[第67号:2023-4-2]

 
 
 

第67号の内容

  • 巻頭コラム:無心〜WBCを観て
  • 特集1:第17回 月例試合の報告
  • 特集2:第17回 月例試合の体験レポート
  • 特集3:2月26日・組手合同稽古体験レポート
  • 第67号 編集後記

   

 

巻頭コラム:無心〜WBCを観て

 


●本コラムは、WBCが開催されていた時、私の日記に記録しておいたものである。


 WBCのメキシコ戦において村上宗隆選手が打って勝利した。まさに皆が望んでいた勝利だった。ファンは、佐々木が完封し、打者が打ちまくる。そんな勝利を望んでいた人もいたかもしれない。

 だが、メキシコチームは弱くなかった。エンジェルスで大谷と同僚のピッチャーもすばらしい投球を見せ、さらに打撃も守備も素晴らしかった。日本チームは負けそうだった。ダメかもしれないと思った人もいたのではないだろうか。

  だが、日本はメキシコチームに得点をリードされた中でも動じず、ゲームの終盤、メキシコとの点差を山川穂高選手の犠打、 吉田正尚のホームランなどにより縮めた。

 そして、4対5で迎えた9回裏、大谷が2塁打で口火を切った。まるで、「みんな挑戦しろ、これからだ」とでも言うようにチームメイトを鼓舞したように見えた。大谷の姿はまるで、勝利への「北極星」のようだった。私は大谷という北極星が、逆転勝利へと導いたように感じた。その後、吉田正尚が四球で出塁した。そして、村上宗隆の打順。最後にお傷立てが整った。

 そして、村上宗隆の打順。最後にお傷立てが整った。それまでの村上を見て、私は「若いな」と思っていた。
誰もがそう思っていたに違いない。たが、私は村上を「ダメ」だと思っていたわけではない。むしろ、村上がみんなの期待に応えようと頑張っている姿に好感を持った。だが、その真面目さが不調の正体だとも思っていた。

 村上選手に関しては、打席数が一定数に達すれば、調子は上がって来ると、野球関係者は言っていた。私も、最後になれば、村上はいい仕事をすると思っていた。そして、打てないのは、打つまでの準備期間だと思っていた。

 しかしながら、負けが許されないWBCでは、気が気ではなかったかもしれない。それでも私は、村上は最後に仕事をすれば良いと思っていた。

 本来、実力はあるのだから、打てないわけはない。しかし、実力があっても重要な試合において力を発揮することは容易ではない。プレッシャーか?そんな思いがみんなにあったかもしれない。

 野球のみならず、スポーツは少なからず賭博的な部分がある。その意味は、確率的な部分があるということだ。私は、他の選手に変えたところで、確率的に見れば、村上を使い続けることがベストだと思っていた。また、それならば、村上に気持ちよく、かつ全力を発揮させた方が良いと思っていた。


 私が期待していたのは、村上から「無心の一打」が生まれる瞬間だった。
そして、その一打が生まれた。


 その「無心」を言い換えれば、「応無所住而生其心」だ。その意味を私流に意訳すれば、「とらわれるものなくして心を使う」ということである。
 
 しかしながら「無心」はむずかしい….
ゆえに、私は村上の打席を見ながら、いつも「只振れば良い」と思っていた。

「あの球を狙おう」「こう打とう」と、思う心によって、わずかなズレが生じているのだと思っていた。

 只、振れば良いのだ。これまでの積み重ねた経験を信じて。私は村上のサヨナラの一打は、まさに無心の一打だった、と思う。

 今、栗山監督が村上を信じて使い続けたことを、美談のように皆が語っているが、実は、野球は確率的な要素が大きいということ。また、日本球界を担うスラッガーの扱い方を考えることが重要だと思っていた。つまり、あそこで代打に変えても成功する確率はしれている。また、全くもって面白くない。ならば…。私はそのように考えていた。そして、無心の大切さ、自分を信じることの大切さが表れる瞬間を私は予測していた。

 これまで、私は野球のみならず、さまざまなスポーツを見てきた。その目的はスポーツ観戦自体を楽しむことためではなく、その中にあると思われる勝負の構造を見るためだ。そして、勝負の構造によって「技能」が創られ、かつ、アスリートの心技体が創られるという私の仮説を確かめるためである。

 私は、スポーツの素晴らしさは、その競技によって創られる「技能」の巧妙さと競技によって形成されるドラマの中で、人間の心技体が研ぎ澄まされるという点にあると思っている。また、アスリートとは、競技によって心技体が研ぎ澄まされた者のことをいうのだと思う。
 
 さらに述べれば、スポーツ(競技)ファンは、スポーツの賭博性と選手のスキル(技能)に酔いしれている。そして、ファンを虜にする競技とは、ドラマがあり、かつ賭博性があるものだ(ただし数値化でき、イカサマではない競技)。その上で選手のスキルと心技体の卓越性が理解できる競技だと思っている(断っておくがショーと競技は別、ここでいう競技とはスポーツのこと)。
  

 蛇足だが、後日、元巨人の篠原氏が村上のバットの握り方が良くないというようなことを言っていたらしい。また、WBCの開催中、それを伝えたかったらしい。

 私は村上の構えとスイングにずっと注目していた。野球の素人の私だが、打てない時の村上は上の方へ(上半身の方へ)意識が行き過ぎていたと思う。
 だが、無心になった時には、力が全身に分散し、ゆったりとした構えになっていたと思う。そして、スイングは滑らかになった。

(文:増田 章)

 

 

特集1:第17回 月例試合の報告

参加者の皆さん、お疲れ様でした!!

T S方式の組手ルールで重要なこと
  • 動画の最後にTS方式組手法の注意点が記載されています。有段者は必ず確認しておいてください。
  • 技ありの点数が変更になっています。上段突き2点、上段蹴り3点、中段突き2点、中段蹴り2点、下段蹴り2点です。
  • 注意(ルール変更):中段突きと蹴りは1点でしたが2点とします。映像では今後のために2点で表記しています。審判の宣告と異なることをご了承ください。
  • 反則行為は明確となっています。あとは主審、あるいは副審が厳しく判断することが重要です。映像判定が望ましいですが、現時点ではできません。
  • 場外は1回目は1点を相手に加算。2回で反則負けとなります。
  • 得点差は6点以上で「勝負あり・一本」として試合終了となります(アマチュアボクシングのテクニカルノックアウトのようなもの)
  • 頭部を極端に下に向けたり、横に向けると、注意を宣せられることがあります。
  • 「技あり」は決められた箇所に正確に当てることが必要となります。
  • 「技あり」は、明確な意識(気合いによって明示)があり、かつ、ある程度の体重移動がなければなりません。
  • 頭部への突き技は「コントロールドヒッティング(制御された打撃)」でなければなりません。この概念はTS方式独自の概念です。

修正版・動画

 

 

 

特集2:第17回 月例試合の体験レポート

3/26(日)、今年初めての月例試合が開催され参加しました。
個人的には11月の昇段試験以来、4か月ぶりの実戦となります。

冒頭はいつものように増田師範のお話から入りました。
いつもながら物事の本質を突いた、理法にかなった大変有意義なお話だと思いました。
正直言って師範のお話は難しい表現も多々あり、理解の悪い私など2度3度聞かないとその意味を理解できないこともあるのですが、しかしその理解をすることが私にとっての楽しみであり、私の空手の一部でもあります。

試合開始。前半はいつものように小学生、中学生クラスの試合です。
小学生は初出場の子、試合経験の浅い子が多いように思ったのですが、何はともあれ自分の意志でこの場に出てくることが立派です。間合いを取りながら必死で技を繰り出す姿に感銘を受けました。
中学生同士の試合は大幅にレベルアップしておりました。若者らしいパワフルな技の攻防だけでなくその精度も向上しておりました。もし自分がこの中に入っていたらどうなるんだろうと空恐ろしくさえなりました。

後半はいよいよ壮年部です。
今回の出場者は5名。平尾弐段と私に加え、試合経験の浅い3名が参加しました。
月例試合の壮年部というといつも平尾弐段、上原初段と私の3人(私は勝手に「月例三銃士」と呼んでおります(笑))がお決まりのメンバーなのですが、こういった人たちが参加してくれると素直にうれしいです。全体のレベルアップにもつながると思います。
空手をやる人あるあるなのかもしれませんが、試合を重く考えすぎだと思います。年に一度の全身全霊をかける場、試合をそんなイメージでとらえていると常々感じておりました。
そういう試合もありますが、稽古の一環のつもりで、誤解を恐れず言えばもっと軽い気持ちで出場しても良い試合もあります。月例試合はまさにそういう試合です。どしどし参加してもらいたいと思います。
3名は試合内容も素晴らしいものでした。間合いの取り方、繰り出す技、攻防のタイミング、勉強になる点が多々ありました。
それに引き換え私の試合は、、、いや深くは言いますまい。反省を活かして次回につなげます。
その繰り返しで少しでも空手をうまくなりたい。
私も今日出場した他の参加者に負けずにレベルアップしていきたいと思います。

(作成・文:鈴木 智二段)

 

特集3:2月26日・組手合同稽古体験レポート

2月26日(日曜日)開始16時より、第二回目となる組手合同稽古に参加させていただきました。
当日は、少年部・青年部・壮年部の総勢23名が参加。
普段違う道場の仲間たちが一堂に会して、組手をじっくり学べるのは本当に貴重な時間でした。

今回も秋吉師範代より、物腰柔らかで、でも実はキツイご指導をいただきました。
まずウオーミングアップの5分間ジョギングから始まり、突きだけのシャドー、突きと蹴りのシャドーをみっちり。
普段の道場稽古ではじっくりとシャドーをやる時間はないので、バランスとコンビネーションについて色々気付きを得ることができました。
特に自分は前回の合同稽古で南屋敷指導員に「同じコンビネーションの繰り返しでは勝てませんよ」とご指摘いただいたので、シャドーの中でいかに様々なパターンを出せるかに挑戦いたしました。

次に、少年部・青年部・壮年部に分かれてのスパーリング。
これが結構長い時間で、2月にも関わらず汗だくでした。特に別道場の方は自分がいつも一緒にやっている仲間の方の攻め方・受け方と違うために、とても深い学びが持てました。何より私が30代の頃に八王子道場で鍛えてくださった平野四段と久々の組手ができて、とても嬉しかったです。
そして小休止を挟んで、なんと青年部の方も一緒のスパーリング。
多分前回合同稽古のレポートで上原さんが「個人的には、青年部の人達とも、とても敵わなくても、ライトスパーリングをしたかったなと思った。」なんて書いたからでしょう(汗)
でも、中台さんをはじめとする百戦錬磨かつ若い方のお相手は、60過ぎのジジイには、怖いけど素晴らしい気付きばかりの濃厚な時間でした。

最後にまた壮年部だけのグループになってのスパーリング。これがなかなかに長時間。一周終わっても、南屋敷指導審の「はい、お互いに礼、構えて!」と次の戦いを促す言葉が続きます。
汗だくでヘトヘトになりましたが、不思議に極限まで疲れてくると、無用な力が抜けた分、軸で動くようになってくる感触もありました。
調布道場で秋吉師範代よりご指摘いただいた「上空から自分と相手の両方を俯瞰する視点」も疲れるほどに逆に意識ができるような気もしました。
最後のお相手は、いつも調布道場で一緒に汗を流していた上原さん。おかげでラストスパーリングはお互いに年を考えない、熱い戦いになりました(笑)

稽古が終了して記念写真を撮っていただき、帰り支度をしていると、秋吉師範代が窓の方で手招きされるので行ってみると、まるでポスター写真のような美しい夕焼け!最後に良いものを見れました。

本当に充実した気持ちと大きな学びで帰路に就くことができました。
この組手合同稽古は技術的な学びもとても大きいですが、普段別に稽古をしている増田道場生の仲間たちとご一緒できることに大きな充実感を感じます。
秋吉師範代、南屋敷指導員をはじめ、一緒に稽古をしてくださった増田道場の仲間の皆さん、本当に本当にありがとうございました。
次は月例試合でお会いしましょう!

そして・・・帰ってからのビールのうまいこと!!

(文:平尾貴治 二段)

 

2023年の行事予定

以下は、行事日程が決まり次第、更新します

4月  合同組手修練会:4月23日(日)

6月    昇級審査:6月11日(日曜日)

 7月  修練合宿(長野):7月15(土)、16(日)、17日(月・祝日)

 9月  IBMA極真会館大会:9月24日(日)

 

 

第67号 編集後記

死んだ者の骨の上に新たなものを造らねばならぬ。

いつまでも逝けるを悲しむは、生きていく道ではない。

腐ったものを肥料にして草花の美しいのが咲き出る。

何といっても、これが生の真相であり、生の原理である。

(鈴木大拙 全集7巻)

 私は時々、致知出版社から出ている、「鈴木大拙 一日一言」を手にとる。
本書は、鈴木大拙の多くの著作の中から、珠玉の言葉を選び、読者が1日に1語、その言葉を味わえるようになっている。

 私は30年以上前、鈴木大拙の撰集、著作をかなり読んだ。私と鈴木大拙氏は金沢の出身で同郷だ。私はその思想にかなりめり込んだ。本書は、再び、その頃の自分を思い起こさせてくれる。同時に、年を重ね、30年前とは異なる感想もある。また、さらに深く、鈴木大拙氏の思想、そして仏教思想を学びたいという気にさせてくれる。

 私は思う。人間は必ず死ぬのだ。また、社会も変化する。また、人間の中には否応なしにに腐敗する要素もある。だが、先人の作ったものの残骸の上に、新たなものをつくる。また、たとえ悪いことであっても、それを活かして生きていく。それがより善く生きるということである。そう考えれば、何も恐れることはない。また悔やむこともない。

 私には、鈴木大拙の言葉から、「全てを肥やしに、そして活かしていけ」「過去にこだわらず、前を向いていけ」。そんな声が聞こえている。