組手形(組手型/Kumitekata)について

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 腰の具合が良くないのと左の足首の具合が良くない。自粛中に痛めた足首が治らない。腱を痛めたのか骨を痛めたのか神経なのかを考えると、腓骨か踵骨の結合部分に何らかの傷害があるとしか思えない。いずれにせよ、素人にはわからない。早く、ドクターに見てもらわないといけない。歩くことに障害が出てきている。

 自粛中もそうだったが、寸暇を惜しんで教本作りを行っている。残念なのは私の門下生が、その教本を活用しないことだ。これは昇級や昇段のシステムが良くないのが原因である。武道は身体だけでなく、頭も使わないと駄目だ、と言うのが私の考えである。否、最後に残るのは身体ではない。武道人の思想、認識である。それを見識と言っても良いだろう。また精神と言っても良いかもしれない。にも関わらず、思想面での進展があまり見られないのが武道(?)の世界でもある。同時に精神などと言っているのもの見識などいかほどのものか疑わしい。返す刀で武道人の見識などと言う者の(私の事である)見識を疑ってしまう。

 兎にも角にも、残された時間が僅かだと言う感覚が強い。1日でも早く、わが道場の門下生が仲良く、誇りを持って空手武道を続けていけるように基盤を作らなければならない。現在の基盤では脆弱である。同時に空手界の基盤(土壌)がもっと良くなったらと思っている。とは言うものの、空手界の人たちも私以上に頑張っているに違いない。それには敬意をもつが、種子が悪いかな…。今回、教本の修練用語辞典のページに載せた一文を掲載したい。


組手形(組手型/Kumitekata)について

 単独で武術を表演する伝統型と相対で武術を表演する組手形(型)

 極真会館増田道場で行う空手武道の修練法には、単独で武技を表演、かつ稽古する伝統型修練法と相対で武技を表演、かつ稽古する組手形(型)修練法の2つがあります(組手形を単独で行うことも可能です)。

 伝統型と組手形、この二つは別のものではありません。単独で行う稽古も相対で行う稽古も他者を想定し、かつ一体となることを目指す点では同じものと言っても過言ではないでしょう。このことは単独で表演する際も相対で表演する際も武技に対する深い理解と体得の深浅が問われることを意味しています。

 しかしながら現実は、武技に対する深い理解と体得は、武技を用いる経験とその研鑽がなければ困難です。ゆえに極真会館増田道場では、伝統基本の稽古を伝統継承の根幹とします。ゆえに組手稽古法を見直し、組手形の稽古法によって、伝統型を見直し、かつ伝統技を見直すのです。

 ただし極真空手は、伝統的な空手技のみならず、他の格闘技、武術から包摂融合した技を修練体系に含んでいます。おそらく伝統を有すると空手流派においても、同様な他者(外部)からの技を包摂融合する過程があったことは間違いのないところでしょう。ゆえに極真会館増田道場は極真空手を基盤にしながらも、極真空手の特質である、包摂性、開放性を重視しています。ゆえに新しい組手技と組手形の修練体系を組み込んでいます(拓心武道メソッド)。

組手形の稽古とは

 さて、ここで極真会館増田道場の組手形は単なる組手稽古の前の攻防の形を学ぶためのものではないということを申し上げておきます。では組手形の稽古とは何か。それは相対で繰り返し技を用いることで、自他の技を受け取り直して、より深い技の理解に到達するためのものと言っても良いでしょう。

 先述した技の受け取り直しとは、伝統技の修練においても必要なことです。なぜなら、「技は使い、考えることで、その深きに到達できる」からです。ゆえに、使い方が出鱈目では駄目です。つまり、重要なことは、ただ使うだけではなく、使いながら使い方を考えていく。さらには、その使い方を成立させている根拠や背景までも考えていく。

 そのようなことが本当の稽古なのです。さらに私の考えを述べれば、本当の稽古は伝統を解体し、革新にたどり着きます。同時に革新を行いながら伝統にたどり着きます。ゆえに極真会館増田道場では単独表演の伝統型の稽古のみならず、ほぼ全ての技を相対で用いる稽古体系を有しています。もちろん、不十分なところがあるので、今後も研究を続け、更新していかなければならないでしょう。しかし、その更新を通じ、技のより深い理解がなされるのです。断っておきますが、ここで言う技のより深い理解とは、単に考古学的な技の理解を目指すことではありません。技を最高に活かす道(理法)を知ることです。言い換えれば、技を使い、人間をより高いレベルに導く。そのそして人間に幸福をもたらし、感謝を教えること。それが、極真会館増田道場の創設者である私の思想でもあります。ゆえに、すべからく稽古は古きを温ねて新しきを知るべし、です。

 武道の価値

 極真会館増田道場の組手形の稽古は、極真空手の伝統技や型、また封印された大山倍達師範の空手技の深奥を尋ねるためにも必要な事です。おそらく初心者は、組手稽古を行う準備のための稽古ぐらいに考えているでしょうが、黒帯がそのような認識では駄目です。

 私は組手形(型)を残し、伝えることが武道の価値だと言っても過言ではないと考えています。しかしながら、形は決して数が多ければ良いと言うものではありません。また、単なる形を学ぶだけではなく、その技に通底する真の型に到達すること、そこが含まれているかが組手形の真の価値です。

 極真会館増田道場では数多くの組手形があります。しかし、数多くの形は、その中から真の型を導き出すための媒体のようなもの、だと言っても良いかもしれません。補足すれば、極真会館増田道場では、数多い組手形を組手形、その中でより原理的な技を含む組手形を組手型と微妙に分けて表記します(まだ組手型は制定していません)。

 組手形の稽古により、様々な技を知り、形を見る意識を得る。そこから、次段階で本当のこと(型)が観えるようになると思います。もちろん格闘技術のすべてを知ることは困難だと思います。また、その必要もないでしょう。繰り返しますが、より大事なことは稽古に対する意識です。

 武道は個を活かし、自他に幸福と感謝をもたらすもの

 最後に、相手に勝つためには相手の知らない新しい技が有効です。しかし、単に相手に勝つために技の修練を行うことは、決して意識が高いとはいえません。もちろん勝つことを目指すことで思考が活発化するでしょう。また、競技には勝利と言う価値が措定されているから厳しい稽古にも耐えられるのでしょう。それでも、目先の勝利、技術の獲得に傾倒してはなりません。それは、目の曇りとなって、生涯にわたり自己を苦しめるでしょう。武道はそんなものではありません。武道は個を活かし、自他に幸福と感謝をもたらすものなのです。ゆえに本当の武道を知るには長い期間にわたる稽古(実践と思索)が必要です。

(増田 章の小論、「組手形について」から)

2020年6月6日

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