[第59号:2022-4-3]

 
 
まだ東京は肌寒い日が続いています。
身体を冷やさないよう
また、免疫力を落とさぬよう心がけましょう。
 
本道場では、コロナの感染拡大を防ぐため
マスクの着用、手洗い、消毒の徹底を継続します。
 
さらに防具組手により飛沫感染、空気感染を防いでいます。
会員の方々も道場のみならず、
普段の生活においても
感染予防に気をつけてください。
 
 
 
 
 
 

号の内容

 

 ◎デジタル空手武道教本サイトの閲覧にはPWの入力が必要です(一部PWが不要のページもあります)。 IBMA極真会館増田道場の会員には、閲覧用のPWを伝えてあります。もし、忘れた場合は事務局までメールにてお問い合わせください。 ◎デジタル空手武道通信の映像はインターネツトへの接続環境のあるところで閲覧することをお勧めします。

  • 巻頭コラム:自己の人生をより有意義なものとするため
  • 動画〜組手修錬会の模様(2022年3月20日)
  • 編集後記 第59号

◎1月中旬にデジタル空手武道教本のPWが変更になりました。

 

イベント案内

  • 4月17日:修練会
  • 5月3日:セミナー(伝統型/組手)
  • 5月22日:有段者稽古
  • 5月29日:第14回月例試合
  • 6月5日:昇段講習
  • 6月12日:昇級審査
  • 6月26日:昇段審査

有段者・指導員の方々へ

 コロナパンデミックの中、指導員の皆さんとは会う機会が減りました。その代わり、デジタルサイトの内容を充実させています。同時に空手武道理論と修練方法が、大幅に刷新することができました。あとは、それを伝えるだけであと思っています。教本もまだまだ完成には至っていませんが。それは完成形が途方もなく詳細、かつ深く、膨大だからです。変な例えですが、スペインのサグラダ・ファミリアのようなものです。  

  まずは、拓心武術の組手法を理解してください。厳しいようですが、みなさん、まだまだ極真会館増田道場が目指す武道レベルには達していません。まず、基本組手技の習得レベルが低いです。その意味は身体の使い方ができていないということです。おそらく稽古量が足りないのでしょう。また、拓心武術には明確な理念(哲学)、そして目的、目標があります。その内容を示した電子書籍を近日中に発刊します。それを読めば、増田が何を考え何を目指しているかが理解できると思います。書籍のタイトルは「拓心武道論〜道心を求めて』の予定です。  依然としてコロナ等の問題がありますが、デジタル空手武道教本で自習できるようにしていきます。

巻頭コラム:人生をより有意義なものとするため〜組手修練会を終えて

             

 

 

 

 

 3月20日に組手修練会としてTS方式組手法のセミナーを行った。 振り返れば、コロナパンデミックが始まってから始めた、と言っても良いTS方式の組手法である。 振り返れば、恐ろしく早い2年間であった。その間、秋吉以下黒帯の人達の協力により、極真会館増田道場ではTS方式の組手法が浸透した。 だが、一部の人達の理解は不十分である。総合的に見て、5段階評価で2段階といったところだろう。また個人差が大きい。
 

 TS方式の組手法の眼目は、組手に対する考え方と同時に空手に対する考え方の刷新と言っても良い。その刷新への思いの萌芽は35年以上前に遡る。だが、私にはどのように刷新したら善いかがわからなかった。ただ漠然と、こんなレベルでは最強、最高とは言えないという思いがあった。そして、その刷新には、まず以て空手指導者の空手に対する認識が変わる必要があると思っていた。また、伝統的な武道哲学(思想)と修練システム(体系)に対する疑義があった。今、その疑義に対する答えを手にしたとは言わない。ただ、先ず以って考え方(認識)を変えなければ、自己の心身は上達しないということだけは確信している。
 そもそも、 上達という概念を理解すること自体が難しい。要するに、何をもって上達とするか。「足が高く上がる」「ブロックを割れる突きを身につける」、それが上達か。また「試合に勝つ」「バットを折れるようになる」「打たれ強くなる」ことか。 それとも「型を覚える」ことか。非常に曖昧で不明瞭である。もし、それが事実なら、そんな修練・修行は何のためにあるのだろうか。

【上達とは何か】

 一体、上達とは何か。拓心武道的に定義すれば、「自らが決めた目的のために、心と身体を活かすことができるようになること」また「制心、制機、制力が三位一体となった、優れた技を駆使できるようになること」と言っても良い。
 補足すれば、私が考える拓心武道は、優れた技を目指すが、それが究極のゴールではない。優れた技の体得は、あくまで目標であり、大事なことは、優れた技の本質を認識し追求することである。そして、そのことにより自己の心と身体を活かしていくことだ。
 
 

 その心と身体を活かすためには、「心とは何か」「身体とは何か」「優れた技とは何か」をより正確に認識する必要がある。もちろん概念的な事柄を統一することは困難だ。私が使う概念用語もあくまで価値を共有するための手段として用いているだけである。
また優れた技を有するとは、自己と他者(道具を含む)と一体化し、それらを自在に操り、かつ活かす能力があるということだ、と私は考えている。

 そのような考え方からすれば、私自身、優れた技を有しているか、甚だ疑問である。それゆえ、私は原点に立ち戻り、全てを見直している。まずは自己の身体を巧みに使えているかという点、次に他者との関係性を活かす技を使えているか、という点を見直した。その結果、すでに身体は老い、自由が効かなくなったことも加え、自己の身体を巧みに使えていないということを自覚した。故に身体の仕組みを研究している。また、自他の関係性を活かすためには、強引なやり方では良くないということが自覚できるようになった。同時に、自己の未熟と非力を感じざるを得ない。だが、いまある物を大事に活かすことが、原点であり、究極の道(理法)だと直感している。

【自己の人生をより有意義なものとするため】

 そんな自問自答を繰り返した2年間であったが、わずかながら光明も見えてきた。それは、TS方式の組手は、しっかりと段階を踏んで練習を積めば、老若男女を問わず、安全に行える組手法だということが実証されたことだ。ただし、問題は、TS方式組手法により、どれほどの技が身につき、かつ武術としての実用性があるかということの立証である。それがないと、広まらないかもしれない。


 あえていうが、私がもっと若く、強ければ、それを立証できるかもしれない。だが、そもそもTS方式の組手法は試合に勝つ強さを求める修練方法ではない。強さの核となる理法を知ること、それが眼目である。そして、その理法を知ることで、個々の強さがより引き出され、活かされる。要するに、拓心武道とは、相手に勝つ強さを追求することではなく、自己を活かす強さを追求する哲学と言っても良い。もちろん、その中に相手を打ち負かす強さを内包しているが、相手を打ち負かすことが必要なのは、相手が自己の心身に暴力(実力)を以て危害を加えてきた時のみである。その暴力的強さに対するには、自らも暴力的な強さを有することが必要だと思う。しかし、そのような暴力的強さは武道として直接的に指導するものではない。間接的に特別指導(護身技指導)を行う方が良いと思う。また、拓心武術は、それを転用し、破壊力を向上させれば、十分に暴力的強さに転化できる。
 
 私の考案した拓心武道は武道人、個々の人生をより有意義なものとするための手段としたい。また拓心武道は、武術修練を自己を活かす道として昇華する哲学だ。さらに言い換えれば、拓心武道哲学の追求することは、TS方式組手法により、一人ひとりが自らの人生哲学を編むために貢献することだと言っても良い。   

 

    

 

News

3月29日、IBMA極真会館増田道場 帯広支部で増田が指導しました。

 

組手修練会の動画(2022年3月2日)

TS方式組手法の修練方法が理解できます。第1弾、第2弾は5月に実施します。修練会に参加しなかった人は、修練会の動画を見るようにしてください。そうでないと、上達が難しくなります。

 

 

空手エクササイズ〜体軸を作る

 

デジタル空手武道教本の更新情報(リンク)

特集

修錬用語を追加しました。組手修練で重要な概念です。理解してください。

整身(せいしん)

 

 拓心武術の基本組手技の突きは拳を突くと同時に拳をすぐに元の位置に戻すことを基本としている。拳で突きを作ったあと直ぐに拳を元の位置に戻すのは、一つは突きを作った後に隙を作らないためである。突いた後、相手が同時に放った技が隙に到達するかもしれない。また、組手修練では相手は一人だが、拓心武術は複数の相手との攻防も想定している。ゆえに、自己の身構えをすぐにより中立的な状態に心身を戻し、整える必要があると教える。 さらに言えば、組手修練では、連撃を4連打までとしているが、それは5連打を行えないということではない。拓心武術は、身体的な持久力と技があれば、相手を殲滅するまで、攻撃を連続する準備を想定する。しかしながら、拓心武術の連撃とは、一撃ごとに体勢を崩すことなく、次の攻撃を繰り出せる状態を維持することである。つまり、一か八かの如く、技を乱暴に用うこと。相手をノックアウトすれば良し。という攻撃は良くない攻撃法だとする。一撃と一撃の間が惰性ではなく、瞬間瞬間において、最善の間合い、攻防を選択できるよう、日頃から意識するのである。それは4連打を行う際も同様である。 先述した一か八かでも相手をノックアウトすればよし、というような打撃は、拓心武術の理念とは異なる価値に基づいて行う行為である。拓心武術の理念は、天地自然の理法を知ること。自他一体の道を追求することを目指している。 故に組手修練では、「制心」「制機」「制力」を絶えず念頭に、相手を傷つけることを極力避けるように技の威力を制御(コントロール)して用いる。また、それができる心と身体を創らなけれなならない。 補足を加えれば、「整身」とは技が決まったことをアピールする間違った「残心」の所作・概念とも異なる。「整身」とは残心の概念同様、拓心武術の修練において、意識し実践する戦いの原則でもある。  

重要なお知らせ

  • デジタル空手武道教本は、不定期にコンテンツを修正、補充(アップロード)していきます。道場稽古の予習、復習に活用してください。
  • IBMA空手武道チャンネルには「自宅でできる空手武道レッスン」を掲載しています。参考にしてください。
  • IBMA極真会館の重要なお知らせは、メールでお知らせしています。会員道場生はメール登録をお願いします。
  • デジタル空手武道教本はIBMA極真会館の会員道場生向けの教本です。閲覧にはPWが必要です。一斉メールでお知らせしていますので、必ずメモしておいてください。もし、忘れた場合は、事務局までお問い合わせください
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第59号 編集後記

 先日、「拓心武道論」という電子書籍を出版した。内容は短いが、TS 方式の組手法を含む拓心武術の基盤となる考え方、武道哲学をまとめたものである。今後は、そこから、詳細を展開していく。もう、残された時間、体力はわずかだ。急ぎたい。

 そんな思いを胸に、帯広の小川哲也先生の道場を訪ねた。TS方式の組手法を伝えるためである。帯広訪問は、5〜6年ぶりだろうか。これまで、TS方式の組手法は伝えられていなかった。今回、時間ができたのと、修練方法がまとまってきたので、長い付き合いの小川哲也君にTS方式の組手法を伝えに行った。

 北海道は厳しい冬が終わり、春の少し前といった感だった。今回、晴天に恵まれ、東京と気温はさほど変わらなかった。実は、北海道からの指導要請ではなく、私の押しかけ指導だった。ゆえに、みんな理解してくれえるか不安だった。だが帯広の生徒は真面目に稽古に取り組んでくれ、かつ順応性は想像以上だった。
 


 私は、拓心武道メソッドを指導員が理解し、2〜3ヶ月も稽古を続ければ、帯広道場の人達も東京同様、上達すると思った。とは言え、生徒にとっては初めての経験である。稽古後、感想を聞くと、口々に「難しい」と言っていた。その中で2名ぐらいが「難しいけど面白い」と言ってくれた。

 繰り返すが、帯広の面々は必ずTS方式に上達する。そして組手が面白くなるはずである。私はそう確信するが、指導者の空手に対する認識が変わらなければ、そのまま変化しないかもしれない。

 全てのものごとは変化し続けている。そんなふうに思うのは私だけだろうか。しかし、自己を変化に任せるのみならず、自らが変化の意味を捉え直し、活かしていく。そんな変化を能動的に捉える生き方を私は考えている。

 いうまでもなく、人間は死ぬまで変化し続ける。それゆえ、今しかできないことをするのも良いだろう。だが、私は今を大事にしながらも、その変化を考え、かつ活かしたい。そして、その中で変わらないもの(道)を見つめていきたい。

 ここでいう変わらないものとは何か。それは物や人ではない。個々人の人生をより善いものとする理法(道)である。そのような理法・道があると思っている。そのような理法(道)が流れを生み出している。その流れの中で、自己が浮かんでいることも理法の活用だ。だが、沈んでいく人がいる。そして自己を浮かす浮力、すなわち理法があることを知った者のみが真の感謝を知る。また自己とその人生が有意義だったと自覚できると思っている。だが、そんな人はわずかかもしれない。皆、惰性で生きている。そして感謝と言ってもその意味を知らない。かくいう私も同じである。だからこそ、真の感謝、そして納得のため、道を求めている。そのような哲学が拓心武道哲学である。

 さらに言えば、拓心武道の目指すところは、武道修練を通じ、一人ひとりが独自の哲学を切り拓くと同時に他者を活かしていく哲学に到達することだ。

 

↓函館の夜景

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