[第50号:2021-7-3]

本号の内容について

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教本の更新

応用組手型の新規更新

 

第7回 月例試合の報告

 

巻頭コラム

         

 

 

 

 

初心忘るべからず

【老年期こそ】

 6月の大半、ぎっくり腰で稽古ができなかった。日記を見てみると、昨年も6月にぎっくり腰になったようだ。5、6月は季節の変わり目、身体に支障をきたしやすい季節なのかもしれない。その間、コルセットを巻きつつ、休み休み、PCに向かい、教本作りを行っていた。腰を休ませる際は、読書をした。初めは、これまでリハビリや体力の維持に頑張ってきたが、もうだめかな、とも思った。若い頃に酷使した膝や肩、腰に障害がある私は、毎日が勝負だ。そして、私も老年期に近づいてきた。どんな人もやがて老年期を迎え、そして人生の最期を迎える。そうなれば、全ての人に老年期が重要だということは言うまでもないだろう。

 その老年期にこそ、重要なこと。それは「初心忘るべからず」だと思う。この言葉は、能の先駆者、世阿弥の言葉である。この言葉は、スポーツなどの技芸を行う、比較的若い人達向けの言葉に思われているが、そうではない。「初心忘るべからず」と言う言葉は、世阿弥が門下の弟子たちに門外不出として残した伝書、「花鏡(かきょう)」に示された言葉である。

【万能一徳(まんのういっとく)の一句】

 花鏡において世阿弥は、「初心忘るべからず」は「万能一徳(まんのういっとく)の一句」だと述べている。

 「万能一徳の一句」とは、「全てにおいて普遍的な徳を与える言葉」ということだろう。また、花鏡には、「初心忘るべからず」には3種の教えがあると書かれている。

 その3種とは、

1)是非とも初心忘るべからず(是非によらず、修行を始めたころの初心の芸を忘るべからず )

2)時々の初心忘るべからず (修行の各段階ごとに、各々の時期の初心の芸を忘るべからず ) 

3)老後の初心忘るべからず (老後に及んだ後も、老境に入った時の初心の芸を忘るべからず )である。

 要するに、世阿弥がいう「初心」とは、「物事を始めた時の謙虚な気持ちを忘れないようにすること」というような意味合いではないということだ。

【自己の未熟を感じる】 

 増田流に意訳すれば、世阿弥のいうところの「初心」とは、初めて物事を認識した時の状態を忘れず更新し続けなければならない、ということを示していると思う。もちろん増田流の解釈なので、少々補足を加えたい。
 
 まず、認識とは意識の領域において生じる現象である。異論はあるだろうが、私は意識が心だ、といっても良いと考えている。その前提で言えば、その時どきの認識を忘れず、それを活かし続けること。つまり、観客に感動を与える芸を持ち続けるためには、過去の認識に留まらず更新し続けなければならない。同時に、過去の認識も忘れてはならない。なぜなら、よりよい更新とは、原点に立ち戻り、活かし続ける行為だと思うからだ。そして、そのような考え方、意識を有する者は、必ず自己の未熟を感じるはずである。しかし、人間は未熟を感じるからこそ発展するのだ。言い換えれば、人間は最期まで未熟ではあるが、それを自覚する限り、芸は発展し続けるものだから、絶えず未熟を思い、慢心せず芸(の道)を追求せよ、と世阿弥は述べているのだと思う

【自分を活かす能力】

 私には、花鏡において世阿弥の述べていることは、「絶えず初心を忘れず、修行において培った、全ての技を活かせ」と言っているように感じた。また、それができるほどの者なら、あらゆる技を使いこなし、かつ全ての観客との勝負に勝つことができると述べているのだと思う。私は、世阿弥の言うような能力(技能)と感覚こそが、自分を活か能力と感覚だ、と考えている。

 補足すれば、自分を活かす能力、それは身体の可能性を開拓し、かつ心を高めていく能力のことである。その真髄は「初心忘るべからず」だ。それは、私の目指す拓心武道においても銘記したい。なぜなら、私は拓心武道において、空手を身心を基盤とする意識(心)のネットワークの構築並びに、その場所において、光(悟り)を生み出すこと、かつ光を感じる感性を創り上げる手段としたいからだ。

 さらに言えば、身心とは、意識を鮮明にしていく道具であると同時に、その道具の活用と思索によって培った意識を保存しておく貯蔵庫でもある。それらを必要な時に生かしていくために、心の領域の訓練が諸事に必要なのである。

 また世阿弥の背骨である能は身体表現の世界である。そして、心を身体で表現することに意味と価値がある。ゆえに身体操作を型稽古によって究め、同時にあらゆることに処しつつ、心を究めるのである。

 私は空手武道を伝えることを生業としているが、私の伝える空手武道とは、世阿弥の考える「道」と同様のものを感じら取れるものとしたい。だが、多くの空手家が、そのような認識に至ってはいない。それは、未熟な勝負論と勝負法(競技法)にとどまり、身体操作とその心を磨くために必要な視点がかけているからである。

【人間修行の究極】 

 さて、私が拓心武道に込める想いは、初めてことを始めた段階、各修行段階、そして老境の段階における、土壌(基盤)を理解すること。同時に、その時分時分、季節季節において、自己に内在する成長の種子(成長の可能性)を育て上げることといっても良い。

 そのような自己に内在する種子を季節季節(時分時分)において育てること。そして、自己の心身において「花」を咲かせること。さらに言えば、実を結実させることが人間修行の究極なのである。

【古と今の「初心」を考えること】 

  先述した「花」という用語は、世阿弥の能学理論の概念用語だ。世阿弥のいうところの「花」とは、観るもの(観客)に感じさせる面白さ、珍しさ、感動を指している。また、それを「美」と言っても良いが、「美」についての説明は簡単ではないので、その言葉は使わない(またの機会の考究したい)。

 いうまでもなく、世阿弥の追求した芸の構造並びに身体操作、技術と技能を理解していなければ、世阿弥のいうところの「花」の概念の深い理解は困難だと思う。さらに、その技術と技能に内在する「心(精神)」のあり方を理解する者でなければ、真に理解できるものではないだろう。

 そう考えれば、世阿弥のいうところの「初心」も修行に対する認識が浅いと理解されるものではないだろう。しかしながら、その浅い認識、斯界の人達の「初心」にも対応できるよう、芸を磨き高めることも、世阿弥の「初心忘るべからず」に含意されているに違いない。また、非常に困難なことだが、世阿弥が生きた室町時代の感覚と現代の感覚を想像してみなければ、本当の意味はわからないかもしれない。しかしながら、古と今の「初心」を考えること。それもまた、「初心忘るべからず」の言葉に内在する真理のような気がする。最後に、最期まで初心を忘れず、心の感動を活かし続ければ、人生はより豊かなもになるに違いない。

 

以下、花鏡の原文からの抜粋。

『しかれば、当流に、万能一徳(まんのういっとく)の一句あり 

初心不可忘 (しょしんわするべからず)

此句、三ヶ条(の)口伝在。 

是非初心不可忘。時々初心不可忘。老後初心不可、忘。 

此三、能々口伝可」為』

 

花鏡
かきょう書名。『はなのかがみ』ともいう。世阿弥著。応永 31 (1424) 年嫡子元雅に伝えた能楽の秘伝書で,『風姿花伝 (花伝書) 』を発展させ,40代から老後にいたるまでの能についての芸術論を説く。題目6ヵ条,事書 12ヵ条,計 18条から成る。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 

 

 

 

 

↓第7回月例試合の参加

 

 

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  • 投げ技・倒し技の組手型は2022年以降に採用予定です(これまで一部の道場生のみ修練していました)。。

   

イベントの予定 2021年6、7月

 

  1. 第8回月例試合:8月1日(日)→参加案内はこちらから
  2. 昇段講習会:7月18日(日)

 

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第50号 編集後記

 熱海市が大変な状況のようだ。熱海は何度か訪れたことがあり、住んでみたいと思っていた場所である。本当に何があるかわからない。これ以上被害が拡大しないことを祈念したい。

 さて、コロナパンデミックの状況下、新しい試みとして、ヒッティング方式の月例試合を始めて7回目を終えた。月日の経つのは本当に早い。

 今回は、少なめの参加者だったが、何度も参加している人達に確実な上達が見られた。同時に初めて参加する者の未熟が見えた。しかし、その者に伝えたい。

 誰もが、初めは未熟である。だが、経験を重ねる度に上達している。大事なことは、段々と上達することであり、それを経験することである。その経験こそが、人を成長させ、強くする(心を)。しかしながら、その経験を正しく検証しない者には、上達もないし、成長もない。

私が新しい試合法を実施するのも、より自分自身の技術、技能を検証しやすい枠組みとしたいと考えたからである。そして、その検証と併せた技術、技能の研鑽が、身体を開拓し、心を高める手段となると考えるからである。だが、そのことを全ての人が理解しているとは言えないかもしれないとも思っている。

そして、そのことを了解させ、それを受け入れさせるためには、より丁寧な指導と仕組みが必要だと思っている。

 先日、稽古の後で、壮年部の方から、月例試合についての感想があった。その人は、緊急事態宣言等の事情で、稽古には参加していなかったが、映像で見たという。その人が言うには、試合が突き技に偏重していて、蹴り技が少ない、と言う感想の述べていた。そして、自分が参加するときは蹴り技を決めたいと語っていた。

 中々、良い感想だと思った、確かに試合参加者の決まり手は上段突きが7割以上である。おそらく、初期の段階では、顔面への突きへの対応に懸命で蹴り技に意識がいかなかったのだと思う。だが、段々と上段の突きへの対応が慣れてくれば、蹴り技の使用もできるようになるだろう。私も、これまでは突き技に対する突き技の対応の型を教えてきたが、突き技に対する蹴り技による対応、また、突き技に対して、単技の対応のみならず、反撃を突き技と蹴り技を組み合わせた連係技でおこなう型を教えたい。

 そのような技術は応用組手型で教えたいが、応用組手型はまだ一般道場生には伝えていない。だが、本道場での修練体系には多彩な技があるが、その技を全て覚えなくとも、その多彩な組手型に内在する原理は数種である。その数種の原理さえ理解できれば、技に限りはない。より重要なことは、その技の原理を理解することである。また、組手の原則を理解することだ。それを伝えるために、修練教本の内容の追加、更新に忙しい。現在、基本的なことは掲載されているが、より高いレベルの組手法に関することは不十分である。今年中には、形になるとは思う。だがその後も、絶えず見直し、追加、更新は続くであろう。

 最後に言いたいことは、人間が認識する時間は有限である。その時間を生かす方法は、わずかでも良いから続けることだと思っている。

 私が主学生の頃、空手道の先達の言葉に感銘を受けた。その言葉は「空手は湯の如し 絶えず熱度を与えざれば元の水に還(かえ)る」だったと思う。

 また、私が高校生の頃、極真空手の恩師、浜井先生が私に語ってくれた。「増田、水の温度を上げるには、低い温度で熱を与え続けてもダメだ。一方、最初に大きな熱度を与えて温度を上げた上なら、あとは低い熱度でも温度を維持できる」

 私は記憶力に自信がないので確かではないが、高校生の時の自主研究による成果だ、と浜井先生は言っていたように記憶する。また、私は恩師の聡明さに感心したように記憶する。だが、その時以来、何事も初めは真剣にやらなければならない。また、ある程度、物になってきたら、今度は倦まず、諦めずに、継続して訓練しなければ、本物にはならないと、銘記している。

 

 

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