[第71号:2024-2-22]

 
 
 

第71号の内容

  • 巻頭コラム:ヒッティングスポーツ・プロジェクトについて〜打を極める
  • 特集その1:打を極める〜第2回 ヒッティング研究&交流会の報告
  • 特集その2:GLOVE STYLE (グローブ組手法)〜 喧嘩四つ(左構え対右構え)への対応について(動画)
  • 特集その3:古流・極真空手の紹介〜No,2(動画)
  • 第2回 ヒッティングスポーツ研究&交流会の参加者の体験談
  • 第71号 編集後記

   

巻頭コラム:ヒッティングスポーツとは何か?〜打を極める!

English

  

 2月4日、相模原駅前にあるAKIRA武道スクールにおいて、「第2回、HITTING SPORTS PROJECT(ヒッティングスポーツプロジェクト)の研究&交流会」を実施した。この催しは、AKIRA武道スクールの青木先生、武心塾の加藤先生と増田道場の秋吉先生が協力して実現した。

 現在、三つの道場が協力して、構想の実現に向けて研究を行なっている。ただし、このプロジェクトは急遽、立ち上げたもので、これから随時、仲間を増やしていきたい。先日、元K1のチャンピオンだった、小比類巻氏と共通の後援者と一緒に食事をした際、協力を約束してくれた。小比類巻氏も極真空手の出身である。私は、キックの実力もさることながら、氏の真面目な性格に好感を持った。

 さて、ヒッティングスポーツとは何か?について、改めて話したい。ヒッティングスポーツを簡単に述べれば、空手のみならず、キックボクシングや総合格闘技の愛好者が自由に参加できる、打撃技を中心とした競技のプラットフォームだ。さらに述べれば、新しい格闘技スポーツを作るプロジェクトである。

 そのスローガンは「打を極める」と言っても良い。また、HITTING SPORTSの理想は、多様な格闘技の打撃スキルを高めるための基盤となる、普遍的、かつ共通のスキルと感性の創出だと言って良い。

 ここで断っておきたい。各種、武術や格闘技には、一つの競技として競い合うこと自体が不可能な部分がある。その理由は、本来武術とは、相手の土俵に乗らず、相手の予測できない戦い方をするという原則があるからだろう。それゆえ、多様な格闘技がプラットフォームを共有するということ自体が武術の思想から外れるかもしれない。ゆえに、HITTING SPORTSなのである。要するに、武術を考究する部分、武術の部分は秘しておけば良いと思う。本来、その部分は一般人に広めるものではないと思うからだ。ゆえに私は、武術や格闘技団体も参加できる、スポーツとしてのプラットフォームを創り、それを共有してもらうことで、格闘技の社会的価値が高まると考えている。
 
 さらに述べれば、私は、各種、格闘技団体が、これまでのように、武術として秘する部分のみを、安易に強調すれば、ある面、社会的に特異な人間を創ってしまう可能性があると思っている(困ったことに、格闘技者は特異な人間になりたがっているように見える)。
 
 私はスポーツ的な格闘技のプラットフォームを創ることで、多様な格闘技の伝統的な稽古法や文化をなるべく変えないようにした方が良いと思っている。多様な格闘技を認め、その上で多様な伝統と文化を有する個(人)が交流、かつ繋がることができるプラットフォームを共有するのである。それができれば、私は格闘技の価値がより高まると考えている。私はより大事なことは、一人ひとりが「繋がり」の中心を理解し、かつ繋がることだ。平たく言えば、一体化するということだ。もし打撃系格闘技だけでも繋がり、一体化できれば、他のメジャースポーツを凌ぐ数の愛好者が誕生する可能性もある。だが、そのプラットフォーム作りには、共通の理念とルールを了解する必要がある。

 話をまとめると、繰り返すが、この「HITTING SPORTS(ヒッティングスポーツ)」というのは、IBMAキックボクシングとヒッティング、そしてIBMA極真の3種にHITTINGスティックを加えた新しい格闘技スポーツのことだと言っても良い。
 具体的には、IBMAキックボクシングは、ヘッドギアとグローブを使い行う競技。また、HITTINGとは、防具によって頭部打撃や身体への損傷を最小にして打撃技のスキル競い合う競技。このHITTING競技の大枠は、IBMAキックボクシングと同じだ。異なるのは、HITTINGの方が、一打に対して敏感に反応しなければならない、という競技の特性である。また、身体へのダメージを防具によって少なくしているので、老若男女、初心者、中級者が、危険な組手稽古を繰り返し行える。
 もう一つの競技法は、HA極真である。この競技は、徒手による頭部打撃を禁止することは、既存の極真空手の組手法と同じだ。だが、判定方法が異なる。その違いを簡単に述べれば、ジャッジがボクシングのように有効打、防御技術、試合の主導権、などの項目を見て、10対10をベースにして減点法で判定するということだ。また、最低、2ラウンド以上、組手を行い、優劣を判定する。なお、この三つの競技における審判法(ジャッジ法)の共通項、そして最も重要なことは、ダメージが絶対の判定基準ではないという点である。これまでの極真の試合では、審判の主観によるダメージ判断によって、勝敗が決められてきた。また、そこに「この選手は気持ちで負けていない」というような、これまた、審判の主観的なイメージが勝敗に影響してきた。ヒィティングスポーツでは、突き(パンチ)や蹴り(キック)を相手に当てる。それゆえ、ダメージが完全にないとは言えない。しかしながら、ヒッティングはクリーンヒット(有効打撃)という基準に中に、ダメージのみならず、的確性なども含み、競技における勝負判定の最大ポイントとする。つまり、この判定基準においては、相手が打撃技でダメージを受けていないように見えても、打撃技がクリーンヒットだと判断できれば、勝敗を左右する最大ポイントとするということである。ただし、相手が反則以外の技で、身体的、または心理的なダメージを負い、戦意を喪失、あるいは戦えない状態になった場合は、「技あり」や「勝負あり・一本(IPPON )」として、試合を終了する。だが、これは競技の優劣を審判する要素ではなく。あくまで、競技者のダメージを考慮し、試合を中断させる意味合いで、判断するものでなのだ。以上のような考え方により、伝統的な格闘競技は、スポーツ競技に生まれ変わる。これが、増田の構想の中心的概念である。

 補足すれば、フェンシング競技は「エペ」「フォルーレ」「サーブル」と3種の競技法がある。それぞれ、攻撃しても良い箇所(身体の)の違いや剣の使い方(突く、きる)、その他の違いがある。また、剣の形も若干異なる。

 私はフェンシング競技と同様に、HITTING SPORTS (ヒッティング)においても、「使う道具」「攻撃しても良い箇所の違い」などで競技方法が異なる、と考えて欲しい。余談だが、私は、さらに競技方法を追加しても良いと思っている。ただし、最も重要なことは、究極的に追求する理念を共有することだ。それゆえ、ヒッティング・スポーツプロジェクト(HITTING SPORTS PROJECT)の目的は、多様な格闘技をバックボーンとする人たちが一つに繋がること。そして、さまざまなものを包摂融合していくために必殺な公正、かつ普遍的な価値を追求する。それを前提に斯界の発展、社会的価値の向上を目的とするぬだ。補足すれば、私は、武術や格闘技が有する、特殊、かつ伝統的な部分は、それぞれが「古式〇〇」「古流〇〇道」として継承、追求すれば良いと考えている。例えば、私は、空手を武道的見地から、伝統的な極真空手を拓心武道として追求している。その上で、ヒッティング・スポーツを通うじて、より多くの人達と繋がりたいと考えている。そうなれば、多様な格闘技者の在り方が、スポーツという社会的価値の高い概念・理念の影響を受け、成長。進化すると思う。そうなれば、格闘技者は、もう社会のアウトサイダーではない。また、格闘技はサブカルチャーでもなくなる。メインカルチャーとして生まれ変わるだろう。

 ここで断っておきたい。私はサブカルチャーの社会的役割を知っているつもりだ。むしろ、多様なサブカルを包摂できる社会こそが成熟した社会だと考えている。また、サブカル的なものを重要だと認識している立場だ。しかながら、私は格闘技や武術文化のサブカル的な部分は伝統として残しながら、それとは別に新しい文化をみんなで作っていこうと考えているのだ。(デジタル空手武道通信 第71号 巻頭コラムより)

↓TATSUJINAN後援会長の馬渕会長と元K1チャンピオン小比類巻氏と恵比寿にて

 

 

特集1 打を極める〜第2回 ヒッティング研究&交流会の報告

 

 2月4日、AKIRA武道スクール、武心塾と合同で第2回 ヒッティング研究&交流会を行いました。この会は、増田が構想し提唱する、HITTING SPORTS PROJECT の一環です。1回目は、時間の関係で、組手稽古や親睦会が十分に行えませんでしたが、2回目は組手稽古を中心に2時間以上、参加者が組手経験を積むことができました。さらに稽古後には、親睦会を行い、他道場の方々との交流会を実施しました。

 今回の交流会と親睦会は青木先生が準備をしてくれました。また、武心塾の加藤先生は精鋭達を引き連れ、みんなに刺激を与えてくれた、ありがとうございました。また、極真会館増田道場の皆さんの中には、大変な遠距離から駆けつけてくれた人もいました。

  皆さん、ありがとうございました。

◎HA(ヒッティング協会)からのお知らせ〜次回は3月20日、試合形式で実施します。時間は短いので参加者の数には限りがあります。まだ、研究の段階ですが、3月20日は能登半島地震の義援金チャリティーです。より多くの皆さんの参加をお願いします。

第2回 ヒッティングスポーツ研究&交流会の参加者の体験談を全て読みたい方はこちらから

体験談〜山岸博幸 青年部40代

増田道場多摩本部

去る2024年2月4日に相模原市のAKIRA budo schoolの道場にて、AKIRA budo school、武心塾、増田道場の3つの団体による交流稽古が行われました。私も参加させていただきましたので、僭越ではありますが以下に感想を記します。

私は増田道場入門以来ずっと多摩本部道場で稽古をしており、多摩道場以外の場所で稽古をするのは合同稽古や合宿などのイベントの時だけでした。そのため今回のような団体の垣根を超えた交流は非常に新鮮で刺激を受けました。

稽古は、増田師範が構想されているIHA(国際ヒッティング協会)の競技を構成する以下の3つのルールでの組手を中心に行われました。

1.IHA-KYOKUSHIN
2.IHA-キックボクシング
3.IHA-ヒッティング

AKIRA budo schoolの青木先生、武心塾の加藤先生、そして増田師範からそれぞれのルールの特徴と意義についてのご説明がなされた後、代表者による模範組手が行われ、続いて参加者同士で組手を行うという流れで稽古は進みました。

私はフルコン、グローブ、スーパーセーフの3つのルールについては増田道場入門以前にもそれぞれ別団体で経験がありました。今回それらを改めて連続で行うことで、各スタイルの相互補完の効果を感じました。

フルコンルールは手技による顔面攻撃が認められておらず、この点に関しては武術・護身的観点から課題があると言わざるを得ませんが、一方でそれ故に攻撃の手数は多くなり、体力と打たれ強さの養成に優れていることを改めて感じました。久しぶりにこのルールでの組手を行いましたが、非常に疲れました。

キックルールは防御と攻撃がグローブに依存した形になりやすい部分があり、素手を前提とした空手の理念からやや逸脱してしまう懸念もあります。しかしキックルールは格闘技界において手技による顔面攻撃を行う上でスタンダードとなっているルールであり、そこから学び、空手に活かすことのできる技術は多いと思います。

スーパーセーフはプラスチック部分が出っ張っていることによる距離感の変化や息苦しさなどの問題もあると思います。しかし素手に近い形で安全に顔面を殴打できるスタイルであり、素手を前提とした空手の理念を実現しやすいルールだと思います。

これらの各ルールを組み合わせることでそれぞれの欠点を補いつつ長所を享受でき、総合的な打撃技術の向上を図ることができると感じました。また、私は今までの格闘技経験を通して、ノックダウン制よりもポイント制のルールの方が体力に依存しない確かな技術を養うことができると考えるようになっていました。そのため、上記スタイルを掲げるIHAの構想に私も全面的に賛同します。

稽古後の交流会でも、普段はあまり接する機会の無い別団体の方々と話すことができ新鮮な刺激を受けました。特に武心塾の会員には高齢の方も多くおられ、40歳を過ぎた私にとって、そのような先輩方がまさに「生涯武道」の心意気で頑張られている姿を見ることは非常に励みとなりました。

最後になりましたが、今回はこのような貴重な機会をいただきありがとうございました。
次回の交流会にもぜひ参加させていただきたいと思います。

 

 

↓イベント終了後、参加者全員で記念写真。みんな素晴らしかったです。

↓増田 章によるHITTING SPORTSについての主旨説明(15分間)

↓研究&交流会の後は、AKIRA武道スクールの会員の保護者などのお世話で、親睦会を行いました。AKIRA武道スクールの関係者の方々、ありがとうございました!

研究会&交流会の動画

 

特集その2:GLOVE STYLE (グローブ組手法)〜 喧嘩四つ(左構え対右構え)への対応について(動画)

【用語解説】

⚫︎拓心武道においては「喧嘩四つ」の構えを「逆構え」、「合い四つの構え」を「相構え」といいます。

⚫︎拓心武道においては、前に出した方の腕の突きを「順突き」と言います。しかし、相手の出方を伺ったり、牽制したりする目的で順突きを軽く出すことを「囮突き」と呼びます。
この「囮突き」はボクシングの「ジャブ」とほとんど同じです。この動画では「囮突き」という名称を使いませんでした。また、前に出した腕の反対側、後ろ側の腕による突きを「逆突き」と言います。

その他、突きの種類には、「突き込み」や「拳の捻り込みの度合いの違う突き方(半回転と1回転」さらに特殊な突き方もあります。

 

特集その3:古流・極真空手の紹介〜No,2(動画)

 

【原点に立ち戻る】

私が研究している半棒術は、大山倍達師範が残した、手刀技などの基本と秘伝・極真空手と続・秘伝極真空手という書籍に示された、数々の技の応用だと言っても良い。大山倍達師範は、素晴らしいものを残してくれた。私は、その贈り物を活かして使いたい。その意味は、さらに多様な武術、格闘技を研究し、それらの術理と技を、自己に包摂、融合していくことである。星雲の志を胸に秘めていた、まだ若い頃の大山倍達師範がそうであったように…。

【古流・極真空手の研究〜No,2】


◎私の考案した半棒術は、大山倍達先生の残したステッキ術を応用したものだ。さらに極真空手の手刀打ち(5種)の活用につなげたい(徒手と武器術の連携)。ただし、棒の使い方には袈裟がけ打ち、他の打ち方もある。また、拓心武道においては、今後さらに古流武術の理合や技を研究していき、それらの理合と技を包摂、融合していきたい。

The half stick technique that I devised is an application of the cane technique left behind by Mr. Masutatsu Oyama. Furthermore, I would like to utilize Kyokushin Karate’s Shuto-Uchi(5 types) (coordination of manual and weapon techniques). However, there are other ways to use the stick, including kesagake-uchi. In addition, in Takushin Budo, I would like to further study the rationale and techniques of koryu bujutsu, and incorporate and fuse these rationales and techniques.


【No,1より】

私は長年、大山倍達師範の原点に立ち戻るかのように空手修行を行ってきた。だが、人口に膾炙した極真空手を変えれば、道場生がいなくなると思い、それを伝えるのを抑えていた。

だが、私の人生も最期に近づいてきた。最期に、再び空手、否、武道に相応しい、技術と修練体系、そして武道哲学を残したいと思っている。

大山倍達師範が記されたステッキ術は大東流柔術の技である。私は、その技を取り込みながら、新たに「半棒術」として進化させたい。そのためには日本の剣術のみならず、世界中に存在する武器術や武術を研究したいと考えている。

今後は拓心武道という私の武道哲学を表す言葉とともに、道を探求したいという同志と共に武の道の深奥を訪ねる旅に出たいと思っている。(増田 章)


The publication of This is Karate was probably the catalyst for the spread of Kyokushin Karate around the world.
The Japanese version of that book is Secret Kyokushin Karate.

It is no exaggeration to say that the techniques and training system recorded in that book are completely different from current Kyokushin Karate.
The matches that many people now think of as Kyokushin Karate without face attacks were originally just one means to popularize Kyokushin Karate.

True Kyokushin Karate was the culmination of many martial arts and martial arts that Master Masutatsu Oyama studied and practiced. These techniques included not only karate techniques, but also jujutsu techniques, stick techniques, and judo techniques. There are also elements of boxing, which Shihan Masutatsu Oyama adopted when he was young.

For many years, I have been practicing karate as if returning to the origins of Master Masutatsu Oyama. However, he thought that if he changed Kyokushin Karate, which had become widespread among the population, there would be no students left in the dojo, so he refrained from telling them about it.

However, my life is nearing its end. In the end, I want to leave behind the techniques, training system, and martial arts philosophy that are appropriate for karate, or rather, martial arts.

The cane technique described by Shihan Masutatsu Oyama is a technique of Daito-ryu jujutsu. I would like to incorporate this technique and evolve it into a new “Hanbo Jutsu.” To that end, he would like to study not only Japanese swordsmanship, but also weaponry and martial arts that exist around the world.

In the future, I would like to go on a journey to explore the depths of martial arts with comrades who want to explore the path, using the term Takushin Budo to express my martial arts philosophy.


◎本映像は秘伝極真空手の掲載されているステッキ術の基本を再現した動画である。正直、私のステッキの操作は下手である。だが、これから稽古、研究していく。
そして、いずれステッキを使った護身術のみならず、ステッキや半棒を使った棒術、ステッキファイティングについてまとめたい。
だが、私の足は、普段もステッキが必要なぐらい故障している。普段はステッキを使わないようにしているが、本当は両足が壊れている。特に片足が酷い。故に、武器を使った武術をマスターしなければ、戦うことはできない。

This video is a video that reproduces the basics of the cane technique published in Hiden Kyokushin Karate. To be honest, I’m not very good at using a walking stick. However, I will continue to practice and research.
In addition, I would like to write about not only self-defense using a cane, but also stick fighting and stick fighting using a cane or half-stick.
However, my legs are so damaged that I usually need a cane. I usually try not to use a cane, but the truth is that both of my legs are broken. It’s especially bad on one leg. Therefore, you cannot fight unless you master martial arts using weapons.

 

 

編集後記 第71号 理想を追い求めるからこそ

 私は、HITTING SPORTS PROJECTを空手とキックの世界組織である、KWU-SENSHIを母体に実施したい。青木氏、加藤氏、小比類巻氏も、そのことを了解してくれた。だた、KWU-SENSHIの組織が、私の構想を受け入れてくれるかどうかは決まっていない。なぜなら、KWU-SENSHIにはすでに空手、キックの組織があるからだろう。しかし、私はKWU-SENSHIが新しい格闘技スポーツの母体となることが、KWU-SENSHIの存在意義を高めると考えている。あとは、我慢強くプレゼンするだけだ。だが、やり過ぎれば、私は嫌われるに違いない。私は5年ほど前、空手の師範、数名に構想を持ちかけた。だが、誰も私の構想には乗ってくれなかった。
 その理由は、私のプレゼンが不味かったからか。また、私の構想が意義のないものだと判断したのかもしれない。他方、今回、青木氏と加藤氏は乗ってくれた。反応の違いの原因が何かはわからない。私は不安で一杯だ。私の理想は理解されないかもしれない、と…。しかし、私はやらないで後悔するよりも、やって後悔した方が良いと思っている。実際、やって後悔はしないに違いない。なぜなら、本当に心から望むものを追い求めれば、そこには失敗はない。ただ気づきがあるだけだ、と思うからだ。
 さて、私は人生の最期に後悔はしたくない。「なぜ、理想を追い求めなかったか」というふうに。そして、理想を追い求めるからこそ、人間は成長、進化すると思っている。いうまでもなく、理想を追い求めれば困難に直面する。だが、人間の成長とは、理想を追い求めなければ実現しないだろう。私は、理想の実現位は、心の領域を開拓し、心をより高く、かつ深く極めることが必要だと思っている。そして人間における究極の成長、進化とは、心を超えて、自己を極めることだと思っている。私は、人間にしかできない、心の領域を開拓し、かつ極める、という理想を最も大事にしたい。