[第40号:2020-11-2]

   

本号の内容について

 

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特集〜第1回 月例試合の映像

 

 2020年11月1日に第1回月例試合が開催されました。月例試合の映像はデジタル空手武道教本サイトで閲覧できます(極真会館増田道場の会員のみ)。ヒッティング方式の組手稽古が正式にスタートしてから3ヶ月足らず。少年部から壮年部までの有志が集い、技と技能を磨き合いました。参加者の皆さん、お疲れ様でした。

 映像を見て、分析をしてください。今後、月例試合は月に1回、実施していく予定です(他のイベントがある12月はなし)。定員は20名です。極真会館増田道場の黒帯には、顔面突きありのヒッティング方式の組手試合の経験が必須です。今回は、師範代の秋吉(四段)も試合に参加しました。

 ヒッティング方式の組手試合は、老若男女が安全に試合経験を積めるように考えてあります。体格や年齢別にクラスやルールが設定されていますから安心して参加できます。

 

巻頭言

◎極真会館増田道場の組手稽古はヒッティング方式(TSアドバンス方式)で行なっています。ヒッティング方式は怪我を防ぎ、コロナ感染対策にもなります。また、極真空手の原点である、護身術の基礎訓練として役立ちます。

◎「HITTING(ヒッティング)」とは、空手武道の原点に立ち戻り、かつ極真空手を基盤にした新しい武道修練法である。それは武道流派を形成するためのものではないが、あらゆる武術を融合してきた「極真」という思想の原点に立ち戻り、かつ、それを進化させる修練法である、と考えている。


【「当てられる覚悟」について】

 どうして増田の攻撃を受けよう、受けようとするのだろうか?私は、そこが良くないと考えている。
 私には、体力がないが、イメージの集積体(心)と多少のスキルがある。 ゆえに体力のなさをイメージの活用能力を鍛え、カバーしようとしている。つまり心で組手をしているのだ(意味不明かな…)。一方の初心者は、もっと攻めるべきだと考えている。経験を積みデータベースを蓄積する必要があるからだ。
 稽古においては、まずは「仕掛け(攻め)」を基本とし、その結果を分析し、修正していく。私は、そのような経験と過程(修行)を経てきた。
 だが、組手では、経験と過程の違いがあるので、組手イメージが合わず、私と噛み合わない(活かし合えない)のかもしれない。もちろん弟子たちは、段々と良くなってきていると思う。ヒッティングの稽古を開始してから3ヶ月ほどである。
 一方の私は、脚の具合は良くない。だが、面防具が身体の一部化してきている。また、眼が慣れてきた。本当に人間の感覚とは想像をはるかに超える機能的可能性があると思う(人はそれを信じていないようだ)。まあ、現時点では課題はあるが、「良し」としよう。

 

【組手の意義〜自分を極めること】

 しかしながら、ここで繰り返し、組手の意義を明確にしておきたい。ヒッティング組手は勝ち負けが最終目的ではない。つまり、「ヒッティングによる理念の具現化」にあるということである。また、ヒッティングによる組手稽古は「自分を極めること」だと言いたい。さらにいえば、「極真」とは「真を極める」というより「自己(自分)を極める」ということが本質なのだ。


 そして、修練の際は、「当てられる覚悟を持つ」ということを、我が門下生は理解してほしい。特に上位者と稽古するときは、「当てられる覚悟」が必要だ。一方、下位の者との稽古の際は、一撃ももらわない(受けない)と真剣に行うこと。

 そして、同位の者との稽古の際は、「当てた数」や「当てられた数」に拘らず、自他の技術とスキルを明確に分析、収集することが大切だ。現在は、段位に関係なく全ての者が同位だと心得た方が良いだろう。以上が拓心武道メソッドにおける修練論だ。


【柔道の創始者、嘉納治五郎師範は】

 ここで現在の極真系空手流派の組手稽古について一言述べておく。現在の極真空手の組手稽古は、攻撃をもらうことなどお構いなしが如く、攻撃を続ける戦術が主流である。これは、当てられる覚悟とは次元を異とする。むしろ、攻撃を当てられないように連続攻撃を行う戦術と、言っても良いかもしれない。柔道の場合は、投げる間も無く攻め続ける、というような戦術も同様かもしれない。そのような戦術は勝負においては有効である。勝つことを至上目標とする、プロボクシングも同様かもしれない。
 しかしながら、そこには勝つことだけに拘ることの弊害がある。そのようなあり方は、攻撃をより善く当てる、また、より善く投げるための理合を体得するための稽古としては、弊害あると思うからだ。柔道の創始者、嘉納治五郎師範は、その著書で、「投げられる覚悟」を説いていたと記憶する。

 嘉納師範は、目先の勝負に拘泥する前に、柔道の原理、技の深奥を学ぶことの意義の大切さを伝えたかったのだと思う。空手においても、まずは技が当たる(技が極まる)ことの原理、意味を見つめる修練に立ち戻らなければならないと思う。真剣に対峙するがごとくである。

 さて、大仰な話になるが、コロナウィルスへの対応がもたらした問題提起とは、社会における原点回帰だと、私は3月の時点で直感していた。もちろん、この先、社会がどのように変化するかに関し、私ごとき人間に知る由はない。また、私自身も危機に瀕していて、将来が不安である。だが、その不安はコロナによって気づかされたものではなく、コロナによって先鋭化されただけだと思っている。

 現在、世の中は、さらなる情報社会を目指し、さらなるデジタル化を喧伝している。私は恐ろしいことだと思っている(私は、部分的にはデジタル化に賛成する立場だが)。一方、これからは、免疫力、生命力を高めるために武道と言わず、スポーツや身体を動かすこと、使うことが重要になってくるかもしれない。だが、これまでのようなあり方では、空手の存在意義の基盤は揺らぐような気がする。なぜなら、空手の存立基盤は、メディアに増幅されたイメージだからだ。だが、そのようなイメージは、たえず変化している。皆、まだ大丈夫だと思っているのだろうか。だが、我々が変化に気が付いた時には、新しい価値が生まれているかもしれない。


【価値観の転換】

 私が言いたいことは、これまで資本主義が喧伝した、巨大化、効率化という価値観が、それがベストではないかもしれない。そのような価値観の転換が起こるかもしれないということである(依然として、過去の価値観を好み、それを望む人達もいるだろう)。補足すれば、これまでの巨大化への信奉を見直し、適正化(バランス)、そして監視の機能が必要だということだ。一方、その思いと逆行するかのごとく、巨大化を進展させている一部のデジタル企業(GAFA)がある。世界は、非常に危険な状態である。危ない。私にはそのように思っている(少なくとも私の中では、価値観の転換が起きている)。願うのは、人類が良心に覚醒し、大も小も活かし合うことである。
 最後に、私の直感は、全ての人間が原点に立ち戻り、少数で良いから、人と人とが深く交流し、確認し合うような関係性を求めていくのではないかということだ(いずれ)。さらに、その中で体認される、人間の本質(意味)が、我々の心を目覚めさせ、新たな幸福感を醸成する。そんな予感がしている。だが、私には時間がない。早くしなければと考えている。

 

 

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  • TSアドバンス方式の組手講習会を予定しています。

極真会館増田道場の今後のイベントスケジュール

  • 11月29日(日):交流試合(組手の部)
  • 12月13日(日):昇級審査会
  • 12月20日(日):昇段審査会

◎募集内容等、詳細については、もうしばらくお待ちください。なお、審査会は全て午後からとなります。

 

第 40 編集後記 

 

 【月例試合】

 昨年末から企画していた顔面突きありの月例試合がようやく実施できた。コロナの問題により遅れたのだが、むしろコロナのお陰で実現できたのかもしれない、とも思っている。なぜなら、コロナ問題がなければ、面防具を使った、組手稽古は受け入れられなかったかもしれないと思っているからだ。もちろん、現在も全ての道場生が積極的に顔面突きありのヒッティング稽古を行っているわけではない。

 だが、今回小学生から中学生、50歳未満の青年部、60歳代の壮年部を含めて、多くの門下生が新しい組手法の試合に参加してくれた。私が特に嬉しく思ったのは、60歳を超える壮年部の門下生が、積極的に試合を行なったことだ。その人達は、楽しみながら組手稽古を行ってくれている人達ばかりだ。つまり、ヒッティング方方式は正しく稽古すれば楽しいのだ。また楽しく稽古すれば、正しくなる。そのような確信が、私にはある。だが言葉で説明することは虚しい。体験してみればわかる。ただし、考え方と最初の50時間ぐらいの稽古法(体験)が重要だろう。

【本当の自由】

 年始の時点で、「顔面突きありは黒帯のみとした方が良い」と言っていた師範代が、最近は子供達に私の考えた「ヒッティング」を教えてくれている。小学生も3ヶ月足らずにも関わらず、非常に良くなってきた。だが、稽古時間が少ないことが、明らかに見て取れる。「ヒッティング方式の組手」はスキーの習得同様、経験量と理論が二本柱なのだ。これを伝えるのが難しい。一方、その事を一瞬で理解できる者はすぐに上達する。もう少しの我慢が必要である。
 現在は、当道場の師範代も五段位を目指し、さらに組手の実力を磨こうと行動してくれている。ゆえに今回の試合にも参加した。そして、他の道場生に比べ、数歩、先を言っていた。私が教えているのだから当然のことと言えばえば当然だ。おそらく、センスの優れた師範代にとって、ヒッティングの稽古は楽しいものだと思う。私にはみんなよりも早く、それがわかっていた、しかし、私は何かを恐れていた。その「恐れ」が私の心に不自由感をもたらし、かつ苦しめる。 

 さて現在の私は、空手武道理論をまとめたいと考えている。数年前から、構想を更新し続けているが、ここからが遠い。私自身が老骨に鞭打ち、一書生として、今一度、空手武道の修練に挑まなければならないと考えている。正直言えば、身体の具合は良くない。それでも、蓄えた体力と技能があるから、なんとか普通の人ぐらいには対応できる。だが、もう空手を極めるというレベルではないかもしれない。しかし、身体の不自由を受け入れるからこそ、自分の身体と心を極めることができるのではないかと考えている。また、そこに本当の自由がある。

【極真とは】

 ここで言っておきたい。私の空手理論では、「極真」とは真を極めると書いて、その意味は「自分を極める」ということだ、と思っている。もちろん本物を極めるという意味も含意しているだろう。しかし、本物を認知、認識するのも自分の身体と心なのだ。また、私は本物も偽物もどうでも良い。さらに言えば、偽物とは自分を偽ることであり、自分を偽らず、自分を活かすなら、それは本物なのだ。自分を偽らない。これが難しい。みんな自分を偽っている。私も長く自分を偽ってきた。だが、もう偽ることをやめたい。できるなら…。幸いなことに、増田章という人間は、偽ることが下手な人間だ。

 もうひとつ、私は、「極真」の「真」とは真理のことではなく、自分の身体と心で感じたことを掘り下げ、その感覚とイメージを本当に我がものとすることだと考えている。それが自分を極めるということである。平たく言えば、どんな状況でも自分を大切にできるような感性を涵養することと言っても良い。同時にそれは他己を大切にできる感性を涵養することになる。難しく言えば、自分を存立させている基盤が、自分の正体であり、かつ、その基盤が他者を感じ、認識しているのだから。

 もちろん、自分を極める手段は、何も空手に限ったことではない。だが、本当に徒手空拳で、道具もいらない、そして自分の「身体と心」と他者のそれと対峙する徒手格闘術、つまり自分と相手との対峙を基本とする空手武道が最善の手段だと言いたい。ただし、理念と手法が正しければの話だが…。これは調子に乗った言い過ぎだ。勘弁して欲しい。

 言い過ぎのついでに言えば、拓心武道メソッドには、「基ー型ー形(キ−ケイ-ギョウ)」の段階と階層がある。基本技術を極め、組手型を極め、組手を極める。言い換えれば、明確な理念と手段を有する空手の基本稽古において、自分の身体と対峙し、組手型の稽古で自他の関係性を学び、さらに組手により、自己を更新、かつ創造していく。そのような構造を有する空手武道なら、一人ひとりが、自分自身の可能性を開拓し、かつ、感覚(センス)を研ぎ澄ましていくだろう。また、そこで得られた感覚により、自分を尊重する精神を涵養し、かつ他者の感覚を尊重する意味を紡いでいく。そんな空手武道が拓心武道なのだ。また、そんなあり方が、私の考える「極真」でもある。

 

 

 

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