サッカーとフリースタイル空手

2010年07月06日

 

 2010年7月5日

 サッカーワールドカップもいよいよ決勝戦である。私はワールドカップサッカーのファンである。とはいってもサッカーに関しては門外漢だ。ただ、フリースタイルカラテ・プロジェクトは、「空手をサッカーのようなメジャースポーツにしたい」という思いから始まっている。

 もちろん、チームスポーツ、ボールゲームであるサッカーと個人競技、格闘技である空手は同じには考えられないということぐらいわかっている。しかし、本当にそうだろうか。そこに普遍性はないのだろうか。私はサッカーも空手も格闘技であり、そこには戦略、すなわち兵法が存在すると考えている。問題は、現代の空手競技には、兵法の意識が希薄だということである。それは、競技自体に閉鎖性・特殊性があるからである。このことに関しては発表の機会を待つ。

 昨日、朝日新聞朝刊の記事に優勝候補筆頭のスペインチームの目指すサッカーについて書いてあるのを読んだ。その内容を大まかに言うと、スペインチームが目指すサッカーは、オランダの名選手であったクライフの理想である、美しいサッカーだという。その美しいサッカーについてクライフは、「サッカーというのは美しくなければならない。美しいというのは攻撃的でテクニックに優れ、3、4点と点とゴールが生まれ。見ていて楽しいサッカーだ」と述べているらしい。それは、フリースタイルカラテが目指す目標と同じである。現在のフルコンタクト空手は、引き分けが多く、勝敗を決めるポイントは、明確な技術ではなく、選手の手数やスタミナの消耗の度合いなどで判断する主観的な優劣である。ゆえに、サッカーのようにゴールが明確だとは言えない。仮に、KOがゴールだとしても、頭部打撃を限定するルールではゴールは生まれにくい。

 フリースタイルカラテ競技は、相手の戦闘力を奪うというゴールを目指す競技である。そして、「打撃技によるダメージ」、「倒し技によりバランスを奪う」、「圧等的有利な位置取り(背後取り)」の3つの戦闘アプローチを認め、それらの戦闘技術の組み合わせにより、創造的で個性的な戦い方及び技術を創出しようというスポーツなのだ。詳しい理論については、今しばらくの時間が必要だが、早くこの競技を完成させたい。なぜなら、私には、競技選手として数多くの世界中の強豪と戦い、また友人として世界各地を訪問した経験があるからだ。その経験で、フルコンタクト空手は完全ではないが充分に世界中の人達の心を掴んでいる事を知っている。そして、過去にも現在にも、すごいタレント(才能)をもった空手家が多数存在し、空手家が心を大きく開くことさえできれば、大きく空手が生まれ変わる可能性があるからだ。

 サッカーに話を戻し、サッカー競技を兵法(戦略)の観点から見ると、最も今大会優れた兵法をもったチームは「ドイツ」ではないかと思った。どのような点かといえば、防御と反撃が一体となっていた点である。それは、私の空手技術である「応じ」そのものである。「応じ」とは、簡単に説明すると、「後の先」である。特徴は、相手攻撃に対し防御技が防御のための防御ではなく、相手を崩すと同時に反撃のための準備となっているという点である。そして、その反撃のスピードが速く正確である。

 今回、スペインが勝ったのは、スペイン選手のほとんどが普段から一緒にプレーし、気心が知れていて、連係プレーが卓越していたことが大きい。データ的にも、パスなどの成功率はトップだと別の記事で読んだ。無論、天才的な技術を誇るビリャをはじめとする個人技の卓越性においても世界トップレベルなのだろう。そしてドイツが勝てなかったのは、ドイツが勝ちたいがあまり、「後の先」を意識しすぎ、消極的になったことではないかと私は考えている。おそらく、スペイン戦までのドイツの「後の先」戦法がはまり過ぎたのだ。とにかく、私はドイツの戦略(兵法)と戦い方に魅力を感じていた。

 つまり、サッカーのように門外漢でも、戦い方(戦略や戦術)を論じられるような部分も、実はメジャースポーツが有する条件であり、特徴なのだ。空手は、競技ルールを変革するべきだ。私はそう思う。日本の空手界の閉鎖性が残念でならない。

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