心と身体を強くする空手〜IBMA極真会館増田道場

浅草寺での再会〜ミッシェル・ウェーデル氏との再会

浅草寺での再会

 7月17日、月曜日、この日長野県辰野町での合宿講習の最終日だったが、私は講習を秋吉(師範代)に任せ、早朝早く、辰野町を後にした。その理由は、アメリカから極真空手の伝説の空手家の一人、ミッシェル・ウェーデル氏と会うためだった。

 実は、ミッシェル・ウェーデル夫妻から訪日するので会いたいと連絡があった。ブルガリア遠征、合宿講習と連続して、予定が詰まっていたが、私にとってミッシェル・ウェーデル氏は、尊敬し、かつ友情深い人物なので、ぜひ会いたかった。

 

 現在、ミッシェル・ウェーデル氏は、現在、アメリカのメリーランド大学で教鞭を取る教授であり、空手は止めたそうだ。残念なことだ。ミッシェル・ウェーデル氏のような人物が空手を止めるというところに極真空手の問題点の本質がある、とわたしは思っている。私は、空手や武道は、スポーツ同様、個々人の生涯を通じ、傍におき、その人生を豊かにし、かつ人間性を拓き、かつ人格を高める手段とならなければならないと考えている。私は、極真空手が人生の一時期の経験、思い出としてしか価値がない、というところを改良したい。だが、その思想と構想を伝える英語力が今の私にないのが悔しい。

 

 今回の再会には、数十年前、一緒にドイツ、スイス、オランダを旅した手塚栄司氏を誘い、一緒だった。現在、手塚氏は全国に100店舗以上を擁するゴールドジムの社長・経営者となった。私がミッシェル・ウェーデル氏にそのことを伝えると、ミッシェル・ウェーデル氏は本当に喜んでいた。食事中は英語に堪能な手塚氏が中心となって昔話をした。とても懐かしく、かつ楽しかった。また、彼の奥様も同じ大学の教授だそうだ。中国系で美しく優しそうな方だった。

 食事が終わり、手塚氏が仕事に戻った。その後、私とミッシェル・ウェーデル夫妻とは、浅草寺付近を歩き話をした。その時、浅草の街が日本人のみならず外国人の心をとらえる理由がわかった。浅草は素敵な街だと思う。実は、私が浅草を訪れたのは、写真学校の実習で「三社祭』を撮影する実習があった時、また20代の頃、付近の会社に勤めていた叔父さんと食事をした時以来である。

 私はミッシェル・ウェーデル氏と、昔話をしながら、浅草の街を歩いた。そして極真空手を選んで良かったと思った。同時に極真空手の現在が悲しかった。

 現在、私はKWU-SENSHIのメンバーとなった。同じ、SENSHIのメンバーであるオランダのセミー・シュルト氏とは、知人だという。セミーも人格者だ。私はミッシェル・ウェーデル氏にKWU-SENSHIの顧問になって欲しいと頼んだら、「私は新極真のメンバーだけど大丈夫か?」と聞いてきた。私は、新極真とKWU-SENSHIとは友好団体だと思うので問題ないと思う、と伝えた。「それなら了解」といってくれた。私は近い将来、極真空手を変革する。その時、ミッシェル・ウェーデル氏の応援を得たいのである(応援してくれるかどうかはわからない。応援がなくても私の考えは曲げないだろう)。ただ、KWU-SENSHIと新極真は友好関係にあると思っているが、新極真の方が私の加入で、付き合いたくないと言ってくるなら、ミッシェル・ウェーデル氏に顧問になってもらうのはあきらめる。また、私一人で、役員を追加することはできないようだ。現在、優先順位があるので、ミッシェル・ウェーデル氏への顧問就任は時期を待ちたい。

 しかしながら、私にはミッシェル・ウェーデル氏のみならず、マイケル・トンプソンや多くの草創期の極真会メンバーと友好関係を築くことが夢としてある。

 

 

施無畏(SEMUI)

 

 KWU-SENSHIは、原点に立ち戻り。極真会のみならず、全空連、そしてキックボクシングが誕生する前の時点の思いを馳せ、業界の再構築を夢見たい。私には、全ての格闘家が家族のように思えてならない。だが、私は格闘技、格闘家という『ラベル』を使用しない。そのような『ラベル」に誇りを持つ人たちがいるかもしれないが、私は格闘スポーツという新たな『ラベル』とその中身を作りたい。

 その昔、江戸幕府の最後の幕臣であり、明治天皇の侍従、山岡鉄舟が「施無畏」という文字を浅草寺に奉納したらしい。「施無畏」とは、山岡鉄舟が「世の中から畏れを無くすとという願いを込めて書いた文字だという。(私の記憶では。だが記憶力が減退している)。

 私の夢は、山岡鉄舟居士の掲げた文字の具現化に貢献する格闘スポーツ作ること。同時に日本武道精神を取り戻すことである。要するキックボクシングや空手などの格闘技や武術を「人の心から畏れをなくし、安心立命を得ること」に役立たせたい。また、武道というものを組織的な洗脳の手段、外側を飾る手段ではなく、個の精神を高め、全ての生命の尊厳を護るための手段とすることである。それが私の人生を賭けた願いであり、祈りだ。

(デジタル空手武道通信 第69号編集後記より)

 

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