[第64号:2023-1-17]

 
 
 

第66号の内容

  • 巻頭言:心撃不敗の修練理論の発刊
  • 特集1:組手型48手(全て)
  • 第66号 編集後記

   

 

増田道場性以外の方へ〜拓心道空手修練会をスタートします。

 拓心道空手とは、おおまかに言えば、極真会館増田道場の修練体系の中から極真空手の伝統技基本を除いたものです。しかしながら、拓心道空手は、極真空手の原点に立ち戻り、武術的感性を中心としています。その理論を知りたい方は、1月16日に上梓した「心撃不敗の修練理論」をお読みください。

→拓心道空手修練会とは?

 

巻頭言:心撃不敗の修練理論〜おわりに

 

 かねてから考えていた、増田 章の空手修練理論をまとめました。まだ不十分な点はありますが、現時点での増田道場の修錬用語と概念を全て掲載しました。

 書籍の内容の前半は有段者向けの修練テキストですので修錬用語と概念が中心です。後半は増田の戦いにおける戦術原則、また、その空手理論がどうして生まれたかに関すること、また増田の武道哲学についても掲載しています。有段者には是非、読んで欲しい内容です。

 

 以下、「終わり」にを掲載しておきます。

 

心撃不敗の修練理論〜「終わりに」

 本書は二ヶ月半あまりで書き上げた。私に残された時間は、あと五年から十年だと思っているからだ。もっと時間が欲しい。 改めて我が人生を振り返れば、挫折や失敗の多い人生だった。その人生を正しいものだったとは決して思っていない。だが、その挫折や失敗の経験が私の血肉となっていることだけは確かだ。
 今、私は老年の入り口に立っている。スポーツ選手ならとっくに引退している年齢だ。だが、最後にもう一度、バッターボックスに立とうと思っている。また、マウンドに立とうと思っている。その理由は、私の魂を表現し、伝えるためである。
 もう一つ、我が子を含め、若い人達に対し言いたいことがある。失敗や挫折を恐れず、思い切って夢に挑戦して欲しいということだ。だが、「夢などない」というかもしれない。それなら、人生の中で失敗や挫折を経験したとしても「くよくよするな」と言いたい。また、成功がその人の人間味になるのではなく、失敗や挫折の経験が個々の人間味となり、人生の価値となる。成功だけが人生ではない。人間、生きているだけで成功だ。勇気を絞り出し、自己を奮い立たせて行って欲しい。
 実は本書を書き終わり、幼い頃の父とのことを思い出した。それは私の小学生時代、ソフトボールの試合出場したときのことだ。試合を見ていた父が私を軽く叱責した。

「なぜ、振らないんだ」「お前にはセンスがない」と。

 その時、私は言いようのない悔しさと、また悲しさを感じた。父は、バットを振らない私を見て、素直にそう思ったのだろう。だが、その時の私は、守備で指を突き指をして、バットを振ることができなかった。ゆえに投手に打つ気を見せつつもフォアボールを狙った。だが、見逃し三振となった。今の私だったら、事情を説明しただろう。
 今の私だったら、父の感想は非常に主観的、かつ理不尽、人に対する評価として良くない、と訂正を促す。現在の父と私の関係だったら、父は素直に謝るに違いない。
 その時の悔しさとは、理解されなかったことではなく、自分が相手に対し異議申し立てをしなかったことにある。ただし、ここでいう異議申し立てとは、決してクレームや自己主張ではない。本当のことを知らない人間に評価を下された悔しさだ。また、父の評価に対する意義申立てが上手くできなかった自分自身の不甲斐なさに対してのものである。それ以来、私は人に対し、そんな悔しさを味合わせてはいけないと思っている。
 その時以来、私は相手がいかに権力者であっても、勇気を振り絞って、自分の考えを述べることができるようになりたいと思ってきた。私は人に対し媚び、諂うような人間が苦手である。また、忖度も苦手だ。嫌いなのではない。喩えるならば、自分の心が何かに奪われるような感じがして嫌なのだ。つまり、私は偏屈な人間だと思う。
 そんな人間の最期は、なるべく正直に自分の思いと感性を伝えて死んでいきたい。それに対してどう思われるかは問題ではない。受け取る側が、私の正直な考えを知って、「増田はこんな考え、感性を持っていたのか」と思ってもらうだけで良い。それが私の他者に対する、精一杯の誠意だ。
 正直、嫌われるのは嫌だという思いもある。だが、私の空手に対する異議申し立てを伝えておかなければ、自分の人生に後悔する。また、大山先生、浜井先生、山田先生、全ての人達とのつながりに感謝するためにも異議申し立てをしておかなければならない、そう思い書いた。
 実は本書を書き終えた時、私は体調を崩し、しばらく寝込んだ。それからが大変だった。脱字のチェックが多かったからだ。校正には、私の門下生であり、長年の友人である荻野氏に手伝ってもらった。途中、私は本書の出版に自信がなくなった。こんな理論を誰が理解してくれるのか。そんなことを荻野氏に吐露すると「他人がどう思おうと、自分(増田)の思いを残しておいた方がいい」と励ましてくれた。荻野氏とのやりとりは脱字だけではなかった。荻野氏は私の人生の応援者として付き合ってくれた。その心に感謝の念が湧いた時、これまで私を支えてくれた師範代の秋吉をはじめ黒帯有志、そして全ての門下生に対し、これまでありがとうございました、と感謝の念が湧いた。
 また、同じく門下生の福岡氏の意見交換では示唆を得た。彼は、私とひとつ違いの年齢で私の道場の指導員をしていたこともある。福岡氏は極真空手三段をはじめ、柔道四段、大東流柔術四段、その他、剣術をはじめ数々の武芸に造詣が深い。「武芸十八般」を地でいく様な武道家である。私は彼を弟の様に思ってきた。この機会に改めて感謝の意を伝えたい。
 さらに齢六十を越えた現道場生の、秋山俊子氏、平田直樹氏、佐藤成人氏、平野英二氏、大久保隆氏、高澤 英輔 氏、青木賢司氏、平尾貴治氏、尾崎眞二氏、清野充典氏、下田雅彦氏、朴永春氏、藤井昭彦氏、住田昌英氏、松尾かおる氏、上村達之氏、小泉真人氏、上原智明氏に感謝したい。。
 本書は若い有段者と共に老年を迎える人達に空手道を人生に欠かせないものにするのだという、私の決意と覚悟の書としてこの修練理論を受け止めていただきたい。もう一人、私は六七歳の中村氏に、いつも勇気と元気をいただいていることにも感謝したい。
 また、毎日膝の痛みを我慢し、他のスポーツなどをしたくてもできない私の身体を親身に治療してくれる小守スポーツマッサージ療院のトレーナーの渡辺氏、名波氏、蓑毛氏にも感謝したい。私の身体は継続したトレーニングと彼らの治療がなければ、数ヶ月で使い物にならないだろう。だが、私はもう少しだけ身体に頑張ってもらいたいと思っている。そして、是が非でも若者から年配者まで失ってはならない積極的な心と健康な身体を得ることに空手を役立たせたい。
 一方、世界には依然として不幸な対立がある。空手どころではないかも知れない国もあるだろう。そして暴力によって人の生命が奪われ、かつ脅かされている。その解決法はわからないが、解決に導く方向性は、人類が社会システムとその理念を見直すこと、そして個の独自性を活かし、全体が活かされる方法を考えることだと直感している。また、私は無限と思われる全体の一要素であると思っている。そして、世界は自と他の、そして一と全体との生かし合いだと思っている。そう思いながら、全体へ向けて発信を続けたい。 
 
 令和四年十二月二十五日
             増田 章

 

 

 

以下の文は私の空手修練理論をまとめた書籍からの抜粋である。もう少しで完成する。増田の修練理論を理解するために必須の理論書だと言っても良い。

2023年の行事予定

以下は、行事日程が決まり次第、更新します

1月
合同稽古 :1月22日(日曜日)多摩武道館16時-18時
2月
昇級審査:2月19日(日曜日)
3月
月例試合:3月26日(日曜日)13時30分
4月
昇級審査:4月16日(日曜日) 
6月
昇級審査:6月11日(日曜日)

第66号 編集後記

 ここ3ヶ月ほどかけて書いていた拙著を上梓した。だが、デジタルデータの扱いが上手くできず、現在修正中だ。後10時間はアップに要するだろう。この本は死んだつもりで書いた。そして再生するために…。

 私はかねてから修練理論を伝えなければならないと思っていた。同時に何事も自己の可能性を引き出そうと思えば、畢竟、言葉では説明できない奥深い部分を認知する必要がある。
 この二律背反的なことを乗り越え、自由自在を認知するには、理論(言語化)によって心身を運用する枠組み(構造)を把握する必要がある。その理解を基盤にして、実践を繰り返し、繰り返す。そして、その奥にあるものを把握するのだ。

 出鱈目に稽古しても心身を操作する前にあるものを認知できない。また、だた体を動かす、また人の真似をするだけでは、奥深い部分を認知できない。と言っても、誰も私の言うことに耳を傾けない。

 私は拙速でも言葉を残しておかなければならなかった。
明日のことなどわからないからだ。ようやく、その言葉を書き留めた。
今回の理論書は、まだまだ不十分だ。だが第一段階にはなるだろう。
あとは方便を磨くだけだ。


 私は、本書の上梓を新しいスタートとしたい。
もしかすると、みんなから愛想をつかされるかもしれないと思っている。
正直、不安だ。
それでも仕方ない。これ以上、周りに合わせて入られない。

 そんな思いを整理するため、夜中、郷里に向かった。父の顔を見たかった。

「元気でしょうがない」
「お前の方が大丈夫か?」
「わしは誰にも負けん」
と私の顔を見るなり、父は言った。

 だが、私の父の半身は不自由である。世話をする妹は大変そうだ。
妹曰く、父は言うほど調子良くもないようだ。それでも、強気なことばかり言う。
父は弱気な私とは違う。私は、そんな父よりも妹が心配になった。
そんな妹とも3年ぶりにゆっくり話をした。

 兄として妹を助けられない、私が心苦しい。
その妹も亡くなった母と同じ年齢になるらしい。
妹には自由な老後を送ってもらいたい。
 
 夜は柔道仲間の友人と創業50年以上の行きつけの店で食事をし、お気に入りのバーで一杯飲んだ。
私は、ほぼ人前では酒を飲まない。また、人の多いところも避ける。だが、金沢だけは別だ。

 私の帰省は、ほとんど発作に近い。息ができなくなって帰省する。また、帰省して父の顔を見て、祖父母と母と息子の墓参りをすると、すぐに帰るのが常だ。

 今回もとんぼ返りしようと、朝早くに金沢を発ったが、ラジオで鈴木大拙の話をしていたのを聞いて、鈴木大拙館(ミュージアム)を見に行こうと思って引き返した。実は今回で3回目の訪問だ。だが、新しい発見があった。これまで、何を見ていたのか、と反省した。

 私は三十代の頃、大拙先生が開設した鎌倉の松ヶ丘文庫の当時文庫長だった古田紹欽先生に手紙を書き、実際に鎌倉に行ってお話を聞いた。その時は、古田紹欽先生にサイン入りの臨済録をいただいた。それから数十年が経った。鈴木大拙先生が伝えた禅と仏教思想は、私の血肉になっていると思う。

 ちなみに、古田紹欽先生からいただいた臨済録にこう書いてあった。
 「常行一直心」

 鈴木大拙先生が好んで書いた言葉らしい。大拙先生は、私の生き方を叱るかもしれない。

 「本来無一物」


 その鈴木大拙館の駐車場の隣に、幼少の頃の恩人の一人、永江会長(永江トレーニングセンター会長)が務める、石川国際交流サロンがある。私はサロンに少しだけ立ち寄って、永江会長のお顔を拝見して帰ろうと思った。決して長居をするつもりはなかった。

 実は、私に鈴木大拙と西田幾多郎を教えてくれたのは永江会長だった。二十代の終わり頃だったか、三十代の初めだったと思う。鈴木大拙先生を知ってからの私は、数年の間、鈴木大拙と西田幾多郎の著作を読み漁った。
 特に鈴木大拙先生の著作はかなりの数を読んだ。大拙先生は禅の修行をされた禅者だが、親鸞、浄土真宗の思想にも造詣が深く、大谷大学の教授を長く務めていた。
 それゆえかどうかはわからないが、大慈悲心を中心とすることを説いていた。また大拙先生の宗教経験は、幼い頃から親鸞の教えが染み付いていた私には共時性があった。私は鈴木大拙先生の思想は浄土真宗と禅宗の合体融合だと思っている。
 鈴木大拙は、幼い頃の苦労と宗教経験(道心)を得て、深く、広大な思索を続けた。その宗教経験を活かしつつ努力を続け、世界中に禅の思想を広めると言う偉業を成し遂げたのだと思う。大拙先生は、私の最も尊敬する人間の一人である。

 若い頃は、永江会長とゆっくり話をすることはなかった。だが、私は歳を重ねる度に永江会長の素晴らしさを実感している。

 今回はアポ無しだったが、来客がいなかったこともあり、永江会長は私に色々と話をしてくれた。その話は哲学的で難しい話だったが、非常に独創的で興味深かった。永江会長は、良い意味で天才的な感じのする人だ。
 
 また、永江会長は物事を本質的に観ようとする人でもある。それゆえ、よくも悪くも言葉が鋭い。だがユーモアもある。また、失礼なことかもしれないが、齢80歳としては元気で美しい方だ(若い頃もそうだったが…)。