月: 2020年7月
武道とは、体系化された修練体系を有する武術の総称であり、かつ人間形成のための普遍的哲学が示されているもの、と私は考える。
腰の具合が良くないのと左の足首の具合が良くない。自粛中に痛めた足首が治らない。腱を痛めたのか骨を痛めたのか神経なのかを考えると、腓骨か踵骨の結合部分に何らかの傷害があるとしか思えない。いずれにせよ、素人にはわからない。 […]
先日、極真会館増田道場の会員道場生に伝えたいことを書いた。私の書くものは、巧みな例え話を用いたものではない。ただストレートに想いを綴ったものである。そのなものを誰が読むか、と言う声が聞こえる。いつものことだが、不安と虚しさが追いかけてくる。私はそれから逃げるように先を急ぐ。そしてどんどん孤独になり、一層の不安と虚しさが追いかけてくる。
極真会館増田道場の会員道場生に伝えたいことを書いた。共感してもらえなければ何のために書いているのかわからない。いつものことだが、不安と虚しさが追いかけてくる。私はそれから逃げるように先を急ぐ。そしてどんどん孤独になり、一層の不安と虚しさが追いかけてくる。そうなるのは、結果を急ぎ、期待しているからだ。しかし、本当のことは結果など期待してはいけない。また急いでもいけないのだろう。真心で考え、真心で行う。一歩、一歩…。
人に深い思索を望むのは、そもそも無理なことだ。それは人から言われて行うことではない。なんらかの強制力によって、それをさせるか、なんらかの機縁によって、それは行われる。
私の思索は増田自身に機縁があって行っていることだ。また、空手武道人のリーダーとしての責任感でもある。