悟りを形にしていく(その4)

悟りを形にしていく〜その4

  1. 道場稽古の基本原則  (その1)
  2. 自己の中心を護る (その1)   
  3. 組手型修練の原則の詳細   (その2) 
  4. 「不動の中心」を掴み、絶対不敗の境地に立つ(その2)  
  5. 組手型と試合の修練は車の両輪の如し (その3)   
  6. 自己の中心を活かす対応 〜武士道(その3)
  7. 人間性を喪失していないか(その3)
  8. 悟りを形にしていく〜100人組手の修行 (その4)
  9. すべての物事に感謝する〜不敗への道(その4)
  10. 拓心無限〜身体を拓き心を高める(その4)


悟りを形にしていく~100人組手の修行


   私は若い頃に100人組手を経験しました。私は百人組手を自己の中心を掴むための修行だと認識しています。その意味は、”百人組手”とは、私にとって「悟り」を得るための経験だったということです。
 ただ、そのような認識を有する者はいないかもしれません。かくいう私も「自己の中心」や「悟り」という言葉を使い百人組手を語ることは、これまでしてきませんでした。
 その理由は、誤解を与えると思ったからです。しかしながら、今、私の人生の集大成として武道論を展開するにあたり、誤解を恐れずに書き記していこうと思っています。おそらく、歴代の100人組手達成者もわたくしの思想を知れば、私の考えを理解してくれると思います。
  私の場合、組手時間が2分(他は1分〜1分半)だったことと戦い方の未熟により、身体へのダメージの蓄積と筋肉の使用量が多すぎ、身体が限界を超えたようです。それゆえ、大事な組手の世界大会の前に大きな犠牲を払ったと思っています。具体的には、私は100人組手の修行の直後、腎臓へのダメージにより腎不全となり、その治療に1ヶ月もの間、ベットレスト状態、また退院後も食事制限などを余儀なくされました。その結果、持久力や筋力などの体力を大幅に失いました。
すべての物事に感謝する〜「不敗への道」

 しかしながら、その見返りに精神力の極みとも言える「悟り」のような感覚を得ました。その「悟り」の内容を一言で言えば、「すべての物事に感謝する」という感覚です。また、自己の中心を感じたことです。
 また、その感覚により、組手の仕方が大きく変わりました。具体的には、相手の中心の変化を自己の中心で感じ、かつ間髪を入れずに技で対応すると言う「応じ(技)」の原理と理法を直感したことです。
 さらに述べれば、真の勝とは、誰かの作った価値によって判断されることではなく、中心を奪われずに破邪顕正を執行するならば、自然と得られるものだという認識です。換言すれば、「無心」に物事に処すれば、自ずから「勝」は得られ、かつ、「不敗への道」もそこから感得されるという直感です。
 私はそのような認識と覚悟で第5回世界大会に臨んでいました。その結果、誰にも負けなかったと確信しています。しかしながら、その悟りも、人間の欲心、そして自己の間違った判断と選択ゆえの争いに身を投じたことにより、自己の中心が奪われてしまいました。その結果、私の心身は衰え、体得した「悟り」は消えました。しかしながら、それから数十年の人生の中における思索により自己の愚かさ、間違いを痛感しています。
  その100人組手の修行から30年近くも経ち、私も還暦を越えました。残された人生もわずかでしょう。しかし、あの「悟り」を再び本物とするために最後の挑戦に挑むつもりです。確かに、体力や気力等は衰えました。障害もあります。しかしながら、今一度、私は自己の中心を信じ、それを活かしていきたいと思っています。
 具体的には、かつて自己の心身に浮かび上がった「悟り」を形にしていくことに尽力します。また、組手型と試合修練を車の両輪の如く体系化し、後継者を育成していきます。

拓心無限〜身体を拓き心を高める


 昨今、私は世界には多様な文化的背景による様々な差異があり、完全な理解はできないと思うこともあります。だからこそ、その現実を打破するために芸術家や文学者、などが新たな価値を提示しようとしているのだと思っています。同様に、他を殺傷するような武を根源とする武術であっても、その修行の核に「自己の中心を護るとは自己を活かすことに繋がり、かつ、自己を活かすことは他者を活かすことにつながる」という「悟り」を見失わないことが必要だと思っています。また、そのことを体得できれば、敵対する者にも偏見を持たずに理解、そして対応できると思っています。
 そして私は、武術・武道の理念と目的を身体を拓き心を高めることのみならず、「修練によって悟りを得ること」とするならば、人類が平和共存に向かうために有効な人間教育の手段となりうると信じています。
  
 最後に、私の主宰する極真会館増田道場の修練体系に組み込まれた拓心武道は、極真空手のみならず、あらゆる武術を活かし、進化させるものです。その核心は拓心武道哲学の形成です。しかしながら、その哲学とは私のみの哲学を指しているのではなく、武術修行者の一人ひとりが自己の中心を自覚し活かしていく過程において形成される、一人ひとりの人生哲学です。
 また、私が拓心武術のゴールとしているのは、拓心武術の修練により、心の無限の可能性と中心を悟り、自己の霊性に目覚めることです。その上で、一人ひとりが自己の尊厳に目覚め、同時に、他者の尊厳を尊重し、活かしていくこと。その結果、微力で良いから社会に貢献することを志し実践していくようになることです。
 ただし、その実践には、自我を抑制し、それを超越しなければなりません。それは、まさしく修行といっても良いことだと思います。しかしながら、その修行により、精神が高められ、自己の霊性に目覚めさせてくれると思っています。そして、私は自己の霊性に目覚めるための旅が人生なのだと考えています。

(2022年8月21日掲載/2023年2月23日に加筆修正)


コラム〜悟りを形にしていく
終わり

 本コラムは、極真会館増田道場の門下生に向けて、私の武道哲学、修練理論を伝えるために書きました。私の思いが届きますように…。


2022年8月21日:掲載
2023年2月23日:加筆修正

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