本大会ではヨーロッパチャンピオンのミッシェル・ウェーデル氏、全日本チャンピオンの大西靖人氏と対戦した。第4回世界選手権大会では、ヨーロッパチャンピオンのアンディ・フグ氏(故人)、同じくヨーロッパチャンピオンのマイケルトンプソン氏と対戦し、3位となった。第5回世界選手権大会では、石井豊、ジャン・リビエール、緑健児氏と対戦した。
全日本優勝
増田は、全日本選手権8回、世界選手権に4回出場し、常に3位、準優勝と上位入賞を果たすが、優勝を逃し続けた。当時、増田は「無冠の帝王」と呼ばれた。そして、衝撃のデビュー戦から約10年目となる第22回全日本選手権において、悲願の優勝を果たした。
100人組手
全日本選手権優勝の翌年、増田は極真会館の伝説の荒行、「100人組手」に挑んだ。この100人組手において、増田は3時間22分を戦い抜き、100人組手を完遂した。だが、100人組手の直後、急性腎不全となり、1ヶ月以上の入院生活と退院後も闘病生活を余儀なくされた。その半年後、増田は100人組手による傷病のダメージが回復しないまま、 第5回世界選手権に出場した。その世界大会において、増田は決勝戦まで進み、3回の引き分け判定後、体重判定により準優勝となった
IBMA(国際武道人育英会)
2000年、 増田は斯道の発展と向上を目指して、NPO法人・IBMA(国際武道人育英会)を創設した。IBMAでは「交流」「理解」「尊敬」をキーワードに全日本ウェイト制空手道選手権大会の主催(10回)を主催した。
2012年からIBMA極真会館 主席師範として、IBMA極真会館空手道の普及並びにフリースタイル空手プロジェクトを実施した。
競技実績
- 1980年:第2回 北信越空手道選手権大会 出場 第2位
- 1980年:全日本硬式空手道選手権大会 中量級出場 第3位
- 1981年:国際空手道連盟 極真会館 第13回 全日本空手道選手権大会 出場
- 1982年:国際空手道連盟 極真会館 第14回 全日本空手道選手権大会 出場 第8位
- 1983年:国際空手道連盟 極真会館 第15回 全日本空手道選手権大会 出場 第5位
- 1984年:国際空手道連盟 極真会館 第 3回 全世界空手道選手権大会 出場 ベスト16
- 1985年:国際空手道連盟 極真会館 第17回 全日本空手道選手権大会 出場 第3位
- 1986年:国際空手道連盟 極真会館 第18回 全日本空手道選手権大会 出場 準優勝
- 1987年:国際空手道連盟 極真会館 第 4回 全世界空手道選手権大会 出場 第3位
- 1988年:国際空手道連盟 極真会館 第20回 全日本空手道選手権大会 出場
- 1989年:国際空手道連盟 極真会館 第21回 全日本空手道選手権大会 出場 第4位
- 1990年:国際空手道連盟 極真会館 第22回 全日本空手道選手権大会 出場 優勝
- 1991年:国際空手道連盟 極真会館 第 5回 全世界空手道選手権大会 出場 準優勝
増田章の著書、記事、他
- 2007年:フリースタイル空手(ノベル出版)
- 2009年:吾、武人として生きる(東邦出版)
- 2010年:勝てる歩法(東邦出版)
- 増田 章に関する雑誌記事、その他
- アメーバブログ:増田章 身体で考える
- 拓心武道論(電子書籍・Kindle版)最新(2022-3-12)
- 心撃不敗の修練理論(電子書籍)
増田章プロフィール
- 1962年5月生まれ
- 身長:177cm /体重:92kg
- 石川県金沢市生まれ
- 空手道九段(極真世界連合 SENSHI 認定)
- 著書に「フリースタイル空手」(ノベル出版)/「増田章 吾、武人として生きる」(東邦出版)/「勝つための歩法」(フルコム)などがある。
- IBMA(国際武道人育英会)理事長
- IBMA極真会館増田道場 代表
- 極真世界連合(KWU-SENSHI )会長就任 2023年より