[第35号:2019-10-25]

   

本号の主な内容

 ◎デジタル空手武道教本は、会員専用のデジタル空手武道教本TXにて閲覧できます。閲覧にはログイン用のアカウント(ユーザー名)とパスワードの入力が必要です。現在、試験運転中です。閲覧希望の方はメールにて問い合わせてください。  

ファイト&ライフ12月号 増田章記事

デジタル空手武道教本の新規更新

TS方式組手法に必須の組手型
伝統型の分解・組手型
IBMA極真会館の組手修練法についてのお知らせ

 

  • IBMA極真会館は本部直轄の道場をはじめとして、支部に関してもTS方式の組手法を基本とします(2020年以降)。
  • TS方式空手武道競技規程(ヒッティング競技規程に一部改訂があります)確認してください。
  • ヒッティングの習得メソッドのガイドラインを更新

 

From Akira Masuda

【ヒッティングの理念】

 TS方式の組手競技は、単なる空手修練法法ではありません。武道哲学とスポーツ哲学を融合した、新しい武道スポーツ創設のためのルールであり、価値観です。言い換えれば、TS方式の空手武道競技はその競技理念を核にした人間修行法です。それはスポーツでもありますが、新たな武道の創設でもあります。そのようなものが、「ヒッティング(TS方式の組手競技)」なのです。私は極真空手をより高めるために、新しい組手法を考えてきました。大変長い道のりでしたが、ようやく出来上がった感がしています。あえて補足を加えますが、ヒッティングの将来像は、組み技も含めたヒッティング・フリースタイルも含みます。

 ただし、いきなり多くの技術を運用することは、一つひとつの技術力の向上とその運用技能の向上を妨げます。ゆえに、まずは突き蹴りの基本技術と技能に焦点を絞り、それを高めます。その先にフリースタイルがあります。

 断っておきますが、ヒッティングは武道修練の一部でもあります。ゆえに空手本来の武術訓練となります。

 最後に、私は新しい武道競技の創設によってこれまでの空手の組手競技を老壮青少、あらゆる年代の人達が行える、公共性の高い組手競技に作り変えたいと思っています。

 その詳細は、以下の競技理念をお読みいただき、感じ取ってきただければと思います。 私は拓心武道メソッドの普及によって、増田が考える武道の詳細を明らかにしていきます。その内容を修練するには、長い年月と努力を要するでしょう。しかしながら、武道修練とは、一生涯をかけて続ける長い修行の道なのです。IBMA極真会館空手道は、初年から青年、壮年、老年まで、生涯を通じ、修練者の心身を鍛え、その能力を高め続けます。 最後に口幅ったいことを申し上げます。拓心武道メソッドの最終目的は「心眼を開くこと」です。言い換えれば、己の実在を掴み、自他への感謝と己の命を活かす道を実践することです。そして、各々の命の輝きで世の中を明るく照らしていく。そのために空手武道を役立たせることなのです。  

▼IBMA極真会館空手武道競技規程、第1条より
〈競技理念〉 

 第1条  本規程によって実施される競技は単なる競技スポーツではなく、技術の研鑽と技能の体得により、武道人という価値観を醸成することを企図している。ゆえに繰り返すが、競技は手段であり、その意義は競技を行うことで、各々の心身訓練の精華としての技術のみならず、自己表現としての技能を高め、各々の自己実現を補助することある。本ヒッティング競技は、突きや蹴りなどを当てあうことによるダメージを防具により軽減し、その有効、無効をポイントで表し、そのポイント数で勝敗を決するポイント制・武道スポーツ競技である。なお、ポイントの判定基準の第1義は、技の正確性である。また、身体的ダメージによるノックアウトは判定基準に設定していない。そのことにより、安全性を確保し、老若男女が、突きや蹴りの当て合いなどの武技の試し合いを繰り返し行えるように考えてある。ゆえに老若男女が、長期にわたり、競技を行うことで、各々の心身訓練の精華としての技術のみならず、自己表現としての技能を高めることが可能となる。さらに本競技の意義には「一撃必殺」から「心撃相活」の武道へと、自他共生の価値観への転換と昇華が含まれる。ゆえに、その競技の目的は、勝者を決するためにあるのではなく、競技者が共に武の理法を学び合い、無益なダメージの与えあいを避ける道を自覚することにある。その道とは、自他一体の理法を知り、他者を生かし自己を生かす道を知ることである。なお、本競技規程を活用する武道人は、武道人精神(BudoMan Ship)を念頭に活動すること。

 武道人精神とは、『空手武道競技を“交流(Communication)”、“理解(Understanding)”、“尊敬(Sonkei/Respect)”の手段とし、“仁(Perfect Virtue)”“智(Sense)”“勇(Courage)”という徳目の醸成と人間完成のための“悟り(Enlightenment)”をゴールとする意志のことである』  

 本競技は、第一条を遵守し競技を普及し、人と人との心を繋ぎ、そこに良心を結び、人類の平和共存へ寄与することを目指す。

ワンポイントレッスン〜組手型の名称の読み取り方

 組手型の名称の読み取り方に修正部分があります。28号以前の組手型は修正前です。今後、全ての組手型の名称(記載方法)を修正します。赤字、下線ありの部分が変更部分。デジタル教本は6月(予定)以降、全リニューアルします。 組手型の名称の読み取り方には規定を設定しています。その規定を理解すれば、名称で大体の組手型の構成が理解できます。組手型は仕掛け手による仕掛け技と応じ手による応じ技(位置取りのための運足ならびに防御技と反撃技)によって構成されています。組手型の名称はその技の構成を増田式の規定法により分類整理しています(この方法は、増田 章の考案、著作物です)。 例: 〇〇〇に対し「〇〇〇受け〇〇〇突き」

  1. 〇〇〇に対しの部分は、仕掛け技の名称
  2. 〇〇〇受けの部分は、防御技の名称
  3. 〇〇〇突きの部分は、反撃技の名称」
  4. 最後に(〇〇)として(入り身、退き身、背後取りなど)と記載されているのは位置取り理合を示しています。
拓心武道メソッド(増田式空手メソッド)は
「制心」ー「制位」ー「制機」の三制一致による「制勝」を目指し
道(天地自然の理法)との一体化
神人合一を目的とします。

   

注意

TS方式アルファは→「ヒッティング・ベーシックスタイル」とし、TS方式ベータは→ヒッティング・アドバンススタイルに名称の変更をします。

  お知らせ

  • デジタル空手武道通信では、常時コンテンツを修正、補充(アップロード)していきます。
  • すべてのページの閲覧には定期購読会員登録が必要です。デジタル空手武道通信の案内
  • 近日中に以下の更新、掲載を予定しています。 IBMA極真会館空手道の基本修練項目を改訂版の掲載を予定しています。 IBMA空手競技規定の改訂版。
  • 増田章の空手レッスン。
  • 2019年10月以降、IBMA極真会館の会員の方は全員、デジタル空手武道教本を使いIBMA極真会館空手道の独習ができるようになります。ただし、デジタル教材製作と維持管理の費用として、年2500円(月約210円)を納入していただきます。今後、デジタル空手武道教本には、映像による極真空手の基本技の指導やIBMA極真会館空手道の詳細な理論を掲載していきます。またサイトには、会員個人の審査、試合などの修練記録を保存しておくページや会員同士のフォーラムページなどもあります。さらに極真会館の一般的な空手技のみならず、増田章が長年の研究により編み出した拓心武道メソッドが学べるようになっています。その中には、現在の極真空手家には修練されていない「古式極真空手」の技も含まれています。古式極真空手とは、武術、護身のための空手技です。拓心武道メソッドの内容のほとんどは、講習会、または研究会でしか修練しません。また、来年を目標に外部の方々に通信教育として、拓心武道メソッドを開示する予定です。

第34号 編集後記 

 空手武道教本の製作に20時間以上もかけた。腰と脚が痛くなってきている。長時間のデスクワークは腰と脚に悪い。ヘルニアは2箇所、膝は変形性膝関節症で、空手の稽古が辛い。幸い、ヘルニアも良くなり、腰痛との付き合い方がわかってきた。だが、膝は手強い。車の運転を含め座っていること自体が良くない。このことは、膝が悪化する前に両足の静脈がダメになったときから続いている。私は1時間以上座ったままでいると、脚がむくみ、血行障害で夜も寝られない。実は、こんな状態が10年近く続いている。ゆえに、現役時以上に体のケアにお金と時間をかけている。
 なぜなら理想の武道への夢を諦めきれないからだ。また、アイディアが湧くのだ。勉強意欲もある。もっと本を読みたい。もっと稽古したい。もっと書き記したい。もっと意見交換をしたい。もっと思索を行いたい。誰よりも深く、そして高い境地の武道を切り拓きたい…。家内は、「もっとお金になることをしなさいよ」と手厳しい。だが、苦労をかけて申し訳ないが、いつも理想の武道の事ばかりを考えている。  
 おそらく、私ほど空手武道のことを純粋に考えている者はそういないはずである。確信がある。なぜなら、一日24時間の70パーセント近くを空手武道の創作のために使っている。そんな人間がいるわけがない。まず、できるわけがない。私にそれができるのは、私の内側から、水のような思いが溢れ出ているからである。その水が行き場を求めているのだ。私が勉強をし、途方もない思索を行うのは、全てその水のようなものの行き場を作るためである。今、私の中から湧出する水のような思いは、行き場が見つからず、また大きな川のように流れを作るまでには至っていない。  
 思うに、その水のような思いは、大きな流れにならなければ、力を生み出さないし、人の役に立たないかもしれない。それでも、それが水のように誰かの乾いた喉を潤すぐらいできるなら良い。  
 だが問題は、それが誰かの乾いた喉を潤すようにもなっていないことだ。私の想いはいつも垂れ流しだ。だが、それでも構わない。私は自分の内側から湧き出る思いを止めることだけはしたくない。私の内側から湧き出ている、水のようなもの(思い)は、私が私から自由になるための何かでもあるからだ。  
 おそらく、私のやっていることは、人のためになっていないというものがいるに違いない。だが、私は私の内側から湧き上がる水のようなものが、必ず人の役に立つと信じている。家内には、私を信じて欲しいと願っている。否、許し欲しいと思っている。水のようなものが内側から湧き上がり、それが行き場を探しているのだ。今、その行き場を作っている。もし、私がその行き場を作れなかったら御免…。

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